第44話 あの夏の記憶

『死にたくない……!』


 幽霊となった佐藤が、何度も「死にたくない」と繰り返す。左手で強く腹部を抑え、苦しみにあえぐように息を切らせている。佐藤が左手で押さえている場所は、先ほど俺が貫いた場所だった。


 俺はあっけにとられ、うわごとのように呟く佐藤のことをぼんやりと眺めた。


 やがて佐藤は、何かを探すようにきょろきょろと視線をさまよわせ始め、俺と目が合った。


『高田……!』


 途端に、佐藤の表情に活力が戻る。目は血走り、鋭い視線が矢のように俺を射抜いた。


『さっきの攻撃はひやりとしたよ。……今度こそ、お前を殺す。殺してやる。生き残るのは俺だ』


 堂々といい放つ佐藤に、俺はため息を吐いた。それが、あまりにも滑稽なものいいだったからだ。


「生き残るだって? ――お前はもう、死んだんだよ」


 俺は佐藤の背後を指差す。そこにあるのは、佐藤の死体だ。


 広間の冷たい床に横たわる、血まみれの亡骸。出血量からして、その体が生きていないのは明らかだった。


『あ、ああ……。俺の……、俺の体っ!』


 現実を認識したことに対する衝撃が、佐藤に襲いかかる。膝から崩れ落ち、佐藤は自身の生前の体に手を伸ばす。必死に傷口を止血しようとしているが、どう見ても手遅れだった。


 やがて佐藤もそれに気づき、顔を上げた。


 その瞳は、絶望で満たされていた。


『助けてくれ……』


 消え入るような声での、懇願だった。


『助けてくれ、死にたくない!』


「お前はもう死んだんだよ、佐藤」


『……。確かに……そうだ、俺は死んだ。でも、お前ならなんとかできるだろ?』


 佐藤の声色が急激に変化する。初期の衝撃から立ち直り、その明晰な頭脳が冷静さを取り戻し始めていた。


「俺は蘇生魔法を使えない」


『俺がいっているのはそういうことじゃない』


 一拍を置いてから、佐藤は静かにいった。


『お前はゴーストテイマーだ。……俺をテイムすることができるだろう?』


 佐藤の声は、怒りと屈辱に震えていた。しかしそれでも、生存の可能性を見出したからにはそれを実行するしかないのだろう。佐藤が矢継ぎ早にまくしたててくる。


『このまま時間が経てば、俺の魂は消えてなくなるかもしれない。だが、お前が俺をテイムすれば俺は生存……体はともかく魂だけは生存できるはずだ』


 まるで生前のときのように合理的で計算高い提案。死という強大な危機に直面してもなお、佐藤はすぐに最適解を導き出していた。


「それは……そうかも知れないな」


『高田にとってもメリットはあるはずだ』


 曖昧な返事をした俺に対して、佐藤が畳みかけるようにいう。


『俺は強い。それは戦ったお前が一番よく知っているはずだ。俺が仲間に加われば、お前はさらに飛躍できる。そうだろう?』


 その場に立ち上がり、やり手の営業マンのごとく自身をプレゼンする。先ほどの混乱はどこへやら。佐藤はすっかり調子を取り戻していた。


「……それは間違いないだろうな」


『俺たちには因縁がある。二つ返事で承諾できない気持ちはよくわかるさ。だが、協力したときのメリットを考えれば、過去のことなんて忘れたほうがいい』


「忘れられないこともある」


『この世界では、何よりも力がいる。高田だって、それは理解しているはずだ』


 無言で頷くと、佐藤の笑みが深くなった。彼は、自分が交渉に勝ったと、そう思ったのだろう。


 佐藤のいうことは正しい。力は、何よりもほしい。だが――。


「俺はお前を仲間にできない」


 俺は静かに、しかしきっぱりと告げた。


『なぜ……!』


「なぜ、といわれてもな」


『俺のことが許せないのか。なら、謝罪はする。この通りだ、許してくれ!』


 佐藤はその場で手を突き、頭を床に向かって下げる。まさかの土下座だった。目的のためならなんでもやる。それが佐藤という男だった。


 俺はその様子を、冷ややかに見ていた。


「お前のことは信用できない。佐藤、お前は俺の親友を殺そうとした。そんなやつとは仲間になれない」


『親友を殺そうとした? なんの話だ』


 混乱を声ににじませながら、佐藤は顔だけをこちらに向けた。


「あの夏、お前が見殺しにしようとした近藤は俺の親友なんだよ」


『近藤……』


 佐藤は呆けたように呟いた。しばしぼんやりと遠くを見ていたが、やがて何かを思い出したのか、その顔が驚愕に染まる。


『中学のとき、道端で熱中症で倒れていた近藤か?』


「そうだ。お前は、近藤の様子をうかがい意識がないことを理解した。にもかかわらず、何事もなかったかのように歩き去っただろ。そんなやつに背中は預けられない」


『……そのものいい。まさかお前、俺の様子をその場で見ていたのか?』


「ああ、そうだよ。付け加えるなら、お前の行動をPTAに告げ口したのも俺だ」


 広間の空気が一瞬にして凍りつく。俺の言葉が、佐藤の魂の奥底にまで痛烈に突き刺さる。


 言葉の内容を理解した佐藤が、激高して立ち上がった。


『お前か……! お前だったのか、俺の人生を壊した犯人は……!』


 魂から絞り出された声が、広間中に響き渡ったような気がした。


「よくいうよ。近藤の人生を壊そうとしたくせに」


 佐藤が都会の進学校に行きたがっていたことは知っていた。俺が告げ口したせいで、それが取り止めになったことも知っている。だが、だからどうしたというのだ。


 親友を殺されかけ、はらわたが煮えくり返っているのは俺のほうなんだよ。


『許さない。許さないぞ高田!』


 吹き出す憎悪とともに、佐藤の周囲に炎の波が浮かぶ。それは佐藤の感情と同期するように、次々にあふれてきていた。


「お前はもう、終わりだよ」


 俺は、佐藤の行動を見透かしていた。だから佐藤が激高したときには、すでに戦闘態勢が整っていた。


 佐藤が魔法を使おうとするが、それよりも早く俺の剣が振りきられ――佐藤のことを再度殺した。


『ぐっ……があ……』


 苦し気なうめき声が遠ざかっていく。佐藤が生み出した炎が、彼の命の灯が、その燃料を失い空気に溶けて混ざる。


 消えゆく佐藤の表情には、怒りと絶望、そして後悔が色濃く表れていた。


 やがてそれらが全て消え失せ、その場には静寂が訪れる。佐藤の魂は、この世界から完全に消滅したのだ。



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