39 ステラの過去③

「……アッシュ、なにやってんの」


 しかしステラはフレーヌを無視する。ぬいぐるみを通り越して、裏で操る人物を覗き込もうとした。

 すかさず手で阻止する。いや、フレーヌが体を張って止める。右、左、下と攻められても、華麗な羽捌きでステラの視線を遮った。


「……なんであなたが、ステラを幸せにするの」


 ようやく話に乗ってきてくれたことに、フレーヌの中の人はひっそりと安堵した。


「ステラといっしょにいたい。家族になりたいと思ったからだにゃん」

「か、ぞく」

「うん。家族なら、ステラの幸せを願うのは当たり前だにゃん」

「家族、なんて……っ!」


 ステラの黒目が細く縦に絞られる。顔を険しく歪め、牙を覗かせながら、ステラは目の前の体を強く叩いた。


「家族なんて大っ嫌い! ママもパパも、ステラといっしょにいてくれなかった!!」

「うん。だからステラのママさんとパパさんは、きっと家族じゃなかったんだにゃん」

「え……」


 目を丸くして、ステラはフレーヌを見つめる。猫のぬいぐるみは、ただ静かな微笑みを浮かべていた。


「家族に血の繋がりは、関係ないんだにゃん。肌の色も、種族の違いも。ステラのママさんはママさんひとりだけど、家族はそうじゃない。ステラがいっしょにいたいと思った人だけが、家族にゃん。たとえそれが赤の他人でも」


 フレーヌは布の手を伸ばして、ステラの頬をそっとなでた。


「ステラはひとりぼっちにならなくていい。自分で選んでいいのだ。幸せになれる場所。いっしょに歩いていきたい相手。君と家族になりたい人が、ここにいるよ」


 ふいに、フレーヌの力が抜けた。だらりと項垂れたぬいぐるみの裏から、緊張した顔が現れる。

 その人は、ステラがもうフレーヌを見ていないことに気づかず、心音こころねを紡いだ。


「守るから。今はまだ頼りないと思うけど、ステラとエデンとアルを、きっと守ってみせるのだ。みんながいつか、それぞれの幸せを見つけるまで。孤児院が家。私はその家長なのだ!」


 力強く宣言してから数秒後。アッシュはなにか物足りないと気づき、慌てて「だにゃん!」とつけ加えた。

 危ない、危ない。これはあくまで、白猫フレーヌの言葉だ。本音はすぐにも子どもたちと家族として打ち解けたいが、時間が必要なことはわかっている。

 今はステラが、少しでも元気を取り戻してくれればいい。


「アッシュ。フレーヌが死んでるよ」

「なぬ!?」


 ステラに指摘され、アッシュはぐったりしていた白猫を蘇生させる。すっかり白けたステラの顔に、ぬいぐるみをへばりつかせ、ポカポカ殴った。


「し、死んでないにゃー! ちょっとお腹すいただけにゃん! それに私はアッシュじゃなくてフレ――」

「もういいから、それ。貸して。アッシュはお人形遊びがなってないよ」


 返事をする前に、フレーヌはふんだくられた。その横柄さとは裏腹に、ステラはやさしい手つきで白猫の毛並みを整える。

 次第に、桃色の目にはおだやかな光が灯り、唇がかすかにほころぶ。

 口には出さないが、ぬいぐるみは気に入ってもらえたようだ。微笑ましく見守っていると、ジト目でにらまれた。


「なに。見ないでよ。ステラもお腹すいたから、早く帰りたいんだけど。……家に」


 素っ気なく視線を逸らしながら言われた言葉に、アッシュは目を丸めた。

 アッシュが話した家族を意識してくれたのだろうか。それとも普段から、孤児院を家と呼んでいるのだろうか。

 どちらにしても、うれしかった。帰る場所。待っていてくれる家族。借金で失ったものが新しい形で蘇り、アッシュを受け入れてくれた気がした。

 守りたい。改めて強く誓う。


「ふふっ。じゃあ手を繋いで帰るのだ!」

「イヤ。ステラ疲れたもん。フレーヌ抱っこするので忙しいし」


 本当に受け入れられた、のか?

 相変わらずのお姫様っぷりに、アッシュは早くも疑念を抱く。

 しかしふいに、ステラはちらりと視線を寄越してきた。


「それとも、痛いの? 背中とか……」


 か細い声といっしょに、しっぽがそわそわとアッシュの足に触れる。

 アッシュはお前のために戦った。ハイジの言葉を、少女はずっと気にしていたのだろうか。

 堪えていた痛みがズキリとうずく。けれどこんなものは、なんてことはない。ステラがお姫様のようにわがままを言うくらい、安心してくれるのなら。


「パパに鍛えられたから、あのくらいへっちゃらなのだ。私は強いのだ」

「うん。もうザコいって言わない。エデンにも教えなきゃ」

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