美少年の理想郷創造記

@AZame

第1話 こんな転移で良いものか

 そもそも、どうしてこうなったんだっけ。

 鬱蒼とした森の奥、見たこともない何かに襟首掴まれた猫の如く連行されて、少年は頭を抱えた。

「全部、あのバカカミサマのせいだ」


 ■■


「リュシアンくん~よちよち、リュシアンくんはよい子ですねぇ~」

 見目麗しい青年が、その腕に抱いた少年に頬擦りして蕩けた声を出している。いくら見目が良くても、その姿はかなり問題があった。

「イエスロリショタノータッチの掟を知らんのか!?」


「ギャッ!」

 ゴチンッと男の顎に頭突きを入れた少年は、顎を抑えておとなしくなった青年をじとりと効果音でも付きそうなほど冷めた目で見上げてから、またぐるりと辺りを見回す。それでもまだ男の腕から抜けられないことに恨めしそうにしながら。

 空白とでもいうべき場所。薄く靄、霧、或いはヴェールでもかかったかのような場所。真っ白な壁と床に不釣り合いな、男の座る豪奢な椅子。玉座とでもいうべきもの。

「リュシアンく~ん、リュシー、いやリュリュ?シアンちゃんも捨てがたいな」

「はぁ……」

 そこの主だという男がこれでは、大きなため息も出るというものである。

「リュシアンさん、何が不満なんです? お父様、パパ、お兄様、いや執事ポジションも捨てがた」

「カミサマさんさぁ……」

「そんな他人行儀な! お父様、いやパパ、ああでもやっぱりお兄ちゃまと」

 月光のような長い銀糸の髪、よく通る澄んだ声、硝子玉のような薄灰にも白にも見える瞳、質素だが神聖さも兼ね備えた衣服に包まれた長い四肢。どこをとっても美しい以外の語彙が奪われてしまいそうな男なのに、その言動、猫なで声が全てを台無しにしている。

「名前は……まあもう何でも好きにつけてもいいけど、俺死んじゃったんだよな?」

「ハイ!ばっちり!」

「ばっちりとか言わないでください、傷つくから」

 口を押えて頷く男をねめつける。

「で、でも貴方はとっても良いことをして命を落としたんです!すーっごく!」

「……それは覚えてる」

 夕暮れ時の田舎町。小さな公園。汚い公衆トイレの前で、子供が泣いていた。

 近づいた自分を見上げた少年の顔が、恐怖で歪む。それでも鍵のかかった多目的トイレのドアに縋りついていた少年は動かなくて、爪を立てて血のにじんだ指が痛々しかった。

 そのとき彼の絞り出した「たすけて」が、自分に対してだったのか神やら仏に対してだったのかは解らない。

 それでも中から聞こえる怒号と少女の悲鳴に、無駄に肥えた体が動いて全体重をドアにぶつけていた。

「貴方はあの子たちを助けたんです」

「でも死んだ」

 体重があっても体の使い方がわからなかった。ドアを破れもせず、結局中から飛び出してきた自分と同じような体格の男ともみ合いになった。入った店でも、家族にすらきちんと使えもしない喉を酷使して獣みたいに、馬鹿の一つ覚えみたいに叫んだ。

 逃げろ、逃げろ、

 気づいたら男が馬乗りになっていて、近所の家の窓なんかの野次馬が見えて、夕日を反射する包丁が何度も何度も落ちてきて。

 そうして、ここに来た。

「アンタ神様とかそういうのじゃないのか。だったらなんで、あの子らを助けなかった」

「そうですね……貴方は私のお気に入りですから、正直にお話しましょうか」

 男は玉座に頭を預け、少年を胸に抱き寄せる。その姿は聖母にさえ重なるが、瞳はどこか冷めていた。

「そも、神とは人間に特別興味を持っていません」

「は」

 すらりと長い指先が小さな唇を塞ぐ。

「神とは、周りがそう呼んでいるだけ。人間が動物や植物を好むように、私達もそれぞれ好きなモノがある。犬派、猫派、キノコタケノコみたいな感覚ですかね?」

 へらりと笑った男に、少年は胡乱な目を向ける他無くなった。

「じゃあつまり、人間を好むお前みたいなのを神様って呼んで、アンチ人間を悪魔って呼ぶとか?」

「大正解っ、おりこうさんですねぇ~!」

「顔くっつけんのやめろ」

 小さな手で男の顔を突き放す。

「私は人型の、小さな子が好きなんです。特に少年が」

 頬を抑え恥ずかしそうに言う男に向ける目が更に厳しくなる。腕を突っ張って離れようとしてもびくともしなかった。

「お前もあの類かよ」

「あんな醜悪なモノと一緒にしないでください。私は庇護対象に性愛を持ちませんよ。なんでしたっけ、今は人間もそういうの居るでしょう?」

「それは性的趣向全般の話で……さっきからなんでそう現代っぽさが滲むかな……大体アンタ、どう見てもファンタジーな感じだし日本っぽさの欠片も無いよな」

「それはまあ、異世界の神ですから。それもあって手出しできませんでした」

「ああ、そう」

 おや、と男は目を瞬かせ、首をかしげる。

 少年は相も変わらず不機嫌そうな面持ち。

「もう死んでるし、姿も変わってる、今更驚くことかよ。だいたい、驚いて何になるんだ……どうせ俺はお前のオモチャなんだろうが」

「待ってください、私そんな酷いことしませんからね!?」

「美少年好きなのに?」

「あ、それは、その、確かにちょっと好みの見た目にしましたけど」

「ちょっと?」

「かなり、しました、けどぉ」

 本格的に涙を浮かべる男の顔から視線を逸らし、少年――死んだ男は、小さくなった手を見つめた。

「いい、べつに。俺もあの姿が嫌いだったから。醜悪だったろ」

 死んだからなのか、もう自分の名前すら思い出せない。魂と名前が密接に繋がっているというのがもし本当なら、このカミサマにそれを取られたのかもしれないとも思った。

「醜悪なのは貴方を殺したアレの「在り方」です。私たちからすると、生き物の美醜の感覚はよくわかりません。私は人間の子供の見目が好きですけどね」

「やっぱり変態かよ」

「違いますってば!」

 美しいのにやたら子供っぽい仕草だ。

「と、とにかく私は貴方が私と同じような趣味で、在り方にも尊敬して、だからそちらの管理者カミサマに貴方の魂を貰ったんです」

 意識が途切れる直前のことはあまり覚えていないが、酔狂なカミサマも居たものだ。

 溜息をついて小さな耳を覆う。

「叫ぶのやめてくれ、耳痛い。事情はわかったけど俺はずっとここに監禁なのか?」

「監禁!?」

 喧しい。非常に。

 いかにも物静か、おしとやか、清廉潔白、黙っていて首から上だけなら女性にも間違われそうなのに、彼に黙るという選択肢は無いようだった。

「ええと、それはつまり、どこかに出かけたいと……」

「出かけたいっていうか、こういうのって異世界転生とかじゃないのか?」

「あ! そちらの創作でよくあるお話ですね。いやあ、一時期貴方の所と他所の創造主がハマってよくやってましたよ」

「ハマっちゃったんだ」

 男は指を頬に添えて考えるそぶりを見せる。あざとい仕草だが見目が良いだけで様になるのだから憎たらしい。

「じゃあ私の世界で王様とかやります?」

「いやそこまでは望んでないっていうか」

「うんうん、そうですよね。私も美少年は成長しない方が嬉しいです」

「わかりたくないが、わかるのがくやしい」

 にっこり微笑む男の膝の上で項垂れる。

「じゃあ、なりますか。永遠の美少年!」

「ハア?」

「一番楽で手っ取り早い方法ですよ、リュシアンくん」

 パッと手を広げた男。ふわりと内臓が浮く感覚は、ずっと昔に、母と妹と乗ったフリーフォールを思い出した。

 足元にぽっかり穴が開いて、びゅう、と二人の髪を吹き上げる。

「このまま、私の世界に転移するだけです!」

「ちょ、落、待て!」

 それが最後だった。

 ■■


 俺が目を覚ましたのはもうずっと前のような気がする。実際そんなに経っていなくても、気が遠くなるような時間を過ごしたように思う。

 気づけば両手両足は植物の蔦でしっかり拘束され、大勢の二足歩行する獣に囲まれていた。しかも槍のおまけつき。

 まったく嫌になる。しばらく尖っている物は見たくない。

 家と言うか、壁のない小屋や穴ぐらの目立つ場所……集落だろうか。巨大な木の茂る森、人外、見たこともない植物。まさしく異世界転生モノの代名詞のような存在だが、残念ながら今はどれも嬉しくなかった。

 木々の合間に見える空には雨の降りそうな雲の隙間に星が浮かんでいる。月らしきものもある。地球と似たような形態の世界だろうか。

 現実逃避気味に考えていると、目の前にずい、と槍先が突き付けられた。

「……また、死ぬのかよ」

 痛みを思い出すと心臓がバクバクと暴れる。その槍を持っているのは戦士のような様相の生き物だった。

 周りに見える者の中でも背が高いが、せいぜい百六十センチ無いくらいだろう。小柄な種族なのかもしれない。他の者たちも多少高い者も居るがおおよそ縮んでしまった俺と変わらないか、少し高いくらい。平均百五十センチくらいといったところ。

 もし体格の良い者を切り札に隠してしていないなら、だが。

 艶のある毛皮、アライグマに似た顔、大きな瞳。可愛いと称したいが生憎現在は思い切り睨まれている。松明で揺れる影すら恐ろしい。

 睨み合いと沈黙。

 ただ、もうお互い限界が近い気がした。

「すまない待たせた。こいつか?」

 頭上から少女の声がした。

「ああ。リーファ、エリンは?」

「今は落ち着いている。さて」

 頭を上げると、戦士らしい者より幾分背丈の小さい者が威嚇するように見下ろしていた。

「正直に答えろ。お前はドワーフ達が送った者だな?」

「は? 何、どわーふ?」

 ドワーフと言えば、背が低い、鍛冶職人、鉱山、と脳内で連想が次々続いたが、全く現状との繋がりが見えない。

「とぼけるな!」

 びりびりと肌を裂くような怒号が叩きつけれる。思わず腕で頭を守ろうとしたが、縛り上げられている腕は後ろで体のバランスを崩す手伝いをするだけで、俺は無様に転がった。

 悲鳴を上げそうになるのを堪えるので手一杯だ。

「ま、待って、待ってください! 俺は何も、どわーふとか、ていうかあんたたちのことも知らない!」

「我々を知らない? 貴様よくもぬけぬけと」

「ほんとに知らないって! 俺だってさっき落っこちてきたばっかなのに」

「嘘ならもっとマシなものをつくんだな。馬鹿にするのも大概にしろ!」

「嘘じゃない、俺は、だって」

「目的は? 本当のことを言わないなら我々も容赦しない!」

 切っ先が目の前に迫る。

 話が通じない。何に怒っているのかもわからない。

 怒鳴り声ばかりが大きくなっていく。

 ――どうして普通にできないの?

 ――ちょっと考えたら解るでしょ。

 わからないよ。どうして俺、ちゃんとわからないんだろう。

 そんなこと、俺も知りたかった。

「……わかるわけ、ないだろ! 誰だよお前ら! なんで怒ってんのかも、何があったのかも知らないんだよこっちは!」

「ハ、なにを」

 わかるわけない。説明されてないことを知ってるわけがない。

「俺が、知るわけないだろ! 急に捕まえて急に怒り出して! 察して察してって……何のために口があるんだ、何のために声があって、言葉があるんだよ。食うためか? 吠えるため? ならさっさと殺せばいいだろ、八つ当たりで! なんにも知らない俺を殺しちまえ!」

 頭の真ん中がじりじりと焦げるようで、喉も引き攣って変な呼吸になった。転がったまま地面に頬をつける。

 せめて今回は、一撃で終われたら良い。

 恐怖で汗が止まらない。涙も鼻水も震えも。

「うあぁあ……っ!」

 どこからか、子供の声がした。

 泣いている。啜り泣き、嗚咽、小さな恐怖の声が聞こえる。

 泥まみれの顔を上げると、獣脚の隙間から壁のない小屋が見えた。幼い頃、運動会で建てられていたテントのような形の小屋。葉でできた屋根と頼りなさげな木の柱の下で、硬そうな木の床に子供達らしき影がぐったりと、まるで転がった俺と同じように力なく横になっている。

 松明の灯りにじっと目を凝らす。

 子供達は俺を囲んでいる彼らと同じ種族だろう。黄金色にも見える茶色の毛。かすかに苦し気な呻き声と、荒い呼吸。

「……大きい声、怖かったな」

 ざり、と目も前の足が土の上で滑る。警戒の姿勢かもしれない。

「体、つらいのか。ごめんね、騒いで」

 誰かが鼻をすする音がする。それは子供達の誰かかもしれないし、俺だったのかもしれない。

「寝て、食べて、いい子にしてれば治るよ。……皆、元気になるよ」

 子供達の顔は見えない。見えない方が良いだろう。頭に血が上って、馬鹿みたいに癇癪起こして、死ぬだけのよそ者なんか。

 頭上に影がかかる。

 ひゅう、と刃先が空を切る音がして、顔を伏せた。

「え?」

 痺れた腕がどさりと落ちる。泥が跳ねるのをぼんやり見つめていると、リーファが俺の手を引いた。

 腕を束ねていた蔓が手首に絡まっている。

「私達は早計だったやもしれない」

 まあるい黒々とした瞳。優し気な顔、のように見えた。

「話し合いを、させてほしい」

 ■■

 壁のない小屋。風通しはこの上なくいいはずの場所なのに空気が淀んでいる。

「私はリーファ、このアウルム族長の孫娘です」

 リーファの視線の先には、やはり幼い子達、老人達が寝かされている。

「俺は、えっと、リュシアンです」

 おそらくそう名乗っていいはずだ。鏡すら見てないが、視界に入る白い前髪、手肌のきめ細やかさ、整った顔のカミサマが「美少年にした」と言いこの名で呼ぶのだからそれに見合った姿になっているはず。

「そう……私達は森と共に生き、恵みの木の雫で一族を育んできた」

 松明の焔がぱちぱちはじけて彼女達の体毛を黄金に照らす。

「あの巨木が恵みの木。あそこから採取する樹液は我々にとって大切なもので、儀式や薬など様々な用途に使っていた」

 その木は確かにまっすぐ天へと延び、幅も背も他とは段違いだ。それにあのいかにもファンタジー世界の神といった風体の男の創った世界なのだから、聖なる力、特別強い生命力、そんなものが宿っていてもおかしくない。

「だが数年前から、森の川に黒い泡や混濁とした水が流れてくるようになった。あれらが流れた場所の草木は枯れ、水には魚が腹を見せて浮き上がって……酷い有様だった」

 リーファは大樹を見上げたまま、声を絞り出している。

 俺は入り口に突っ立っているしかない。何も言えず、足元で呻く幼子や老人を見ているしか。

「やがて恵みの木も樹液が黒く穢れ始めた」

 村の中心に聳え立つ巨木の枝先が揺れる。

 ざわざわと、どこか不気味に。

「長老は倒れる前、川上にあるドワーフの国が呪いを練り上げ、我らを滅ぼそうとしていると結論付けた」

 リーファは振り返り、隅の方で丸くなっている老人とまだ小さな体躯の子供の傍へ屈みこんだ。

「その二人が?」

「っ……。ああ、私の祖父と、妹のエリンだ」

 がちりと音が鳴るほど噛みしめてリーファは項垂れた。

「体の弱い老いた者、幼子はもう殆ど限界。私達はこれからドワーフ達と戦をするつもりで、それで気が立っていて」

 ほとんど爪のような指先で器用に妹の頬を撫で、祖父の湿った顔の毛を拭う。

 その姿は人間と何も変わらない。恐ろしいばかりだった爪は優しく月光を纏って、猛獣と思った顔は柔らかい少女のそれだった。ただ大好きな人を守りたいだけの子供だ。

「あの、リーファさんっ、その川に連れて行ってほしい、です。呪いとかだったら役に立てないと思うけど、もしかしたら、何か、他に方法が、あるかも」

「だが、もう戦の準備は」

「相手は、国なんですよねっ」

 何を言っても無駄かもしれない。余計なお世話かもしれない。

 いつもそうやって、何かできるかもってしゃしゃり出て、失敗して、笑われて、臆病者の俺は逃げてきた。

 リーファは驚いたように見える。人間の顔色をうかがうのは下手だけど、リーファ達は隠さないで敵視して、疑って、今は、警戒しながらも驚いて耳を傾けてる。

 だったら俺も、苦手でも、怖くてもやらなきゃ。

 この世界には、迷惑かける家族も居ないんだから、怖さだって半減。そう言い聞かせて。

「国と戦って、怪我人が出たら? 死ぬ人だっているかもしれない」

「覚悟の上だ」

「でも、もし解決できなくて皆死んじゃったら、誰が皆のこと治す? 報復だって有るかもしれない、誰が病気の子を守るんだよ」

 他所者の言葉に過ぎないけど、それでもだめだ。

「子供達は自由じゃなきゃだめなんだ。子供は賢い。いろんなことを見てて、察してる。ここで自由を奪われたら、大人のように耐えていつか、なんて思えなくなるかもしれない。だから自由でいられる子供は、それだけ、一番きれいで尊い。それは絶対、守るべきものだ」

 じっと暗がりで口をつぐんでいた彼女は、少しだけ目を伏せてからゆっくり立ち上がった。そのまま俺の横を通り抜け、簡易的な荒い網目の布が目隠しになっている穴ぐらの方へと歩いていく。

 どうしたらいいかと視線をつま先にやっていると、ぶっきらぼうに声を掛けられた。

 リーファの隣に少し背の高い戦士の風貌の者が居る。

「川、夜が明ける前に行った方が良い」

「戦士のガウスです。人間の子供にはきつい道を通るから、俺も同行する」

「っ! はい、行きます!」

 リーファ、ガウスは何度も転ぶ俺の手を引っ張って、暗い森を歩いていった。運動神経無し、注意散漫、引きこもりな俺には厳しい道のり。この辺りの魔獣が彼らと同じく呪いで弱っていたのが功を奏したのか、道中危険な目には合わずに済んだ。

 ただ松明も持たずに出たのに二人を見失うこともなければ、いつも通りふと何かに気を取られることが多々あるのは変わらず首をひねった。もしかして、夜目が効く体にしてくれたのだろうか、あのカミサマは。

 ちょっとだけ見直したかも。

「ここが集落から最も近い川辺だ。もう魚や生き物はほぼ居ない」

「これが」

 岸にしゃがみこんで覗き込んでみる。

 反射もしないくらい汚い。暗くても色くらいは映りそうなものだが。

 マーブル模様の水面、煤っぽく汚れた何かが引っかかって水流で揺れている。水と分離する何かが混ざっているのだろう。洗剤だったり、油を流しに溜めた水に浸けたときのようだ。ほんの子供の頃、嫌々行ったキャンプでの合宿を思い出した。

「これ、多分何とかできる、かも」

「何?」

 水に直接触る気になれなかったので、二人を振り返って水筒か何かを貸してもらえないか尋ねると、ガウスが木をくり抜いた矢筒を貸してくれた。

「川上のドワーフの国は、技術とか、発達していたりしますか?」

「たしかにドワーフは物造りの国とも呼ばれている。品物が出回ることはそうそう無いがね」

 俺が首をかしげると、ガウスは振り返らずに歩き出す。

「昔は出回っていたと聞いたことがある。だがずっと昔、人間の王は自分たちが神に治世を任されたと言って、その宣言を認めなかったあいつらは洞窟の奥、ドワーフの国に引きこもった。それからは人間か、それ以下かという思想が強くなって……俺達は対立し始めた」

「実際は神が私達の自立を認めただけだと知っている。親が子を手放すように、子が親から離れるように、ただそれだけのこと。でも人間は寿命の短さ故か数が多く、領土も、信仰を表す手段も多かった」

 神殿や地位構成で統率を取っているから自分の方が偉い、賢い、そんな思考だろうか。どこも人間と言うのは変わらない。そういうことには関わりたくないものだ。

 それにしてもあのカミサマは自分の世界を放置して他所を鑑賞していたのか?

 いや実際、カミサマなんて思考する生命体が勝手につけた呼び名で、定義に過ぎない。そもそも彼らも完璧じゃなく、テラリウムだったり庭をいじるような感覚でしかないのかもしれない。

「あ、あの、聞いても、いいですか」

 波打つような木の根の段差を引っ張り上げてもらいながら声を上げると、二人は足を止めてこちらを見下ろした。

「今の話聞いて、人間は嫌な奴だと思われても仕方ないんだって、思って……でも、なんでリーファさん、色々教えてくれたんですか? ガウスさんも、案内してくれて、なんでだろって」

「嘘をついてるにしてはあまりに情けなかったからかな?」

 ちょっと傷つくな。

「おい、リーファ! すまない、コイツ失礼な奴だけど悪い奴じゃなくて」

「だってやけっぱちだったでしょ。でも」

 輝く毛皮に覆われた手が差し出される。その爪に触れることに躊躇は無い。

「貴方は私達を恐れていたのに、臥せった子供達が泣いたとき、何より彼らを心配していた。そして、おじい様とエリンを『二人』と呼んでくれた」

「……俺たちのような獣に近しい見目の者、リザードマン、オークウルフ族なんてのは魔獣、魔物、って呼ばれて差別される。理性や文化があることも理解されず、集落は『巣』と呼ばれ、数えるときも一匹、二匹ってな」

「じゃあ、実際の魔物とか魔獣っていうのは?」

 悔しさを振り切るように歩き出したガウスさんは、弓を軽く掲げて見せる。

「彼らは魔力を持つ獣だと俺たちは思っている。言語は無く、武器は持っていても木の棒か落ちている石くらい。親兄弟の概念も無い。群れで狩りをするが、奪い合いで仲間割れもする。分かってるのはそれくらい」

 再び戻って来た集落の広場は閑散としていた。掘っ立て小屋から相変わらず苦しそうに熱に浮かされた声や、力ない赤子の泣き声が響いている。

「もう二つこんな感じの筒ありますか」

「ああ。他に何か必要?」

 すぐ駆け出したガウスさんを見送って、村を見回す。確かさっき、見たはずだ。

「……あった」

■■

「これで、粗方の汚れは大丈夫なはず」

 穴ぐらの壁にぶら下げた筒。からちょろちょろ流れ出る水が透明になったころ。ようやく俺は息をついた。貫徹だ。

 夜明け前から降り始めた雨も、今回は悪い兆しにはならなかった。むしろ好都合だ。

 雨水は彼らの食器や洗濯桶に貯め、屋根の下で火を起こして煮沸した。幸いここにはわずかだが儀式用の金属の器があったから。

「すごい、あんなに汚れてた水が……」

「あ、ガウスさ、ん、じゃない?」

「すみません、私はムタ。ガウスさんと同じ戦士です」

「リュシアン、です。こんにち、は」

 きちんと立って見てみれば、確かにガウスさんより背が低い。顔も少し、丸顔な気がする。

「これは飲めるんですか?」

「えと、あの、すみません、まだこっちは確証が無くって……煮沸した雨水は飲んでみたら大丈夫だったので、そっちは問題ないです」

「え! 危ないじゃないですか……うちには回復の術が使える者が居ないんだから無理しちゃだめですよ!」

 ぷくっと膨らんだ頬が可愛らしい。なんとも愛嬌のある顔つきだ。

――こんなふうに心配してもらうのなんていつぶりだろう。

 こくり。生前より幾分重たくなった頭で頷くと、ふわふわの手で頭を撫でられた。

「あれ。なんだ、ムタも居たの」

「リーファさん! この技術、凄いですね!」

「ええ、本当に」

 リーファさんの口調や表情も、柔らかくなっている。

 目を輝かせるムタさんを筒の前へ手招くと彼はぴょんぴょん楽し気な足取りで近づいてきた。

「これは何を使っているんですか?」

「布、砂利、小石、木炭とか、です。一回じゃ綺麗にならなかったり、層の順番を間違えたりしたけど……一緒に考えてくれた人がたくさん居たから、なんとかここまで……煮沸したものはまとめてもらった、ので、えと」

 久しぶりにする会話はどこからどこまで話せばいいかよくわからない。言葉が不十分でも、多すぎても、どっちになっても怖くてつい足元ばかり見つめてしまう。

「すごい! すごいです! リュシアン様!」

「さ、様とか、俺は」

 硬い爪で両手を取られる。だけど痛くない。

 引っ張り出された穴の外では朝日が燦々と降り注いでいる。明るい。暖かい。木々はまだ萎びているけれども、その木陰に座ったアライグマによく似た皆の顔は穏やかだったテントの下でも、水を飲んでいる子供達が笑っている。

「皆、喉が渇いていたんです」

 後ろから覗き込んできたリーファさんが言った。

「でもあの水も、最後に縋るしかなかった恵の雫も、飲めなくて。雨水は多少飲んでいましたが、ある時腹を壊した者が悪化し、そのまま……。それから、皆水が欲しいのに、水が怖くて」

 雨水も場合によっては危険だ。賭けだった。煮沸して、それを飲んで。いつまでも安全とは限らない。結局、元を突き止めて何とかしないと。

 これは一時しのぎの策。

「呪いじゃなかった、それがわかっただけでも感謝しています」

「よかったぁ~!」

 べそをかくムタの目元がくちゃくちゃに濡れている。

「ああ、そうだ! ごめんなさい貴方を探してるっていう人、人? が来ているんだった」

 ハッとしたリーファに背を押される。ムタが子供達に交じってわんわん泣く姿が遠ざかっていく。

 村の入り口の柵まで着くと、情けない猫撫で声が響いていた。

「リュリュく~ん! リュシーちゃ~ん!リュシアンちゃま~!」

「……なんで居るんだ」

 間違いなく、あの月みたいに美しいのに残念過ぎる美青年のカミサマが柵にしがみ付いて喚いている。ただその姿は以前のギリシャとかそちら系統のシューキョー画風

ではなく、執事だとか臣下だとかそういった洋装になっていた。

 なぜ、コスプレ。

 ちゃんとしててもほとんど布でも何でも似合って大変羨ましい限り。今は俺も美少年にされたはずだが。

「なんでって、一緒に落ちてきたからですけど。理想の美少年にした貴方をなんで手放すんです…?」

 甚だ理解しがたいという顔をしているがそれはこっちがしたい顔だ。カミサマとは強欲傲慢を地で行かなければならない規則でもあるのか?

「それで彼は……」

「……はい、知り合いです。残念ながら」

 前途、かなり多難かもしれない。

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