第9話【朝日奈先輩は守備範囲が広い】
「買い物ついでに寄ってみるか」
休日の昼過ぎ。
新しいスニーカー欲しいなと思い、ショッピングモールに訪れていた俺は、誰に言うでもなく一言呟いて気まぐれに本屋に入ってみた。
履き心地と多少の色合い程度のこだわり……うーん……いや。こだわりと言って良いのかすら迷うほど、求めることがなかったためか、靴屋は物の10分ほどで退店。
昼飯はフードコートで済ませたのだが、チャンポンやらたこ焼き、ペッパーランチなど多種多様な店が乱立する中、会社近くにもある大手ハンバーガーチェーン店で済ませたのは馬鹿だと思う。
フードコート来る度に同じ選択肢を選んでしまうんだが、あの現象本当になんだろな。
で、昼食を済ませ、せっかく来たのならと目的もなく道に沿って歩いていたのだが、夏前ということもあってか、異様に女性モノの水着が販売されていたのが気になった。
最近暑い暑いとは思っていたが、もうそんな季節か……となどと思いながら店を物色していた時に、目に止まった本屋に入ってみた次第である。
「別にこれって決めてねーけど、やっぱマンガか」
今は資格勉強はしてないし、小説やファッション誌を読む人間じゃない俺が、唯一楽しく読めるのはマンガくらいである。
店内地図を一瞥した俺は、真っ直ぐマンガゾーンへと赴く。
そこで俺はあまりのマンガの多さに、少しばかり圧倒されてしまった。
これでもマンガ好きである俺なのだが、最近はもっぱら電子書籍ばかりで、紙媒体の“マンガ本”がずらりと陳列している様を見るのは久方ぶりだったりする。
出版社毎に区分された本棚に並べられた本たち。その中から無作為に選んだ1冊の背表紙を指でなぞってみると、自然と口角がつり上がる。
紙の本も悪くない。
そりゃ電子書籍は持ち運び楽だし、気になるコマは
それに長期連載しているマンガの中には背表紙が繋がっているなんて、遊びもある。
「コンプリートセットで4500円か。絶妙に迷う価格設定をしてくれやがるなぁ……」
ぶっちゃけ気分転換ってことなら、1冊2冊買えば満足できるのだろうが、まず間違いなく1冊買ってしまえばそれ以降の巻も欲しくなる。
でも次の巻を買うのに、またわざわざ本屋に赴くのは面倒だ。なら電子書籍で続巻を買えば良いじゃんという意見が脳内から出るが、数秒でその案は却下。
たしかに電子書籍なら本屋に行かずとも、なおかつ紙媒体より安く手に入るだろうけど、どうせ1冊紙の巻買ったなら全部紙の方でコレクションしたいじゃん。
「ならやっぱ最終巻まで入ってるまとめ売りだよな」
決心がついた俺は全10巻のマンガをまとめ買いすることに決定。
綺麗に梱包されているとはいえ、さすがにマンガの束を抱えて帰るのは偲ばれたので、大きめのレジ袋に入れてもらった。
ちょっとした贅沢もしたし帰ろう。
と、その時。
不意に視界の端のコーナーが気になった。
見やれば棚の上段に“BL”……ボーイズラブというアルファベットの手作りテロップの張り紙がされている。
この多様性が大切にされる現代でBLコーナーがあるのは、全く可笑しなことではない。
そう、可笑しくない……可笑しくないのだ。しかしどうしても多少ばかりの色眼鏡が掛かってしまうのも事実。
というのも、大学時代の女友達から聞いたところによると……BL本って結構エロいらしい。
女が好きな男……俗にいうノンケ用のそう言ったコンテンツは18禁暖簾までして隔離するのに、男同士は公にしても良いってのは、ジェンダー的にどうなんですかね?
……ってこれだと論点がズレてるか。
BLに対応するジャンルなら
などと、我ながら心底どうでもい思考で遊び過ぎた。さっさと帰って家でのんびりしよ。
しかし頭でわかっていると言うのに、俺はBL本コーナーから目を離せなかった。
1秒、2秒と経つごとに増す違和感と、この違和感を知りたい欲求が膨れていく。
とにかく、改めて件のコーナーへと目をやると、
「…………あ」
さっきからBLコーナーから動かず、本を物色しているっぽい女性のお客さん。その姿に見覚えがあった。
「なにやってんすか先輩」
「あ、明斗くん!?」
長い金色の髪は後ろで大きなポニーテールとしてまとめられており、小柄な身長とそれに対してやや肉感強めの身体のラインが夏を感じさせるレモン色のブラウスを内側から押し上げている。
ここ数ヶ月最も近くにいる人を間違うはずなどない。
声をかけると人違いではなかったようで、よく通る声色で驚いておられる。
「こんなところで奇遇だね」
「そうっすね。会社から遠いし、たしか先輩も家は別の街っすよね?」
「うん、今日は気分転換に……って、何も決めずここまで来たんだ。別に買い物しなくても色々眺めてるだけで楽しいしね」
と、言葉通り先輩は本当に何も買う予定がないのか、ハンドバッグ以外にエコバックや買い物袋を持っている様子がない。
せっかくなら何か買い揃えればいいのにと思ったが、見て回るだけでも楽しいのは俺も激しく同意だ。
社会人になると、学生時代にあったイベント事が一気になくなってしまい、外出といえば家と職場の往復だけになりやすい。その上1人暮らしとなれば、「どーせ自分だけだし」と言い訳を重ね、料理を出来合いのモノだけで済ませてばかりいたりと、目に見えて
だから多少無理してでも遠出したり、ちょっと贅沢するのは精神衛生上良いことだ。…………と、この間テレビで見た。
「色々眺める……ね……」
ただ美的センスやリラックス効果を感じるモノは、各々の主観や趣味嗜好に依存するわけで。それは暗に他者からの共感を得られない場合もあると言う意味でもある。
先輩から外した視線を右隣にある本棚へとスライドさせる。
そこには、細マッチョで切れ長の目が特徴的な2人の男が、半裸で今にもキスしそうな距離で見つめ合っているイラスト広告が貼りだされていた。
「こ、これは違うから……」
「否定しなくても良いっすよ。一応理解は全くないわけじゃないんで。先輩みたいな人って軽い《ライト》腐女子とか、腐女子エンジョイ勢っていうんでしょ」
「違うから!」
「そんな頑固に――――」
「アタシ、ライトとじゃなくて結構ガチな方!」
「そっちかよ!」
甘く見るなって意味の否定とか想像つかんわ。
「それに
どうやらウチの社長は想像以上に業が深いというか、深淵にいらっしゃたらしい。
むしろこれまでよく隠し通せてたな。カメレオン並みだろ……。
前半のカミングアウトのインパクトが強すぎて、後半は何言ってるのか分からなかったが、先輩はジェンダーにも造詣が深い。そう心にメモっとく。
「明斗くんは買い物?」
「ええ、靴が傷んでたから。それと……こっちは完全に衝動買いっすね」
右手と左手にそれぞれ抱えていた購入品を交互に挙げて答えると、先輩は手に持っていた、推定BL本を丁寧に本棚に直して、
「おおっ、まとめ買いとは明斗くん。かーなり気前が良いね」
「なんやかんや、ほどほどに頂いてますからね。来年度はもう少し上澄みしてもらえると嬉しいっす」
「うぐっ……まだ今年の半分も終わってないのに、来年のこと考えたくないよ……」
オーバーリアクションでのけぞる先輩だが、顔が本気で嫌そうな様子。考えてみりゃ、そりゃそうか。
社員数2名。普段の業務は当然ながら経理や確定申告、経営……儲け以外の部分まで自分たちでやらなくちゃいけないのだ。
それに朝日奈カンパニーはまだ設立して日が浅い。確定申告などの手続きを外部を依頼するにしても
「あの、先輩――――」
「うん! 悩んでも仕方ない!」
どうにか話題を変えようと、何も考えが思いつかないまま俺が声をかけたのとほぼ同時。
先輩が「ぞいっ!」っと、硬く握られた両拳を胸の前に掲げた。ブラウス越しにも“揺れ”が確認された豊満な胸に一瞬意識を奪われていると、先輩はさっき棚に直した本をもう1度手に取る。
「明斗くん待ってて、直ぐ買ってくるから」
「待ってて……別に」
今日、俺たち一緒に来たわけじゃないじゃん。その言葉を紡ぐ前に先輩はレジの方へと駆けて行った。
昨今はコンビニを始め、スーパーに寿司屋。果てはアパレルショップまでもセルフレジ化が進んでおり、この本屋も例外ではない。
丁度混んでいなかったのか、先輩はものの数分とせずに戻ってきた。
「お待たー。じゃっ、行こっか」
「いや行くってどこに?」
「お茶しにだけど。
「ここで解散って言う選択肢はありませんかね? 休みの日まで同僚といるの、先輩だって疲れるでしょ」
「全っ然。むしろ休みのだからこそ社長と社員の関係なんて考えないで、色々話そうよ。無礼講ぶれいこーっ。……と言うことで社長命令。お茶に付き合いなさい」
「わー、社員への気配りができたアットホームな会社だなぁ」
そんな短い軽口の応酬を終えると、先輩は堂々とした姿勢で本屋の出入り口へと歩みを向ける。おそらく先刻言っていたカフェかフードコートに向かうのだろう。
俺が付いてくることを全く疑わない後ろ姿を数秒眺めてから、頭1つから小さい背中を追って、横に並ぶ。
視界の端に映る先輩が、1度こちらに視線を投げると、ぱあっと笑顔の花を咲かせた。
「あーだこーだ言って、結局付いてきてくれるよね明斗くんって」
「これでシカトして帰ったら月曜からパワハラされそうなんで」
「
そりゃちょっとしたことでも根に持って
「ねぇ、アタシに幻滅した?」
と、先ほどまでの雰囲気と打って変わり、唐突に朝日奈先輩が問うてきた。
穏やか……ともすれば神妙ともとれる1トーン低くなった声色。振り向くが彼女はそっぽを向いており、ブロンドの髪の後頭部と対面するのみ。
茶化し……じゃないよな。
理由などわからず、何故そう思ったのかすらも分からないが、コレはおふざけや演技じゃない。そう感じた。
だから俺は真剣に答えるべく、歩み続ける自らの足に視線を落とし思考をまとめる。
休日のショッピングモールという、他人の往来が激しい中。周囲の喧騒が遠のき視野が狭窄していく。
俺から見た朝日奈雫という人物は――――。
「まぁぶっちゃけて言うと、幻滅したっていう言葉は正しいのかも」
「…………」
「大学にいた頃の先輩は華があって、お淑やかで、男が描く理想のクールビューティって感じが強かったっす」
「うん」
「そん時と今、一緒に仕事してる先輩が同一人物なのかって今でもたまに思うくらいには違うかな。顔思いっきり崩して笑うし、酒は安居酒屋のジョッキビール美味そうに飲むし、我儘でヒスるし割と下ネタも言って、BLとか結構濃い趣味もあって……」
「改めて聞くとヤバいね、アタシ」
最初抱いていた印象との差がまるで対象的に変わる。これは幻滅といっても過言ではないだろう。
けど――――。
「俺は良いと思いますよ」
「え……?」
「本人に言うのも恥ずいんすけど、実は大学の時の先輩に憧れてました。でもそれは高嶺の花って感じで、自分とは違う世界にいる人だとも思ってさ……。だからこそ今の馬鹿みたいに口開けて笑って、アホなこと言いながら話せる親しみやすくて手の届く距離にいる先輩も俺は好きっすよ」
薄々感じてたが言ってて恥ずいな。
こんなベタベタな学園友情モノみたいなセリフを、まさか齢20を超えてから言うことになろうとは。ホント学生が言ってもギリなのに、20歳半ばに掛かろうとしている奴が言おうものなら青春の欠片もないただの黒歴史だ。
しかも俺の羞恥心を掻き立てる要因がもう1つ。
「そっか……フフッ…………そっかぁ」
必死に笑いを堪えようとしている先輩である。
なんとか落ち込んでいた先輩の機嫌を直すことはできたけど、俺の精神的負担がデカすぎる。
「ならこれからもっと親しくなるために、一緒の時間増やしましょ」
「あ、遠慮させて頂きます。プライベートも大切にしたいし」
「アンタねえ!」
パンッ! と華麗なローキックが俺の膝裏に決まった。
**********
【あとがき】
拙作をお読み頂きありがとうございます。
ただいま本作はカクヨムコンテスト10に参加中でございます。
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