第6話【朝日奈雫は呼ばれたい】



 週始めは毎回、いつもより少しだけ早く出社するのが俺のルーティンである。

 土日の休みが明け、労働漬けの毎日が始まる1週間で最も億劫になる時分。だからこそ気合を入れなければ! と思う。

 

 普段と変わらないはずなのに、どこか閑散とした雰囲気漂うビルのロビーを抜けエレベーターに乗り込む。

 ものの数秒で目的の階へと到着した俺は、【朝日奈カンパニー】という表札プレートが目印の扉に、鞄から取り出した鍵を差し込んだ。


 電車で通勤している社長はダイヤの都合上、俺より先に出勤することは基本的にない。……あの人、朝苦手そうだし。

 故に朝の準備も全部俺がやっている。


 デスク周りや、まだ数回しか使われたことがない客間の掃除に、ゴミのまとめ作業。自分と社長が使うパソコンを立ち上げ、メールの確認。

 それが終われば小休憩としてコーヒーブレイクすることもあれば、やる気次第で早めに仕事に取り掛かる時もある。ちなみに今日の気分は前者だ。


「おはよー」

「あ、社長。おはようございます」


 と、俺がコーヒーを淹れたのとほぼ同時に社長が出社した。

 ノースリーブシャツをきっちり丈の短いタイトスカートに入れ、首から社員証を掛けた姿はザ・バリキャリみたいなオーラが凄い。オーラだけは。


「明斗くんコーヒー飲んでるの? じゃあついでにアタシにも入れてー。ミルクは――――」

「ミルク無しで砂糖たっぷりですね。わかってますよ」

「さっすが明人くん。しっかりアタシの好みを把握してくれてるなんて、愛してるゼ!」

「はいはい俺もアイシテマスヨー」


 さぁ今週も社会人ライフ頑張ってこ。



 **********

 

 

 他社は知らんが、弊社“朝日奈カンパニー”の普段の業務はオフィス内で完結する。

 基本的には取ってきた、あるいは依頼された案件に沿ったモノを作るか、電話で営業をかけるか。先週末の俺のように己が足で営業に行くのは週に1回あるかどうか程度の頻度しかない。

 それにウチは社員2名の限界ギリギリの少数で会社を回しているため、余裕がない時は電話での営業もままならないこともしばしば。


「明斗くーん。こっちの3件終わったから休憩ついでに確認お願いねがちゅるー」

「りょーかいっす」


 社長の意味不明な言葉混じりの声に、パソコンの画面から頭を上げると、社長が手招きしていた。

 

「よっこい……せっと、タタタタ……」


 結構な時間同じ体勢でいたものだから、身体が凝り固まって痛てぇ。

 立ち上がった俺は軽く身体を捻って筋肉を解してから、数メートル先にある社長の席へと移動する。

 前の会社では情報共有はパソコン間でパパッと済ませていたが、今は直接赴いて指摘した方がすぐ様手直しもできるので、案外アナログ的なやり方も悪くない。何でもハイテクになりゃ良いってもんじゃないな。


「この3件、今日書いたんすか?」

「そだよー」


 ケロッとさも普通のことのように答える社長だが、デスクトップに映し出された文字列に俺は、驚きを禁じ得なかった。


 ウチに舞い込む依頼というものは、大きく分けて2種類存在する。

 “ウェブサイト”か、“ウェブページの製作”。

 似たようなモノだが、商品やスポットの紹介が大抵プリント数枚で済むウェブページと、ウェブサイトそのものを作るのでは、製作コストも時間も大きく変わって来るのだ。


 前者の依頼は月に数件ほど。一方で後者は結構な数の依頼を貰えている。

 というのも“ウェブページ製作”の主な依頼内容は“新商品や施設の紹介記事”やネットニュースの代行といった、“文主体”で1件あたり数千から数万円ほどの比較的安価な単発の案件。

 プログラミングの知識を必要とせず、最低限のWordが知っていればできるので、だいたいこちらの仕事は社長の担当だ。

 依頼件数が多いのは、依頼主側は依頼費用コストを下げようと、会社の歴より製作費用を重視する傾向が強く、その点から安く価格設定しているウチに仕事を回してくれやすいのである。

 もちろん1件あたりの利益が少ないので薄利多売となるが、数をこなせばいずれ箔もついてくれるはずだから、最初から何もかもを欲するのはNG。


「この2件目なんですけど、不自然に文区切ってるのはワザとですか?」

「どれどれー? そうそう。クライアントからの指示でその行間に指定の画像貼っ付ける予定なの」

「なるほど……。なら誤字脱字はないんでコレで良いと思います」

「はーい」

 

 残念ながら俺には文才と言うものがない。

 読書をするといえば漫画か良くてネットニュース。何度か面白かったアニメの原作ラノベを読んでみたものの、そのうちアニメ第2期やるだろと投げてしまう。

 そんな俺が社長の書いた記事で確認することなんて、精々明らかな誤字脱字を探す程度だ。

 

「それにしても午前中だけで3件片付けるなんて、社長スゲェ早くなりましたね」

「フフンッ! まぁそれほどでもあるかしら。まっ、アタシくらいになれば記事の2つや3つ朝飯前よ」

「ハハハハハ。調子に乗っておられる」

「急に辛辣になるわね!?」

  

 天狗になって小さな仕事の大切さや、些細な気遣いを忘れちゃ駄目だからな。大事なのは自分たちの実力を正しく認識し分を弁えること。

 褒めるところは褒めるが、図に乗ってる社長トップを落ち着かせるのも部下の仕事なのである。


「ところでさ」


 そんな前置きをした社長は、右手の親指と人差し指でシュッとなった顎を挟んで、どこか神妙な顔つきとなった。

 空気が変わったことを察知した俺にも緊張が走った。姿勢を正し社長の言葉を待つこと数秒。十二分に溜めを入れた社長の口が動く。


「その“社長”って呼び方辞めない? 距離を感じると言うかさ……おおやけの場以外はもっと仲良く行こっ」

「————————っ」|


 絶句を禁じえなかった。

 たしか俺の記憶が正しければ、先週末に2度ほど同じ類の指摘を受けたはずなのだが……。


「この前、仕事中はきっちり社長呼びって言われた思うんすけど?」

「だってアタシと君の仲じゃない。今さら社長とか社員だとか線引きなんてナンセンスでしょ? だから堅苦しい敬語もなしなし」

「すげぇこの人。この前と言ってることがまるっきり違うぞ……」


 人格複数持ってらっしゃる? と疑いたくなるほど清々しいまでに正反対な主張に、イラつきや辟易といった感情はなく、いっそのこと感心が湧いてしまう。


「だからね、これからは社長なんて他人行儀な口調はなしで、アタシのこと好きに呼んでくれたらいいからね。君ならし……雫って、彼氏みたいに呼んでくれても――――」

「了解っす、朝日奈先輩」


 なんかモゴモゴ言ってたせいで、最後の方聞き取れなかったが、おそらくもっとフランクに行こうぜってことだろう。

 再び社長呼びから先輩呼びへとシフトした俺は、その後小休憩を終えてまた自分のデスクへと戻っていく。

 先輩は心なしか気を落としているように見えた。


 まぁそんなこんなで、今日も朝日奈カンパニーはゆるーく営業中である。


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