恋の伝道師オネエ

 平日の昼、日勤の兵士たちで食堂は今日も大賑わいだ。

 そこかしこから男たちの雄叫びが聞こえ、それに呼応するように厨房から野太い女性言葉が返す。今日もここは安定して動物園だ。


 だがしかし動物園でも出る食事は美味しい。白パンとまではいかないが程々の硬さのパンに野菜と肉がふんだんに入ったスープ、それとメインの肉料理。僕はそんなに量を食べる方ではないため最初に配給される分で十分に事足りる。


 けれどここは動物園。足りない人の方が圧倒的多数だ。だからいつでも厨房は戦争なのよと料理長であるそこらの兵士より余程体格の良い人が言っていた。


「……スタク」

「何、ヤード」

「あの、隣のルー…」

「誰、それ」


 ガアン、と隣で馬鹿が頭からテーブルに突っ伏している。きっと額を強かに打ち付けたのだろうが、そんなものは僕にはどうでも良い。


「ところでヤード」

「この空気で俺に話しかけるのはそれは死刑宣告と同義なんだけどそこら辺お前どう思う?」

「言ってる意味がわからない」

「隣見ろよ。お前のことずーっと見てるぞ」

「僕には見えないから」


 パンを一口大に千切ってスープに浸す。この食べ方が行儀が悪いと知ったのは学園に行ってからだった。魔力があればどんな出自であれ入学を義務付けられる学園には様々な人がいた。


 僕と同じ田舎者もいれば、馬鹿のように由緒正しき血筋のやつもいる。最初に僕にこの食べ方はダメだと指摘したのは誰だったか、忘れる程昔だったかなと思いながらスープを吸って重たくなったパンを口に運ぶ。うん、美味しい。


 僕の向かいに座っているヤードは困ったように眉を下げていた。

 ヤードと僕は学園での同期で気心が知れている仲だ。短い癖のある茶髪に程よく焼けた肌、そばかすの浮いた顔はどこか愛嬌があって学園でも兵舎でも可愛がられている。

 優しげな顔立ちの通り性格も柔らかいヤードはいつだって穏やかな顔をしているのに、ここ数日は何やら疲れた顔をしている。その原因を知っている、というか原因を作り出しているのが自分だとわかっているから罪悪感はあるけれど、生憎僕は態度を軟化させるつもりはない。


「アルぅ…」

「……スタク、その」

「僕の隣には誰もいない。いたとしても僕はそいつのことなんて知らないし、関係無い」

「うわぁ」


 悲惨な顔をしたヤードが僕の隣を見ている。というかこの席に周りにいる人たちは食事を進めつつこちらの様子を気にしているのがなんとなくわかる。

 正直その視線や意識が気にならないと言えば嘘になるが、それもまた僕には関係無い。

 シリウスとの事故があってから一週間、僕は未だに会話すらしていない。目も合わせなければ存在そのものを無いものとして扱っている。我ながら子供染みていると思うのだが僕の怒りは一週間経った今も持続している。


「…いや、でも、その、ほら。スタクじゃないと、飯も食おうとしないし」


 怒りが持続する要因は事故だけではない。

 あからさまに溜息を吐くと隣の置物が肩を揺らした。


「…そいつに伝えろ。余計に腹が立つって」


 空気が凍った音があるとするならばそれはきっとこの状態なのだろう。

 いつもは騒がしいはずの食堂の一角が静まり返っている。誰もが発言をしない中僕はさっさと食事を続け、食べ終わる間際になって隣の置物がのっそりと立ち上がって肩を落としながら厨房の方へ行くのを感じた。

 それにあからさまに安堵の息を吐いたのはヤードだったが、周りも同じ様なものだ。


「…スタク、その」

「迷惑掛けて悪い。そのうちいつも通りになるから」

「…そのうちとは、具体的に…」


 この状況があらゆる方面に気を遣わせていて、長引くのは良くないというのはわかる。誰が見てもそうだと思う。なぜならシリウスのモチベーションが過去最低に低いからだ。


「そのうち」


 そうだとしても、僕は早々に元の関係に戻ろうとは到底思えなかった。


「そのうちかぁ…」


 それから少ししてシリウスがトレイに乗った昼食を持って僕の隣に腰掛ける。わかりやすいくらいに落ち込んでいつもなら大口で食べる料理も今はちまちまとお上品に口に運んでいる。その様子を視界の端に捉えつつ、僕はメイン料理であるステーキの最後の一枚を口に入れた。しっかりと噛んでから飲み込み、もう食堂には用がないとばかりに食器を持って立ち上がる。

 背中に色々な意味を持った視線が突き刺さるが僕は振り返ることなく食器を返却口に持って行く。


「ごちそうさまでした」

「今日も綺麗に食べてくれてありがとうスタクちゃん! アタシ嬉しいっ」


 ぬっと厨房から顔を出したのは名物料理長のビビンさんだ。ビビンさんはとにかく逞しい。上腕二頭筋なんてはち切れそうだ。僕よりも全然兵士らしいが、身につけているピンクのフリルが可愛らしいエプロンが彼がここの長なんだと知らせてくる。


「ところでスタクちゃん」


 肉厚の唇を赤い口紅で彩ったビビンさんが手招きする。大方何を言われるか予想は付くがまあ良いかと思いながら顔を寄せると後ろでガタンと大きな音がした。


「やだ余裕ないわねあの子。ねえスタクちゃん、大丈夫なの?」

「大丈夫とは」

「ルーヴちゃんよぉ、あの子もうなんかすごいわよ」

「モチベーションのことですか」

「違うわよぉ!」


 ぺん、と肩を軽く叩かれて首を傾げる。ここ数日話し掛けてくる人たちはこぞってシリウスのモチベーションの低下についてだとか僕との間に何があったのかだとかを聞いてきたが、どうやらビビンさんは違うらしい。

 ビビンさんは今誰かを心配している顔だ。そしてその心配はシリウスに向けられているものじゃない。それは僕に向けられているものだ。


「程々にしておきなさいよぉ。あの子元々待てなんて出来ない子なんだから、やりすぎちゃうとスタクちゃん骨の髄まで食べられちゃうわよ」

「…あいつに食人趣味は無いと思うんですが」

「え?」


 ビビンさんが綺麗に剃られた頭と同じくらい目を丸く見開いて僕を見る。その目は今度は驚愕に彩られていて、僕とその後ろを交互に見た。


「……スタクちゃん、あなた何歳からルーヴちゃんといるんだったかしら」

「十歳ですね」

「その頃からずーっと一緒なの…?」

「ええ、まあ」

「部屋も?」

「はい」

「プライベートって何してたの?」

「? 常にシリウスと一緒でした。目を離すと何しでかすかわからなかったし、なんやかんやあいつは天才なので、刺激もあるし」

「…恋人っていたことあるのかしら」

「シリウスですか? …いや、心当たりは無いですね」

「…スタクちゃんは…?」

「無いです。必要性を感じなかったので」

「ぐふぅっ」


 ビビンさんが胸を押さえて膝を付いた。それに目を丸くしていれば何かの攻撃を食らったかのようにふらつきながらビビンさんが立ち上がり、また僕の肩を掴んだ。


「大丈夫ですか…?」

「ええ、大丈夫よ。想定外のビッグラブを食らって致命傷を負っただけだから」

「致命傷はまずくないですか?」

「スタクちゃん」


 いつになく穏やかな声が僕を呼んだ。それに小さく返事をしてじっとビビンさんの方を見ていればまた後ろからガタガタと音がする。その音の方向をビビンさんはまるで保護者のような顔で見つめ、その顔のまま僕を見る。


「…これ以上は馬に蹴られちゃうからアタシもう何も言わないけど、意地は張らない方が良いってアドバイス、しておくわね。いいスタクちゃん、ルーヴちゃんは子犬じゃなくてとんでもない猟犬よ。しかも多分今相当お腹が空いてるわ。例えるなら目の前に人参がぶら下がってる絶食中の馬よ」

「犬か馬か統一していただけると」

「犬で行きましょう」


 ごほん、とわざとらしく咳ばらししたビビンさんが僕の方から手を離してその代わりびしっと人差し指を立てる。


「とにかく、意地は張らないこと。もやもやするなら話し合うことよ。ちなみにこれは早ければ早い程いいわ。時間を掛ければかけるほどお腹は空くものだから」

「…はあ」

「忠告はしたわよ、スタクちゃん」


 やけに真剣な顔をして深く頷くビビンさんを見ながら僕は曖昧に頷きを返す。


「幸運を祈るわ…!」


 グッと親指を立てたビビンさんが厨房の奥へと戻るのを見て、僕はよくわからないまま出入り口に向かって歩き出した。食堂は相変わらず騒がしかった。

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