第31話 誰ガ為ノ牽制
イージスが作業室から出てきたのはあれから約一日後のことだった。
トロワに変わった部分は特になく、聞けば、「戦闘になればわかるよ」だそうだ。
早速、ノースィスに向けて出発した五人だがその顔はそれぞれ浮かないものであった。
「いよいよ、激戦区……。今回の戦いに、どれだけの現実が待ち受けているのか……」
ヴィオラが不安を口にすれば、ジョーカーも
「ここまで簡単に来れたが、今までがおかしいんだよな」
そんなことを言う。
「これだけの実力を持つ能力者が揃っているんだから、大丈夫だと思いたいが……ニコラの、あの兵器を見たら……なぁ……?」
アーサーも、思うことがあるようである。
「人を爆弾にする薬……あんな怖いものを作る人と、本当に、仲良くできるのかなぁ?」
アリアの言葉に、あの光景がフラッシュバックする。
__ザックが破裂して死んだ。イージスたちを巻き込んで。
あんなものを作ることができる人間は、思い浮かぶ限り、ニコラ=ニーチェの他にいない。
だからこそ、彼には会って、話して、それをやめてもらわなければ困る。だが、
「ニコラさん、昔はもっと人のためになる発明をしていたはずなんだけどな……」
イージスは嫌な予感がしていた。姉の話の中のニコラと、今のニコラ……あからさまに人格が変わってしまっているのである。戦争に人格を狂わされた人は何人も見て来た。彼もその一人ではないかと。正直、怖かった。
鉛のような空が、重く、垂れている。今にも降り出しそうな黒雲。遠くで響く雷鳴。幾度となく打ち上げられている爆発音や銃声。終末を思わせる街である。
イージスは一番先頭に立つと、ノースィスの街を見渡す。
カラスが、泣き叫びながら空を飛んでいる。その下には、骨格が見えるほどに痩せ細った、ボロボロで薄汚れた服を身に纏う人たちが身を寄せ合って震えている。しかし、中にはそんな人々に目もくれずに、堂々と胸を張って歩く、ふくよかな軍人の姿もある。
アリアがイージスの手をぎゅっと握る。足元にいる彼女へ目を落とせば、不安そうな表情が見えた。
イージスはそれを優しく握り返すと、小さなため息を空に放った。
一方、アーサーは周りの人の心を覗きながら歩いていた。その多くが苦しみや憎しみなどに支配されている中、一つだけ、異様な雰囲気を纏った男がいた。
イージス同様、心は読めない。ただ、なんとなく、感じ取ることができる雰囲気。その男の思考を例えるなら、濃霧である。
「お? どうした?」
ジョーカーは、動かなくなったアーサーに声をかける。
「なんだ、あの男」
アーサーが男の方を見ながら呟けば、イージスは大きく目を見開いて、息を呑む。
「……ニコラさん!」
イージスは、肩くらいまである紫の髪を持つ、眼鏡をかけた、黒マスクのその男を、ニコラ、と呼んだ。イージスたちに気づくと、ゆっくりと距離を詰めてくる男。黒く濁った瞳は、人に恐怖を与える。
「君は、あの子の……」
見かけに寄らず低い声がイージスを捕える。と
「ネスの、弟……!」
そのままイージスに手を伸ばした。それを
「気安く彼に触らないでいただきたい」
すかさず、パシッ、とアーサーが弾く。ニコラはギッと彼を睨んだが、諦めたように、スゥーッと長く息を抜く。そして、マスクを外しながら気怠そうに一言。
「……光族は蛮族が多くて困るね」
彼のこの一言に、皆が驚く。普通、能力がバレない限りは光族と闇族の見分けがつかない。「何故……」と問えば
「あまり舐めるなよ。命なんて物心つく前から狙われていた。光族の能力傾向なんて、そいつを見ればだいたいわかる」
なんて答える。
「気持ち悪いんだよ。他人の心を覗き、未来を生き、空間を支配する……よく、生きる世界が違う奴らと仲良くできるね。ネスの言う通り、君はちょっと変わっているみたいだ」
ニコラはギッとアーサー・アリア・ジョーカーを睨みながら話す。これに対しイージスは
「光族も闇族も、楽しければ笑い、悲しければ泣き、腹が立てば怒る。傷つけば血が流れる。死ねば元には戻らない。そういった意味では、同じだと思いますけどね」
ニコラに、例の大金の入ったケースを差し出し
「あなたの時間を買わせてください。取引額はこのくらいでどうです?」
にっこりと笑って見せた。しかし、その笑みに含まれる意味はわからない。ニコラはケースを少しだけ開けると、中に詰められた大金を見るなり、すぐに閉ざす。こんなもの、この国で誰かに見られたら殺されて全て奪われる。それを、白昼堂々と渡してくるのだから、
「……なるほど。余程、その忠犬たちの腕には自信があるようだ」
イージスが命知らずだとは思えない。要するに「襲われても問題はない」状態である、ということである。ニコラはそこで全てを悟り、深いため息を溢した。
「交渉、如何です?」
「脅迫、の間違いだろう?」
ニコニコと笑みを浮かべるイージスに、ニコラは両手を上げ、降参のポーズを取る。
「僕は自分に利益がある方を優先する。今回は君に従うよ」
言葉ではそんなことを言うが、やはり光族三人には冷たい視線が送られる。
「別に、なにかあっても返り討ちにできるし」
ニコラの一言と、それに添えられた笑みにゾッとする。その時、一瞬で空気が変わった。身を刺すような寒気。顕になる怪物の形をしたドス黒い憎悪。底知れぬ闇に、動きを封じられる。
アーサーとジョーカーは理解した。ニコラ=ニーチェ、頭だけの男ではないと。彼もまた、歴戦の猛者である。
下手をすれば、トーマスよりも強いかもしれない。
彼の中には、確かに、死神がいた。
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