デンタル革命

作文太郎

第1話

転生した。



いきなり町中に出現していただけで、何の説明もなかった、職業は小作農であって小さい小屋に家族もなく住み、田畑の借り賃を地主に支払いながら菜っ葉を作る。


全体が粗末に粗末を重ねたような有様で、着衣のすそが揉むと糸の繊維がバラバラに千切れた、粘着質な草の汁を塗りこんで干し、それでようやく形を維持している。


林からかき集めてきた枯葉や沼からさらった水草を焼いたり乾かして肥料としながら、寝起きする小屋に床も満足に敷かれてはいなかった、土の上に枯草をしき、ノミやダニが沸くので定期的に放り出して焼く。


井戸の水は臭くなっていて沸かして飲まねばならないが、それも土に埋もれていた大昔の土瓶に頼っている、火にかけているとよく割れるので遺跡に取りに行くのだが、そちらの建築の方が町で見るより明らかに文化度が上だった。


食糧は主に山野で何か拾うしかない、全て買って生活している者などそもそも居ない。



その中でも特に貧しい部類だがずっとそんな暮らしを続ける以外に道はない、理由も使命もなくただ転移していたのに気づいただけだ。



ある日町に出歩いた時のこと。



人間の繋がれた列が兵士に牽かれていく。



彼らは、呆気にとられたり戸惑った顔をして時折きょろきょろ見渡しながら、殴りつけられ歩いていった。


通りを挟んでいても「ドン」、という鈍い音がはっきり聞こえるほどの力で後頭部を殴りつけられつんのめりながら、髪の先半分が茶色の男が無表情で体勢を立て直して、やはりすぐ何事もなかったように列に戻り歩いて行く。


その様子を群衆は大きな笑い声を上げ、罵声を浴びせ、愉快そうに見送る。


「ニホンジン人てのはこれから首をちょん切られるって時にいつもあんなまぬけづらをしやがるんだ、めんどりでもあそこまで馬鹿じゃない」


「ギルド」からの人夫の手配業をしているゴリアテは愉快そうに笑って手を叩いた、「ニホンジン人の処刑」はここのところ町の人間にとって最も人気のある娯楽の一つとなっていて、断頭台が渇く暇もないという。


一昨年の飢饉で傾きかけた国の財政を立て直そうとしている執政官らにとってはありがたい恵みなのだ。鬱憤晴らしの娯楽を与えれば民はよく働く、それには自分らより下の身分である他所者が無様に屠殺されるさまを楽しませてやるというのが定石だった。


宗教は人間の精神に、政治は人の本質に訴えているのだ。


今のここではそれがむき出しにされている。


作文太郎は歴史書の中の人類の忌まわしい過去が現実としてそこにあるのを感じて眩暈を生じた。人々の、怒れる牛馬のする表情のように剥いた目、きつい体臭のむせかえるような人いきれ、石畳の隙間に食い込んだ不浄ども。


自分の居た国とその時代では生きてそれを覚えているものなどない、忘れ去られた動物性がこの世界全体には粘りついている。日本では中世、どうだったのだろうか?新撰組は公開の斬首を受けたというから、更に古くはこれとほとんど同じ光景だったかも知れない。


「ほうれ、みんな時間のある奴はついてくぜ、ここからがお楽しみよ!ギロチンの錆び落としだ」


市中引き回し…打ち首獄門…。


時代劇では当たり前に聞かれもしたが。



ぞろぞろ…ぞろぞろ…と、くたびれた衣服の市民が処刑場への物見遊山を歩いている、手提げの籠に支度してきた様子の者も居る、子供らの目が輝いていた。


紛争地域で戦闘員の子供が生首を蹴りまわしている姿が動画投稿され、世界にショックを与えたのを思い出した、本当に「衝撃的」と感じていた人間は実際世界にどれくらいの割合居たのだろう?



古い処刑器具が広場に据え付けられており、刃は全体に錆びていたが首が切られると思しい範囲の刃にその斑点がない。使われているうちにそこだけがきれいになったに相違なかったが、ニホンジン人の処刑が行われるようになる前はそこも錆びていたのだという。これまでに何人が処刑されてそうなったのか…。


最初の一人、とうとう自分が死ぬのを理解して涙ぐむ目をしている若い娘の顔が見えた、またその顔の半分が腫れ上がっているのも見て、生きた心地のしないまま、死の瞬間までを目撃した、抵抗も叫びもなかった。


死体は首を失ってから手早く引き起こされる間に高々と血しぶきを吹き上げた、まだ心臓は痙攣を続けているだろう。



特別美女ではなく、何か能力があって助かるでも助けられるでもなく、この非現実的な状況下で、死は現実の人間にふさわしく訪れている。


切り離された首の目玉が数秒、まだ動いてものを見ていた。


ああ現実だ、と、紛れもなくそうだと、物事の粗暴さに納得せざるを得ない。


無造作に転がった首と断頭台に溢れる血。演出された何かではないから雑踏の音と喧噪も途切れなくただガヤガヤとその瞬間をはっきりと区別なく流れ過ぎ、その後も乾いた現実感の中で淡々と死が準備されては打ち下ろされた、明日も明後日も同じだろう。ただ時間がそしらぬ顔して粗暴に流れる。


自分がこの場でどうにかしようとすれば現実はやはり鉄のように断乎として処刑者の末尾に並ぶ事になるだけで終わらせるに違いない。


「彼らは犯罪者ではないから責苦は与えてはならない」という慈悲による計らいで、それ以上の残酷は行われないことになっていた。最初にあの娘が選ばれていたのも凡そ「一番臆病だから」とでも言うのだ、特に理由もなく殺すのを見世物にしておいて妙な慈悲だと思って作文太郎は通念というものの質の違いに閉口した。



ああいう殺されていく連中が何なのかは不明だ、だがいつも、あるべき流れ作業のように殺されている。


だが、…かつての【現世】もつぶさに観察すれば人命に対してそこかしこで同じではなかったか?



教会の裏に身を隠し寝そべっていて、中で説教師と下士官らしき誰かが話す声が壁を伝わって聞こえて来るのが分かった。


話ではその下士官は最近まで王国の周辺民族の居住地域を戒める役目をしていたが、率いている部隊の者が乱暴を働きがちとなり、心苦しさから相談に訪れているのだった。


彼が言うには、周辺民族の暮らしは野蛮な行いが多く信仰心あれば欠かす事のない日々の所作すら誰も行っておらず、そこに苛立った実直な隊員が老婆を蹴りつけるに始まってその他の者も鬱憤晴らしになだれ込んで何も抵抗していない男らや女、小さな子供までを理由なく害した、自分が少しその場を離れていた間にそれが始まって、帰ってみれば怯える村人らを見て更に逆上し幾人かを斬殺するに至っていたと。


その後諫め、信仰において叱責し、今後そのようなことをしないよう指導したが一度乱暴狼藉の味を知った若者の目つきは違ってきていて、他の部隊の者がやはり同じような行いをしているのを町に帰ってから自慢交じり聞かされて不満を募らせている、自分は軍隊というものが見渡せばそんなものであるのを承知しており、軍紀は却って辺境での無慈悲と暴虐を支えとしているものであると理解はしているが、罪に感じどうしても耐えられなくなってきた。


自分の説得力で言う事を聞かせられる内はいいが、後進に代替わりすればそれも終わりになるから元に戻るだろう、そうすれば暴虐も再び野放しになる、それが残念でどうしようもなく、ただ神の御前で、罪なき人の命を絶ってきた行いを懺悔したい。


…確かにそう言っているのを聞いた。


ああ、すすり泣いてもいるのだ…。



まだ当分時代の分け目ではないだろうから、彼は変わり者で終わる、そして忘れられ、革命的時代以前に現れた先覚者として記憶されるのは誰か高名な人間、恐らく高位の僧だ。誰かが天下を平らげて強権で暴虐を禁じねば必ず不満を持たれる。いつか刀狩りのような事をしなければアメリカの銃社会のような状況は終わらない。


いつも少なくとも三者のせめぎあいがある。


一つは少数の先覚者、次に先覚者を奇異に思いつつ旧い考えも嫌っている多数の人間、最後に、ただ感情的に旧いものに依存していこうとする人間。


先覚者は先覚者と言ってもこの全体を見る力に乏しい事が多い。彼らは考えをすぐに変える事が出来るが、それは根なしになりやすい人間であるとも言える。


多数の人間には先覚者と依存的人間の言うことがほぼ区別出来ない。柔軟性はあるが考えも理解も自分では上下左右の見境もないほど粗雑なのだ。


依存的人間は自分が理解できないものに対して排除的であるという欠点が隠れもなくあり過ぎる。だが、人間がどのようなものであるのかの根本的実態を最も理解している人々でもある。


それぞれ判断の中心が頭と腹と足腰にあると言い換えてもいい。



この先どう変わるのか。


元の世界、大昔は人間全体が野蛮であって首狩り族のようなものであったが、少しづつ経済的遣り取りというものが発生して、安定した関係性の中で相互に人として認識していった。千年以上昔には、どこでも自分たち以外の周辺民族として明らかに人間の姿をしていない「亜人」が地誌・外聞として記され、習慣や言語や信仰が人間である証明だったから「誰が人間なのか」は、生物学を前提とする現代人が思いもよらないほど狭いものだったのだ。


そんないがみ合いが力による統一支配で噛み潰されて行った古代・中世の世界像では、人間はこの世の始まりから既に、事実では三百万年を閲していたはずの石器時代を脱している、最初に石槍を作って巨大なマンモスを狩った英雄の伝説を伝える語り部はインドにも居なかった。この記憶喪失はおおよそ一万年前のこと、99.7%の忘却だ。


天も地もない石の時代にも人間は「上」を見てそこを伏し拝んでいたろう。


ただの方向に過ぎない「上」を、「天」を、何故古代既に世界中で崇めたのか?


これは進化史の産物だ、人間は古代以前には居なかった。


記録され持続した「一万年の自我」以外、人間には何もない。


日本人には弥生・古墳時代の事すら神話としておぼろげに伝わっていただけだ、人間の世界とはまだ一瞬の出来事に過ぎない。


…。


作文太郎は、幼い日に見た「ギャートルズ」を黙想し、更に思いを馳せた。



中世的世界では力が民衆を平らげなくては実際、平和が訪れない。あの下士官も度が過ぎれば罰せられる。その後の出来事でようやくだ、人類が人類としての集団であるのを自覚したのは。それから西洋近世の法的価値観や近代の自我、現代のまだ追究されるべき実存、これらの流れは明らかに一代の人間の精神的目覚めの速度に近づきつつある、それは記録情報の質量増大と教育と相互通信が飛躍的に拡充してきた成果だ。


限界いっぱいの進行速度で二百年、再び記憶喪失して、「このような」中世には現実感がない。革命も生き延びて支配的論理だった人間がひと山いくらで消費される計画的戦争による国家経営などもとうに言語道断な思考だ。


個の尊重が徹底されてからでなければ真の平等は実現されないが、多数者が進歩の前後を取り違えて理想国家実現のため「個を滅して全体が存続する」思想に退行してしまった地域が世界の半分に及んだ、退行を選ばなかった地域も、多数者自身の「柔軟性はあるが考えも理解も自分では上下左右の見境もないほど粗雑」である本性のために実存を理解しあぐねている。


これは明らかに「限界の露呈」であって「終点に到達」したのではないが、まだ多数者が全体として自分自身を充分に深めるほど教育を享受できておらず生活も豊かでないため、何が不備なのかを見通していない。


「多様性」と「思いつきを何でも言ってよいこと」とを同列に並べているため、その収拾のつかなさに辟易しているのだ、これはグランドセオリーの追究なしに作られ得なかった機器を使ってあらゆるグランドセオリーの存在を否定する行為を「尊重」しているという状況による。天動説を衛星中継で広めるのも自由の名の下全肯定されねばならない。


また、いたれりつくせりの都市生活者は「それらが何によって成立しているのかの根本的事実」に無関心な傾向がある、必要不可欠な仕事の賃金がいつも一番安かった、それで高給取りがふんぞり返っていたため、「言い勝ること」以外に真実の基準を知らない。


あのような架空の土台を信じる人々が牛耳る空中楼閣の世界がいつか自壊するのはバブルが定期的に証明した。


簡潔に言って、人間同士の多数決での「正しさ」が人間の内輪の世界にしか通用せず、人間の話し合いが米一粒も実らせないことすら理解していない連中が田畑の管理について空想で決めていい権利を「話し方が上手」なので尊敬されて話し合いで全部もぎ取ったのだ。


じつに馬鹿な世界から来たのだと愕然とするがここよりはまだましだ。




帰ってまだ地獄の光景が脳裡から湧き上がり、放心状態の中で自分の掌の細かに白く浮き上がった指紋や皺を眺め、その克明さの中で「チート能力」「ステータスオープン」「ハレーム」などという空想についての言葉を虚しく思い出した。


空想は空想だ。


実際に自分の身に起きてみると、これもやはり現実に過ぎなかった。



「冒険者ギルド」の登録条件には、その歳ではもう「スキル習得」に幅広い適応性が望めなくなるとして原則22歳以後の職業変えは禁止とある。また、34歳を超えると「そこから新人として出発したのでは戦力にならず足手まといだから」という理由で登録を受け付けされなくなり、もう冒険者にはなれず、精神力がそんなに続かないという理由での魔道士全般への定年勧告も34だ、定年を選ぶとそれ以後は教師の職に就くしかない。


戦える者は一生戦えばいいが、普通の人間は報酬の額と戦力としての実力が見合わなくなるからという理由で歴戦のベテランも40歳で仕事を受けられなくなる風潮なのだそうだ。作文太郎は最初から冒険者ギルドに何の関係もない。


そうしてあぶれた人間がどうしても働きたければ奴隷契約か、貴族の小競り合いに僅かな雑穀を求めて盾役として参加するしかない、盾と言っても渡されるのはベニヤみたいなものでできた板で、開戦一番に本隊の前で矢を防ぐ役回りであって普通死ぬ。それでも前進するのは遅れると背中から槍で殺されるからだ。


報酬を惜しんで本隊の兵士にはわざと殺すよう命令してあるとすらいう。それもやり過ぎると誰も来なくなるので加減はしているらしいが、人間の命などそんな扱いの世界だ。



ここのために何かしてやろうという気にならない。



魔法という、爆薬も使わずに人が人を大量に殺せる可能性があるのでこの世界には今後も長らく平和が訪れないだろう、修羅と餓鬼畜生の万年王国に転生した。


呪術が可能であってもそんなものを求めるなという密教の戒めがどういう事なのか明らかだ。しかし、あるべき理法をもたらすべき神仏だけはやはり居ないではないか。


一定の範囲の人間集団を作ると初めは優れた人間集団でも必ず脳にプリインストールされた本性が無意識的に支配力を出してきてくだらん俗世間的エゴの食い合いの生態系に還る。そうなると後は首狩り族まで退化して蘇った原始集団「カルト宗教」が出来上がるだけだ、チャールズ・マンソンは部族の戦士階級としての誇りで性的支配力を持ち「他部族」を殺して回った。


くだらん。あまりにもくだらん。


しっかりとした科学性のある方法で維持された組織が作れない限りカルトになる。それもビジネス本のような机上の合理や事例の伝聞をかき集めただけの低劣な「科学性」ではまったくだめだ。動物的俗世間的インテリ的エゴの食い合いの生態系を相対化できる「不老不死の賢者の集団」みたいなものもやはりここにも無いだろう。


全ての人間は押し流されながら機が熟すのをただ待ち死んで行くしか可能でない時代。




「俺に打てる手は特に無いな」


元々の世界でもゲーム以外に何ら希望のない人生を送っていた作文太郎は生きることに対してあまりにも腹が立ち、枯葉のよく積もる林の奥の向こうへずっと歩いて小高い山に登った。


マウント取りのための軽蔑以外でまったくの他人の自殺を止める奴はそう居ない世の中であったし、そういう徹底して卑怯なハゲタカ共の「逃げるな」「甘えるな」という見解を全て取り払うと社会には人間が生きねばならない根拠が何も残らなかったのが思い出される。


そこには崖があった。



全力で飛び出す。


「異界、お前のためにまで生きてやるつもりは毛頭ない」


下には岩があった、好都合だ。


ありがたいありがたい、という思いがその最後であった。



デンタル革命・完結

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