第6話 喫茶店の娘
「雨もすごいし、もうお店を閉めようかなと思ってたところなの」
女がパタパタと動き回ると同時に薄暗い室内に灯が点る。オレンジ色と赤色を混ぜ合わせた穏やかな灯りにどこかホッとする自分がいた。
女はこれ良かったらどうぞ、と王子にタオルを渡すとまた足早に部屋の奥へと消えて行った。
タオルで濡れた体を吹き終わり、一旦落ち着いて室内を見渡すとテーブルと椅子が何組か均一に置かれている。観葉植物の鉢には『開店祝い』と書かれた紙が刺さっていた。どうやら飲食店かなにかの店だと気がついて、王子は慌てた。
「あの…本当に申し訳ないのだが、オレはここで使える金をまったく持っていないんだ…」
部屋の奥から出てきた女にそう告げた。
体が濡れているせいもあってか王子は自分がひどく惨めに思えてならなかったが、女は「そうなのね」と言うと、すこし考えてからなにかを思いついてこう言った。
「それなら味見に付き合って!
このお店、最近始めたばかりでメニューを考え中なの」
いい考えが浮かんだのばかりに両手をパチンと叩くと、王子をカウンターの椅子に促して強引に座らせた。
「いや、本当に一銭も…」
「まあまあ〜いいじゃない!これもなにかのご縁だし」
カウンター越しに女はにこりと笑った。
そのこぼれるような笑顔に見惚れていると再び声が掛かる。
「さて、味見係さん。なににしますか?」
カウンターに置かれたメニューを広げる。それほど多くは無いメニューの中で1番上に書かれているものをお願いした。
女は袋の中から茶色の豆を取り出すと機械に入れてスイッチを押した。機械の中で茶色の豆が粉砕しているようだ。
「…このお店、始めたばかりって言ったけど本当は違うの。父が始めたお店でね」
…機械の音が大きくて、よく聞こえない。
多分女の様子から真面目な話をしているように見えた。その様子に答えて王子は真剣に聞いている顔を作った。雨を凌ぐ屋根ばかりか、こうして飲食まで提供してくれるのだ。
残虐非道の魔物を統べる魔王の息子とはいえ、礼節を欠いてはならない。
なにより、なにかひとつでも彼女の役に立ちたいと言う思いからだった。
「お父さんったらたくさん借金作っちゃって…逃げちゃって…。
お金返す為に色々アルバイトを掛け持ちしてるんだけど、なかなか上手くいかなくて…」
お、お父さんが…お父さんがどうしたんだろう?全然なにも聞こえない。どうしよう。
「向いてないから辞めないよって言う人もいるんだ。確かに…お父さんの時から来てくれる常連さん以外には全然…お客さん来なくてね」
王子は聞くことを諦めとにかく、自分が出来る最大限の真剣な顔を作った。それしか出来なかったのだ。ここでよく聞こえないなんて水は差せなかったし、差したくも無かった。
「でも、私…」
機械がようやく止まった。
機械から粉を取り出すと、円錐形の紙の中へと粉を入れた。差し口の細いポットを手に持つと粉の上からお湯を注ぐ…フワァっと良い香りが鼻腔を刺激した。
「私、ここにきてくれる人の居場所を守りたいって思って」
円錐形のフィルターに濾された湯がやがて染み出して澄んだ黒い液体へと変わり、カップへと落ちていく。
自分だけが大変な目に合っていると思ったがどうやら魔界から遠く離れたこの地でも頑張っている者がいたのだ。
カップの上から立ち上る湯気の中にかつての幼い自分を見た気がした。
父上のために…いや、この魔界に住むすべての者のために働こう。魔界の住人たちが勇者の脅威に怯えないで安心して暮らせるように、そのためには自分の命など惜しくは無い。
それが時を経つにつれて自分の弱さや周囲の声に惑わされていつの間にか見失っていたようだった。彼女の一言で気付かされた。
「あ…」
「はい、ご注文のコーヒーです!」
初めて会ったばかりなのに身の上話なんてしちゃってごめんね!でも、もうお店閉めようかなと思った時に、貴方が来てくれたからなんだかうれしくって…。
彼女は早口にそう言ってから恥ずかしそうにふふっと笑った。その笑顔に王子は自分の心臓が高鳴るの感じた。
「ここをまだ必要としてくれる人がいるんだから、私がんばらなくっちゃ!」
「アンタは…十分がんばっているよ」
そう言って王子は目の前のカップを持ち上げると口に運んだ。
「!!!!?」
このぬるりとした食感…トロリとした舌触り…なによりこの少しでも咀嚼を怠ると喉に詰まる危険な喉越し…オレはコレを知っている。
しかも、ついさっきまでオレはコレを食べていた。
ま、まさか…!?
「こんにゃくコーヒーはお口に合った?」
にこりと笑う彼女に、王子はごくりとこんにゃくコーヒーを飲み込んだ。
(*王子は特殊な訓練を受けていますので、人間族の方がこんにゃくを食べる時はよく噛んで食べましょう)
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