跪いて愛を乞い願う

橋本しら子

第1話

「あの時の約束通り、あなたにお遣えするため参上仕りました」


 跪き、頭を垂れる若き将軍は、薄い青紫色の髪を揺らしながらゆっくりとその面を上げる。

 十中八九、誰が見ても美丈夫だと返ってくるだろう。その男のアクアマリンをはめ込んだような美しい瞳は、穏やかな色とは裏腹にギラギラとした熱量と恍惚を孕んでいた。それは惜しみなくただ1人にのみ向けられている。


「リュージ様、私の命は生涯あなただけに捧げます。どうか、この命尽きるまでお側にいることをお許し下さい」


 乞い願うその姿はまるで神に祈るようだった。その溢れんばかりの思いの丈を真正面からぶつけられたリュージは、人生でも指折りに入るほど困惑した。


 

 あの熱い思いをぶつけられてから、果たしてどれほどの時間が過ぎただろうか。

 リュージこと、草薙竜司くさなぎりゅうじは執務室の窓越しに澄み渡る空を眺め、当時の出来事を思い返していた。

 書類作業に疲れていた肩を鳴らしながら、大きく一息吐き出す。


「あんときのガキがまあ、でっかくなったもんだなぁ」


 彼と出会ったのは、あのときが初めてではない。もっと、ずっと昔に出会っている。それはリュージにとっても忘れることのできない出来事だったので、今でも昨日のことのように思い出せる。


「もう20年近く経ったか……早いもんだ」


 この世界に飛ばされ、既にそんな時間が過ぎていたかと思うと、なる程彼の成長も頷ける。どうりで自身も老いたはずだと、リュージは小さな溜息を吐き出した。

 草薙竜司は刑事だ。正確には、刑事だった。捜査中に気が付けば異世界へと飛ばされていた。きっかけはわからないが、雑踏にいたはずのリュージは一陣の風が吹き抜けた次の瞬間、見ず知らずの土地に1人佇んでいた。

 その土地の名がセレニア帝国領だということは、帝国軍の人間に保護されたあと知ったことだった。


(あれは、忘れたくても忘れられない日だったな)


 セレニア帝国領、王都クラトリア。その王都の端くれに存在しているスラム街。リュージはそこにほど近い場所へ飛ばされた。それが異世界転移だということも、リュージを保護してくれた男が教えてくれたことだ。

 スラム街はタイミングが悪いことに、何者かの襲撃を受けている真っ最中だった。なに1つ状況を把握できないまま、リュージはスラム街を駆け抜けた。そして出会ったのだ……今よりもずっと幼い頃の、かの男に。


(あいつは俺を恩人だと言うが……あいつこそ、俺にとっての恩人だ)


 あのとき彼に出会っていなければ、どうなっていたのかは知る由もない。しかし、出会ったからこそ今の自分がいるのだとリュージは確信していた。


「おや、休憩中でしたか?」

「まぁな。なにかあったか、セドリック」


 軽いノックのあと、静かに入ってきたのはセドリック・ラグレーン。クラトリア帝国軍の宰相であり、帝国軍総帥の側近である男だった。

 眼鏡をかけ、長く伸ばされたブロンドの髪は左サイドで緩く三つ編みにされている。

 常に笑みを浮かべている物腰が柔らかそうな見た目ではあるが、反して中身は腹黒いことをこの数年嫌というほど思い知らされているた。


「閣下にお目通し願いたい書類と、ご報告が1つ」

「書類なんざあとで良い。先に報告をしてくれ」

「御意に。では報告から……ハイス将軍が魔物討伐より帰還されておりますよ」

「あぁ、戻ったか」

「彼のことです、すぐにでもこちらへ来るでしょう」


 だからその間に書類を片付けろと、セドリックが笑顔で静かに圧をかける。年々遠慮がなくなってきたと、リュージは観念して書類を受け取った。軽く目を通し、必要な場所にペンを走らせサインを記入していく。それに満足したセドリックは、このあと訪れるであろう来客とリュージのためにお茶の支度を始めるのだった。

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