満月は沈む
用意された薬は、ことごとく輝姫の体に合わなかった。現在出されているのは、咳止めと解熱剤だ。それの効きも、普通より悪い。医者も首を傾げていた。ここまで薬が合わない人は初めてだという。
「前世で命を奪った報いかしら。」
機械の動く音だけがする病室で、ひっそりとつぶやく。再びひどくなってきた頭痛に顔を顰めれば、それは余計にひどくなった気がした。普段なら痛みを抑えるように魔法を使うが、病気の治癒に体力を奪われている今、魔力は体力に変えて進行を抑えているため、少しの消費でも致命傷になってしまうので使えない。
「もうだめね。」
いつの間にか口癖になってしまった言葉がポトリと落とされる。目を閉じれば、そこは完全な闇だった。外で誰かが話す声が聞こえる。今日退院できることになった、君枝の明るい笑い声が聞こえる。最近認知症の症状が出始めた君枝は、もしかしたら輝姫のことを忘れているのかもしれない。または、輝姫が未だ入院中であることを忘れたか。
「よかったわね、おばあちゃん。」
輝姫はそっとつぶやいて、布団を頭まで被った。誰の声も聞こえなくなり、輝姫は浅い眠りについた。
「中山先生!」
朱音は教卓に勢いよく手をついて、下から睨みつけるように見上げた。教室に入って早々何があったのかと驚いたものの、なんとか平静を取り戻してニコリと微笑む。
「どうしま」
「輝姫はどこに入院してるのか教えてください!」
言葉を遮って叩きつけられた言葉に、中山は眉を八の字にした。困っているような表情だが、これはただどう対処しようか迷っているだけである。たとえどれだけ金を積まれようと、しつこくされようと、彼は絶対に個人情報を漏らさない。
「先生ぇ…」
しかしここで朱音は秘技、泣き落としを使った。その名の通り、ただ泣くだけである。
「いや、しかし…」
さらに朱音は涙で潤んだ瞳を中山に向けて、健気な女の子を演出。中山は一分間、必死に耐えた。しかしその間にも、次々と涙が溢れていくのを見てあえなく折れる。女の涙には弱い。それが中山だった。むしろ今回はよく耐えた方だろう。
「…田中木総合病院です。」
肩を落として告げると、朱音の涙がぴたりと止まった。え、と中山が驚いている間に、朱音は満面の笑みで振り返った。透馬に向けて親指をたて、向き直る。
「ありがとうございます!」
嘘泣きだったと中山が気がついた頃には、朱音は自分の席に戻っていた。
輝姫は、少し細くなった智美を見て顔を歪めた。努めて明るく話す彼女は、その語尾が震えていることに気がついていない。
「そうそう、輝姫がいつ帰ってきてもいいように、お部屋をきれいに」
「しなくていいわ。」
輝姫の口は、勝手にその言葉を紡いでいた。智美が息を呑んだことに気づいていながらも、輝姫の口は動くのをやめない。
「体調は悪化する一方。担当医からは何の説明もされない。私でもわかるわ、進行しているんでしょう?お母さんもわかってるはずよ。」
腕についている針が、なぜか痛む。先ほど腕の位置を少し変えたからだろうか。
「もしかしたら…いいえ、私はもうだめでしょうから。もう励まさなくても良いわ。」
彩さん、と付き添いの看護師の制止の声が聞こえた。それに眉を顰めて、輝姫は壁の方に体を向けた。
「出ていって。」
冷たい声が、病室の中にポトリと落とされた。智美が動揺する気配が伝わってくる。しかし今はそれすら、輝姫の癇に障った。
「出ていってと言っているでしょう!早く出ていって!」
布団をぎりりと握りしめる。だが、落ちた筋力ではあまり力も入らなかった。
「お母様、今は…」
看護師が智美を促し、二人は静かに病室から出ていった。人の気配が消えたのを確認して、智美は仰向けになった。そっと天井に手を伸ばす。見えた腕は、痩せ細っていた。
「空って、どんな色だったかしら。」
輝姫の瞳に映るのは、無機質な白の天井だけだった。
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