ep.1-2 皇都を出て(2)

 ソルモンテーユ皇国は水の国だ。


 西側の国境を為す山脈から流れ出る河が幾つもの支流に分かれ、平らかな大地へと流れ込む。

 そして海側からも皇都ロークレールから湧き出す水が河となり、山から流れる河川と絡み合うようにして、複雑な水脈を為していた。


 ゆえに皇国では陸路よりも、それらの河川を船を使って行き来するのが主流となっている。



 現在、ディートヴェルデたちが遡っているこの大河は、皇国の東西を結ぶ一番大きな河川で、運河として整備され、主要道路として扱われている。


 この航路を使えば、海沿いに位置する皇都から、内陸にある辺境伯領までほぼ一直線というわけだ。

 距離はとてつもなく長いが。




 出発から2〜3時間は経っただろうか。

 景色は皇都の画一的で格式高い建物群から、煉瓦レンガや色とりどりの漆喰で作られた建物が増えてくる。


 皇都の裾野に広がる町並みは、水際ぎりぎりまで壁が迫ってくる。


 両岸が整備されている大河はゆったりと開けているが、小さな運河は狭く薄暗い裏路地のような様相を呈する。

 そんな小運河の暗がりを横目に見つつ、2隻は大河を遡ってゆく。


 周辺街を背にし、建物の数もまばらとなってきた。代わりに長閑のどかな平原が視界に広がる。

 ソルモンテーユ皇国の内陸部に差し掛かった合図だ。


 しかしながら辺境伯領、その領都はまだ遥か遠くである。


 辺境伯家の船はエンジンで動いているので、疲れることはない。だが皇都から連れて来られた水棲馬ケルピーには辛い道のりのようだ。早くも疲弊し、速度が落ち始めている。


 それも仕方ないだろう。皇都の整備された水路と違い、平野を走る運河は幅が広く、ほとんど流れを感じないほど緩やかに流れている。

 さらに、その水質も皇都を流れる清浄な水と比べ、少しもったりした印象だ。

 皇都の水路に慣れた水棲馬ケルピーでは泳ぎにくいに違いない。



「そろそろ休憩するべきかな」

「……わたくしもそう思いますわ」

 ディートヴェルデのつぶやきに、セレスティナが同意した。


「この先に交易所があったはずだ」

「そうね」


 河川が街道の代わりをしているゆえ、ソルモンテーユ皇国では、大半の街や村が川沿いに存在する。


 また、運河など主要な河川の沿岸には、交易所や宿場街などが一定の間隔で置かれており、旅人や商人の往来が盛んだ。


 いまディートヴェルデたちが向かおうとしているのも、そんな交易所のひとつである。



「確かこの先の交易所は……」

 説明のため口を開いたディートヴェルデに、セレスティナが言葉を被せる。

「ええ、ラ・メール商会のものですわね。そこでしたら厩も食事処もありましてよ。そこに致しましょう」


「……うん」

 自分よりもっと詳細な説明をされてディートヴェルデは口を閉ざした。


 ラ・メール商会というのは、皇国一の規模を持つ商業組織だ。

 皇国の商業ギルドと半ば一体化しており、その力は侮れない。


 何しろ、皇国内で活動している商会のおよそ3分の2が、このラ・メール商会の息のかかったものと言われているのだ。

 その規模は大陸全土に及び、神人エルフ七大家のひとつゲルビレア家が率いるキャラバンとも渡り合うとされる。


 そんな巨大な組織の頭目——サンクトレナール公爵家の娘が、目の前にいるセレスティナなのであった。



「……物知りなんだな」

 言外に、皇都の外なんてあまり知らないだろ?と匂わせて言うと、セレスティナは鼻を鳴らした。


「当然でしょう。わたくしもサンクトレナール家の一員。商会の支店が何処にあるかくらいは把握していましてよ」

「なるほど……」

 ディートヴェルデは感心する。


 そういえば彼女もラ・メール商会の下で事業を展開しているという話を聞いたことがある。

 てっきり父親の支援を受けて、名前だけ貸しているものと思っていたが、この様子では、きちんと実務をこなしているようだ。



(存外に侮れないな……)

 ディートヴェルデはセレスティナを見つめた。


 ディートヴェルデがセレスティナに抱いていた印象は“華やかで美しいが、高慢で傲慢な令嬢”だった。

 てっきり蝶よ花よと育てられ甘やかされきった深窓の令嬢だと思っていたのだが、どうやらそれは違うらしい。


 面と向かって話してみると、案外冷静に話ができるし、意外と聡明でもある。

 ディートヴェルデを相手に“田舎貴族”と馬鹿にしてこないことが不思議ではあるが好印象だ。




 ゴンドラがゆっくりと速度を落とし、ゆっくりと向きを変え、建物に併設された船着き場に入った。

 どうやら交易所に着いたようだ。

 船着き場に屋根があるところを見るに、比較的規模の大きな店だと分かる。


 ディートヴェルデがここに来たのは初めてのことだった。


 交易所の看板にはいくつもの商会の紋章が併記されている。

 もちろんラ・メール商会のものもあった。


 サンクトレナール家のゴンドラが入ってくると、数人の従業員が待ち構えていた。

 そこから代表するように一人の男性が歩み寄ってくる。身なりのいい人間もいるところを見るに、この交易所を任されている支配人だろう。

 大商会を率いる公爵家の令嬢が来たとあれば、当然 挨拶に来るはずである。


「いらっしゃいませ、セレスティナ様。ようこそおいでくださいました。本日は何を御用意致しましょうか?」

 折り目正しく腰を折り、丁寧な口調で話しかける。


「部屋は空いているかしら。食事と休憩のために寄ったのだけれど。それと水棲馬ケルピーを繋ぐ場所を用意してちょうだい」

「すぐに御用意致します」


「お願いするわ。それから通信用の魔道具を貸してもらえるかしら。皇都のお父様に連絡したいの」

「畏まりました。それではこちらへ……」

 従業員に案内されるまま、2人は建物の中へと入った。


 1階は広い空間が取られていた。

 建物に入って正面に受付カウンター、右手側には仕切りのされた簡易商談スペースがある。左手側は食堂だろうか、いくつか並んだテーブルと厨房の覗くカウンターが見える。


 交易所を利用する者の多くは運河を行き来する行商人や旅人、皇国内で活動する冒険者だ。

 もちろん買い物のために寄る一般客もいる。


 交易所で売却したものは一旦商業ギルド預かりとなり、鑑定の後に換金される。そして仲介料等ギルドの利益を上乗せした価格で売りに出される。


 商業ギルドにより品質とそれに見合った価格が保証されるため、売る側も買う側も安心して取引ができるというわけだ。


 だが希少品・高額商品を取り扱う相手や、貴族を相手にする場合は、雑多なフロアでの対応など許されない。

 そのため上の階に案内されるようだ。



「どうぞこちらへ」

 恭しく指し示す支配人の指示に従い階段を昇る。


 2階は、1階と打って変わって高級感を前面に出していた。

 床にはカーペットが敷き詰められ、壁は質素な漆喰から落ち着いた色調の壁紙に変わる。

 大きな窓から燦々さんさんと光が差し込む廊下には重々しいドアがいくつも並んでいた。


 一番奥の部屋が目的地のようだ。



 ディートヴェルデは少しばかりおっかなびっくり。

 セレスティナは慣れた足取りで部屋に入る。


 ドアを開いた先は大きな部屋になっていた。

 広々とした空間を贅沢に使うように、瀟洒なテーブルとチェアが部屋の中心に置かれている。

 壁際に寝椅子が置かれているところを見るに、休むこともできるようだ。ご丁寧に、総手縫いであろう刺繍ししゅうに彩られた間仕切りまで置いてある。

 大きな窓は板ガラスで、外の景色を歪ませることなく楽しませてくれる。たっぷりとドレープを蓄えたカーテンに縁取られたそれはまるで1つの絵画のようだ。それが2つも並んでいる。


 運河沿いの交易所でしかないはずなのに、まるで貴族の邸宅の一室に迷い込んだかのような錯覚を覚える。



 立ち止まって瞠目どうもくしていたディートヴェルデは、セレスティナに促されてようやく席についた。


「お飲み物は何にいたしましょうか」

「紅茶を頂けるかしら」

「俺にも同じものを」

 セレスティナに続いてディートヴェルデが注文すると、従業員は笑顔を浮かべて「かしこまりました」と言って部屋から出て行った。

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