愛おしい君に最期の別れを

花籠さくら

愛おしい君から最後の別れを

「もう好きじゃなくなった。別れてほしい」


 午後5時。

 オレンジ色に染まる教室。

 高校1年生の秋から二年付き合っていた彼氏に告げられた突然の別れ。

 

 私達のお付き合いは順風満帆だと思っていた。部活がない毎週水曜日は一緒に帰り、月に1回はデートをして、長期休みには少しだけ足を伸ばす――絵に描いたように穏やかな日々だったから。

 

 けれど、そう思っていたのは私だけ。キラキラと眩しく輝いていた日々は全部、独りよがりだった。フラれるなんてつゆ知らず、今日を楽しみにしていた自分が馬鹿みたい。


「いいよ、分かった。別れよう」

 

 悲しさや驚きを勝る虚しさが、泣いて縋ることも、理由を追求することもさせてくれなかった。その結果、口からこぼれた言葉は別れの承諾。もう後戻りはできない。


「私も、好きじゃない。……最近ちょっとしか連絡くれなかったし、デートの時も”何でもいい”ばっかり。私だって嫌いなところ一杯あるもん」


 捨てられて可哀そうな私を守りたい一心で、ツンとする鼻や滲む視界を無視して虚勢を張る。こみ上げてくるものが零れ落ちないように俯き、唇をキュッと噛みしめ、スカートの端を力強く握る。


 彼もきっと、こういう可愛げのなさに呆れたのかもしれない。天邪鬼で素直に好きと言えない私を、分かっているから大丈夫と優しく受け止めてくれたのを良いことに甘えすぎていた。


 恥ずかしくて差し伸べられた手を拒んだこともある。一歩近づかれて、二歩後ずさったことなんて数え切れない。それでも、彼は「恥ずかしがり屋さんだなぁ」とか「かわいい」とかむず痒くなるようなことを言いながら、愛おしそうに私の目を見て微笑んだ。


 今度は顔に熱を溜めながら手を繋ぐと、ふにゃふにゃとした温かい笑顔で「好き」「大好き」と言葉にしてくれる。そんな彼の笑顔はとにかく私を安心させた。どんなにつらくても、苦しくても、彼が笑いかけてくれれば大丈夫な気がした。


 けれど、私は何も返せていない。ほっとするような笑顔も、好意を口にする勇気も持ち合わせていなかった。愛想をつかされて当然だ。


 自分の不甲斐なさにもう涙を抑えることが出来なかった。次から次へと雫が落ちてゆく。


「っご、めん」


 勢いよく顔をあげ、つかえながらも謝罪を口にする。


 差し込む夕日の逆光で陰になって、彼の表情は全く見えない。いつもの、あの優しい笑顔はもうそこにはなかった。


 私は本当にわがままだ。これは夢だと彼が微笑んでくれてることを、まだ期待していたなんて。だけど小さく、でも確かに聞こえる息遣いで、現実だと痛感する。

 

 いつもより離れた姿はかすかに震えているようにも見えた。もう笑っていなくてもいい、ただ最後に一度だけ顔が見たい。そんな思いで一歩近づこうとしたとき、彼が静かに言葉を落とした。

 

「ううん、その通りだ。僕の方こそごめん……ありがとう」


 そのまま、顔を見せないまま、ゆっくりと教室を出て行った。

 

 パタンと扉の閉まる音が聞こえた途端、膝からがくっと崩れ落ちた。感情のままに嗚咽が漏れてしまわないよう、両手で強く口元を押さえつける。


 ――違う、謝らないで。そうじゃないの。嫌いなところなんて何一つない。


 頻度が減っても、連絡してくれるだけでうれしくてたまらなかった。着信音が鳴る度に彼からかもしれないと胸が高鳴る時間も悪くなかった。


 私の好きな食べ物や好きなことに寄り添ってくれるからこその”何でもいい”だって分かっている。全く嫌いなところなんかじゃない。


 ――この涙は、きっと後悔の涙だ。


 これまで彼に甘え続けてきた後悔。

 最後の最後まで意地を張って、嘘ばかりを言った後悔。

 彼に謝らせてしまった後悔。

 感謝を伝えられなかった後悔。

 

「……っうそ、いやだ。ごめん、ごめん」

 

 今でも時々見る夢がある。それは、文化祭で頬を赤らめながら真剣な眼差しで彼が告白してくれた日の夢。あの日からつまらなくも面白くもない平凡な人生がカラフルに色めきだした。


 たった17年しか生きていないけど、それでも彼が隣にいれば私は人生で一番幸せだと信じて疑わないほど、彼が大好きだった。いや、高校生が口にするには仰々しく感じる上に月並みな表現ではあるけれど、私は彼を愛している。


「好き、大好き、愛してる」


 たった一人、私だけしかいない教室に、むせび泣く声と届くはずのない言葉がこだました。

 

 

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