教育論(メモ 創作の役には立たない)
人に何かを教えるときには、何よりも教える相手の精神にそれを学びたいと
いう欲求を引き起こさなければならない。
それができればもういいのだ。
後は何ほどのこともない。関心を抱かせること、つまり、それを学ぶことが個
人の問題であること。したがってその知識が個人の歴史と存在において直
ちに重要な役割を演じるものであることを信じさせる、あるいは感じさせる
ことが必要なのである。
教育者の力とは注意力を作り出すこと、注意力を意志的なものとなし、注
意力が構築されることを助けること、そして、一度注意力が構築されたら、
それを維持させ、その働きを監視し、それらが徒らに使用されないよう制約
することである。
注意力には適当な養分を与えてやる必要がある。決して多すぎても、少なすぎてもいけない。目標を定めてやり、その目標がきちんと追求されているかどうか確認しなければならない。
何かを教える場合、最初は、教える学問自体の黎明期の状態に多少なりと
も近い形から始めるべきだろう。
たとえば記譜法や記数法を作ったことによっ
て、どんなに進歩したかということを感じさせること-ローマ数字で掛け算
をやらせてみればいい。
デッサンー教育
車輪、紐の結び目、束ねて置かれた鎖、折り畳んだ布、植物などを描かせて
みよ=それが済んだら、手のひらや足を描かせてみる。
今あげたのは、要するに
【直接的な知覚では間に合わず、それを追跡し、分析することを余儀なくさせるモデル】なのだ。
結局、自然の中には線など存在しないということ、一線とは描く側の決断なのだということを納得せざるを得なくなる。
-それはちょうど、道のない場所を探索して、ある地点に行きたいと思う者が、道なき道にあるルートを設定して進んでいくようなものだ。
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