君との青春を、もう一度。

上尾藍

第1話 夢と目覚め

 病院のとある一室。老人というには少々若く、中年というには少々老いた爺さんがいた。

 生え際は後退し始めており、髪はほぼ真っ白。そんな爺さんは椅子に座りながら、一冊の文庫本を静かに読み進めている。その場では、ページをめくる音と、アナログ時計というカチカチという音だけが聞こえる。

 爺さんの目の前には、同じく初老の、婆さんが眠っていた。

 生え際は後退していないが、髪はほぼ真っ白。

 その見た目に反して、その婆さんは、どことなく幼さを感じる寝顔をしている。

 爺さんは、時折目配せをしながら、文庫本を読み進めた。

 ただひたすらに、静かな時間が過ぎていく。

 不意に、婆さんの身が動く。爺さんはまたいつもの寝返りか、そう思っていた。

「……ん」

 しかし、聞こえた見慣れない声に目を軽く見開く。みると、婆さんはおぼろげな目でこちらを見ていた。

 二人はそのまま見つめ合う。何秒かわからない、だがとにかく見つめ合った。

「遅かったな」

 文庫本を閉じ、爺さんは微笑んだ。

「……もう、こんなになってしまったのね」

 婆さんはゆっくりと瞬きをした後、寂しそうに自分の体を見る。

 そして、確かめるように、自分の腕を何回か握る。

「目覚めたと、担当医を呼んでくる」

「待って」

 文庫本を片手で掴み、重い腰を上げ言葉通りの行動を取ろうという時、婆さんが声で制止してきた。爺さんは困惑しつつも、言葉を待つ。

「先に、少し話がしたいの」

 婆さんはとても穏やかな目をしている。

「わかった」

 爺さんは特に迷うまでもなく、椅子に座り直す。手に持っていた文庫本は、椅子の上に置いた。

「まず、ごめんなさい」

「謝らなくていいんだ、君は」

「それでも、とにかく謝っておきたくて」

「何回も聞いたよ。もういらない」

「……そう」

 爺さんは少し言い方が冷たかったかと思い、反省ついでに窓の外に目をやった。

 雪が溶け、春という季節。暖かな春の日差しがとても心地よい。桜が舞っていてとても綺麗だ。

「私、思ってたの」

 自然と視線が婆さんに引き戻される。

 視線の先に居た婆さんは、静かに涙を流していた。

「また、もう一度、一からやり直せたらって」

 そうか、この子にとっては、あの日の記憶は昨日とか一昨日とかそういうものなのか。そう思って、爺さんはハッとした。

 そして、苦い顔を浮かべる。

「もう一度、同じ結果になってもか」

「何かが変わる気がするの」

「……どこかで、こんな会話をした気がするな」

「奇遇ね、私もよ」

 二人は笑い合う。年甲斐もなく、子供のように笑い続けた。

 そして、何らかの機械で婆さんの目覚めを知ったであろう看護師が駆けつけてきた。看護師は驚いた様子で、婆さんに話しかける。

 そんな様子を横目に見ながら、改めて爺さんは思う。

 ――――もし叶うなら、もう一度。




♢♢♢♢




 瞼を上げると、太陽が目を奥に響いた。

 もうそろそろ夏という時期。満点の青空から照りつける日差しは痛いほどに照り付けている。

 そんな中、俺は屋上で寝転がっている。日差しが強いとはいえ、気温が丁度いい。むしろ日差しがいいアクセントになって、何とも言えない心地よさがある。

「……ふぁ~。なんか変な夢見た気がするな……ぁあ」

 やっぱりここは気持ちいい。空と一体化したような気持ちになれる。この時期だとそれが顕著に出るな。このまま寝ていたいくらいだ。

 時刻は2時過ぎ。今日は特別時間割で、午前中だけで学校が終わった。これからの予定はない。特にやることもないし、寝てもいいか。

 もっかい寝るか……そう思っていると、遠くからドアの音がした。眠気が若干薄れた俺はその方向に目を向ける。

 するとそこには、珍しい髪をした女の子がいた。ドアノブに手をかけたまま、顔半分を出してこちらを見ている。

 珍しい髪……色素の下の下の色、白。彼女の白髪は、太陽に照らされてキラキラと輝いていた。

「……誰だっけ」

 俺は一瞬だけ身を見開いて、すぐにその人物の判別を始める。

 何回か廊下で見たことがある。名前も、噂になってたから聞いたことがある。けど……わからない。なんかこう、もやがかかってるみたいだ。

 思い出す作業というのは、眠気を誘うものだと聞いたことがある。しかし、今回に限っては、眠気は逆になくなっていった。

 気になった俺は立ち上がって接近する。

「えっと、ごめん。あんた誰だ――――っけ……」

 女の子が目を見開いた。

「……ごめんなさいっ」

「えっ……ちょ、ま……」

 そして、そう言ってすぐに顔が見えなくなる。

 支えのなくなったドアが、重苦しい音を立てた。

 声をかけたが、虚しくも逃げられてしまった。ドアの閉まる重苦しい音が、さらに虚しさを加速させる。

「……俺って怖いのか?」

 しゃがみ込み、分かりやすいため息を吐いて、一人落ち込む。いや、無意識下ではもしかしたらあるのかもしれないけどな、下心。ないと断定はできない。

 ――白い髪……確か名前は……、あ、思い出した。黒宮だ、黒宮。

「あー、いたいた、やっぱここか」

「なんだ、お前か」

 ガチャリとまたドアが開く。一瞬だけあの子かと思ったが、そんなことはない。現れた牧棘は、膝に膝を曲げ、同じ目線から俺を見てきた。

「俺で悪かったな。つか、さっきすげー勢いで誰か走っていったけどなんかあった? 今すげー落ち込んでるお前となんか関係ある?」

「……話しかけようとしたら逃げられた」

「名前とかわかんの?」

「……黒宮だ。確か」

 牧棘は何かを理解したように唸り声を出し、立ち上がる。

「あいつは誰に対してもそんな感じだ。あんま人と関わんのが好きじゃないんだろ

「そうなのか」

「あぁ。実際、話したところとかみたことないしな」

「そうか」

 そのわりには、なんか興味ありそうにこっち見てたけどな。

 ――いや、気のせいか。話したとこ見たことないくらいだしな、牧棘の言う通り、人に興味がなかった理なのかもしれない。

「まぁ、そういうことだ。それよりそろそろ戻るぞ、なんでも会議をやるらしいぜ」

 俺の落ち込んでる理由についてこれ以上話すのが面倒だと思ったのか、適当な話題に切り替えてきた。

「会議? なんの?」

「あぁ。行けばわかる」

 概要だけでもいいから話せよ、と思ったが、とりあえず言う通りにしてみることにするか。

 俺は牧棘と一緒に、即座にいつもの場所へ向かった。

 そうして着いたのは、俺たちがいつも溜まり場にしている別棟の空き教室。別棟は全体的にかなり綺麗で使用可能なように見えるが、実際には老朽化が進んでいていつ崩れてもおかしくないそうだ。生徒は立ち入り禁止となっているが、俺たちはそこをベストプレイスと見込んで溜まり場とした。

 崩れてしまうのではないか? そう思うこともあったが、理由あってそこは心配する必要はない。溜まり場は曲がりなりにも教室なので椅子やテーブルがあり、居心地は案外悪くない。最近は大体ここで夕方の終わりごろまで過ごしている。

「帰ったぞ」

「ぶふっ!」

 っと……俺は下にいた唯麻、の首根っこを掴んで、転倒を阻止。目の前には小動物みたいにふさふさな茶色の髪の毛が広がる。うっすらと良い匂いがした。

 両脇に腕を乗せ、秋葉を持ち上げる。

「大丈夫か?」

「……何回目だよ」

「いや悪い悪い、小さすぎて見えないんだよ」

「……うっさい!」

 秋葉自分の身長が低いことを理解しているのか、何も言い返せない。ただ持ち上げられながらもこちらをにらみつけている。でもなんだか小動物の威嚇みたいでかわいくて全然怖くないんだよな。声も小学生みたいな感じだし。

 ていうか、マジでかっっっっる。

 そんな俺の心を見透かすように、唯麻は更にきつく睨んだ。

 うんうん、唯麻はこうでなくちゃな。

「おーう! やっと帰ってきたか爽青! 待ってたんだぜ、ずっと!」

 席に座ったシルバーが快活に声を張った。灰色の髪が特徴的なメンバーだ。

「おう。んで、話って何だ?」

 秋葉の睨みを受けつつそう答えた。

「とりあえず座って。話はそれから」

 俺の質問に答えたのは水羅だった。

「うーす」

 軽い返事をし、俺と牧棘は椅子に座る。水羅、シルバー、迅花、そして俺が今持ち上げている唯麻と、計六人は全員揃った。俺と最も仲が良い五人。目立つシルバーを立ててシルバーズなんて呼ばれたりしているらしい。目立つグループは、そのグループでもさらに目立つ人の名前からとり、グループ名が勝手に作られることがあるみたいだ。アイドルかよ。

「……んで、何の話なん」

「その前に下・ろ・せ!」

 膝に乗せた直後、唯麻が半ギレで言ってきた。

 流石にからかいすぎたか。

「ごめんごめん」

唯麻を隣の席にゆっくろと下ろしてから自分の椅子に座り直す。長い事ここにいるから各々の定位置は大体決まっている。もちろん場合にもよるが。ちなみに秋葉は座らせた後も俺を睨みつけていた。

 全員位置に着いたところで、水羅が咳払いをする。

 そして、大げさなくらいに息を吸い込む。

「やることがなーーーーい!!!!」

「…………」

 それは、空に見える太陽にも届きそうな声量だった。

 てか割とマジでうるさい。思わず耳塞いじゃったよ。

 訪れた静寂。そんな時、耳を塞いでいたシルバーが席を立った。

「おいなにすんだ水羅みら! 鼓膜破れるかと思ったじゃねぇか! しかもそんな大声出したらこの場所バレんだろ馬鹿か!」

「は!? バカはあんただけに言われなくない! いつもぽけーっとした顔しておいて!」

「はぁ!? 顔だと? 顔がなんだと! 俺のこの整った顔が馬鹿だと?!」

「はいはい、無・駄・に、ね!」

「なんだとぉぉぉぉ!!!!」

煽られ、全身で咆哮するシルバー。

「あー、始まったな」

 参るような顔で言った唯麻。

 俺や他の面々もそれに追随して呆れを零していく。

「始まったね」

「始まったな」

「始まった」

 二人は止まりそうにない。一つ馬鹿にしたらまた他の何かも馬鹿にする。それが連鎖して、少しずつヒートアップしている。見る限り、一向に止まる様子はない。それどころか、顔の赤みが強くなっている。

「あー、どうするよ。また頼むか」

 牧棘の声に、俺は頷いて返事をする。

「……迅花」

 部屋の隅で待機していた迅花に目配せする。すると迅花はいつもの静的な佇まいから一転、高速で移動し、シルバーの首筋に手刀を叩き込んだ。

「大体……おま……ぇ」

 段々と声がかすんでいき、シルバーはその場で崩れ落ちていく。同時にだんだんと目に力が入らなくなり、声が完全にとうとうピクリとも動かなくなる。

「無論、致死は至っていない。気絶のみに効果を絞っている」

「まぁ……念のためな」

 頑丈なシルバーのことだから大丈夫だろうが、一応呼吸しているかだけ確かめる。

 大丈夫だ。息はしている。ただ気絶してるだけだ。

「ありがとう迅花。とりあえずうるさいやつもいなくなったことだし、改めて話をさせて」

 ……今にも跳ね起きて『誰がうるさいやつじゃああああ』とか言いそうだが、起きる気配はない。

 白山は改めて咳払いをした。

「やることがない。そもそもなんでそうなったか、みんなわかるよね」

「うん。そりゃもちろん――」

 唯麻と同じような言葉が俺の脳内にも浮かぶ。おそらく、多分この場にいる全員(シルバーを除く)が同じことを考えているだろう。

 やりたいことが、口癖などではなく、本当にない。

 それがなぜ起こるか。普通なら、趣味に没頭するなどして時間を費やせばいいだけだ。それがなくとも、勉強や、ただ遊ぶだけでもいい。

なぜ、やることないのか。

 そんな疑問はすべて一つの異常現象で説明がつく。

 ――――タイムリープ。

 俺たちはタイムリープ……つまりは、時間を遡り、それを繰り返しているのだ。

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