9.その伯爵、高慢につき

 ディヒラー伯爵領は、ローザ国の南にあり、東西でいえば少々西寄りだ。しばらく馬を駆って着いた農村で、カールハインツはダークブラウンに染めた髪をかきあげた。


「ここまでくると随分暖かいね。いい季節だ」

「帝国はまだ肌寒い季節ですものね」


 相槌をうちながら、レナータは昨日のことを思い出していた。うっかり軽装で出てきてしまい、馬車に乗っていても夕方には少し寒かった。やせ我慢で平静を装っていたが、カールハインツは気付いて膝掛を貸してくれたのだ。やり手の皇子はできることが違う、準備がいいことも含めて気が利くようだ。

 私も見習わなければ。むむむ、と騎乗で難しい顔をするレナータとは裏腹に、カールハインツは「しかし、さすがだね」と感心した顔を向ける。


「君は腕がいいね。そうも平然と私の馬についてきたのは君が初めてだよ」

「馬なら乗り慣れておりますから」

「しかし、その鞍は男用だろう? 乗りにくくないかい?」


 そんなところまで見ているとは、さすがの観察眼だ。レナータは再びむむむと顔をしかめた。


「……鞍が入用になった際、父が使っていたものしかなかったのです。用意している時間が無駄でしたし、いずれは馬での移動が主となると想定しましたので、体のサイズに合わせるだけにした結果、もう慣れてしまいまして」

「確かに、君は理由さえなければ馬に乗っているものね」


 先日カールハインツと会った際は、グラオ城から宝石商のもとへの移動は借りた資料を風に晒さず持ち運ぶために馬車を借りた。しかし、日頃のレナータは機動的に動ける馬を好む。


「エッフェンベルガー領は入り組んだ道を通ることもありますし、馬であれば農地近くまで行っても領民に嫌な顔をされませんからね。なにより、恥ずかしながら獣道も多く、馬車は乗り心地もよくなくて……って」


 カールハインツの前でそんなに馬にばかり乗っていただろうか? はて、とレナータは首を傾げ、こんなことが多いことにも気が付いた。

 カールハインツは、妙にレナータのことを知り過ぎていないだろうか。

 おそるおそる、レナータはカールハインツを見上げた。カールハインツは「なにかな?」と笑みを返すだけだ。


「……殿下、もしかして……」

「うん」

「……やはり、私が持つなんらかの利権に狙いを定め、私のことを探っていたのでは?」


 そうに違いない。レナータは求婚された当時のような刺々しい口調になり、カールハインツはちょっとだけ残念そうに眉尻を下げた。


「君の利権目当てだなんて、心外だな」

「であればなぜそうも私のことをご存知なのです」

「まあ些末な話は措いておこう、それより――」


 いや、レナータにとっては大変重大な話なのだが?

「君は伯爵に顔を知られているから少し髪型も変えようということになっていただろう。これ以上近付くと気付かれてしまうから、そろそろ準備をしたほうがいい」


 そのためにカールハインツも髪を染めたのだ。ちなみに、護衛のヴェルナーは少し離れた馬車に身を隠している。


「とはいえ、君の優美さと可愛らしさはおいそれと隠せるものでもな――」

「ああはい、少々お待ちください」


 無視を決め込んだレナータは、下馬して髪を結い始める。

 今日のレナータは、カールハインツの付き人を装うために使用人服を着て、伊達の丸眼鏡をかけていた。それに加えて、ブラウンの髪を編み込んで短く見えるようにする。

 服装と髪型ですっかり印象を変えたレナータに、カールハインツは満足気に頷いた。


「それなら伯爵が君に気が付くことはないだろうね」

「安心ですね。では早速……」

「いやいや待ってくれ。呼び方を決めておこう」


 それは確かにそうだ、“ローザ国の伯爵令息”であるカールハインツを“殿下”と呼ぶわけにはいかない。


「……坊ちゃまとでもお呼びしましょうか?」

「……ふむ。少しよそよそしいな。なにかこう、主従は明白だが親し気な呼び方をしてもらえるかい?」

「何を惚けたことをおっしゃるんですか? 若君とお呼びしますね」

「悪くないね」

「なによりです。行きましょう、若君」


 ディヒラー伯爵は、昼過ぎのこの時間帯になると、決まって領地を見て回る。しかも、領主としての権威を誇示するように家紋入りの馬車に乗って、だ。

 それを事前に調べていたレナータの策はこうだった。まずカールハインツを名門伯爵家令息らしく着飾らせる。そして、ディヒラー伯爵の馬車が通りかかる頃合いを狙って、この土地への興味を語る。

 馬車道から少し離れたところに立ち、令息とその付き人らしく談笑しながら、ディヒラー伯爵の馬車が来るのを待つ。その間、この土地への興味について通りすがりの領民に聞かせることも忘れない。

 そんなことをしてしばらく、豪華な馬車が遠くからやってきた。二人は息ぴったりに視界の隅でそれを捕らえた。


「……来たね」

「はい、若君。ではこの領地がいかに魅力的かお話しましょう」

「そうだねえ……単純なことだけれど、広大さはひとつの魅力だよね。いかに肥えた土地であっても、小さくては投入資源に対して得られる果実が少ない。上手く育てれば相対的には高い費用対効果が見込める」


 レナータはびっくりしてカールハインツを見上げた。一般論とはいえ、皇子が事前に仕込みもなくそんなことを言えるとは思っていなかった。


「なぜ――いえ、さすが若君ですね。一目見て有用性にあたりをつけるとは」

「領地は重要な財産だからね。とはいえ、もっともらしい魅力を語っては伯爵も手放すのが惜しくなる。上手い具合に抜けのある、ボンクラ金持ち令息を気取らせてもらおう」


 馬車が近づいてきた。カールハインツは軽く咳ばらいをする。


「こうして見て回ると、やはりここの領地以外にないね。納税額の5割くらいで手を打ってもらえるならここに決めていいんじゃないかな」

「そう……ですね。しかし、さきほどの領民の様子ですと、充分な収穫は見込めないでしょう。譲っていただくだけ損ではないでしょうか」

「と思うかもしれないけれど、土地そのものにはそう問題はなさそうだからね。特に麦を育てるような土地なら、いまはいい肥料があるんだよ。知らないかな、帝国内で出回っているものらしいんだけど……」


 馬車が歩みを遅くするのを見て、カールハインツはこれ見よがしに視線を投げた。馬車の中からは、顔を覗かせている貴族がいる。

 年のわりに広い額、こすりつけて固めたような髪と、それとは裏腹にきれいに手入れされた髭――レナータが知っている顔、ディヒラー伯爵だ。

 ディヒラー伯爵は、カールハインツを頭のてっぺんからつま先まで不躾にじろじろと眺めた。顔つき、服の装飾、足下の清潔さ、そんな身分を象徴する部分をまさしく品定めするような目つきだった。

 が、カールハインツは微塵も気を悪くしたような素振りはなく、むしろ朗らかな笑みを見せた。


「ごきげんよう、ディヒラー伯爵。私はトーマス・マルトリッツと申しまして、マルトリッツ家は亡きヴィンフリート王の時代に伯爵に叙されております。こちらは私の付き人のナターリアです」


 ディヒラー伯爵に顔を見られぬよう、レナータは深々とお辞儀をして、そのまま顔を軽く伏せた。


「以後、お見知りおきを」

「ほお、マルトリッツ伯爵の……」


 ディヒラー伯爵が髭を撫でる。マルトリッツ伯爵家は実在するので、伯爵の反応は知ったかぶりでもなんでもない。


「しかし、マルトリッツ伯爵――あなたのお父上といえば、失礼ながら五十年戦争勃発時に領地を捨てたのでは?」

「ええ、お恥ずかしながら、家以外は失ってしまいました。将来を嘱望されていた兄もなくなり、次男の私が頑張らねばならず、こうして他の領地を訪れている次第です」


 実際には、マルトリッツ伯爵は五十年戦争以前から財政が厳しく、戦争を経ていよいよ無一文となり、唯一の娘も他家に嫁いだ。だがそこまでの事情を正確に知る者はほとんどいないし、だから次男を装えば、迷惑がかかることもない。


「そこで、どうでしょう。ディヒラー伯爵、我がマルトリッツ家を救うと思って、土地の一部を譲ってくださいませんか?」

「ふむ。名門マルトリッツ家のご令息の頼みとなれば、こちらもぜひ手を貸したいところですがなあ……」


 レナータは軽く顔を伏せたまま、ディヒラー伯爵の様子を観察する。ディヒラー伯爵は馬車を降りようともしていない、こちらを下に見ている証拠だ。血筋でいえばマルトリッツ伯爵のほうが格上なのだが、没落済なので下に見ているのだろう。


「もちろん、無償でとは申しません。適正な対価をお支払いするつもりです」

「マルトリッツ家にそれほどの財がございますかな?」

「ええ、家を処分します」

「……なんと」


 ディヒラー伯爵は目を見開いた。貴族にとって、家を売るのは名を捨てるに等しい。伝統ある家系であればあるほど、それは自らの血筋を否定するようなものだと評価される。


「そこまでしてなぜ私の領地を買おうと?」

「我がマルトリッツ家は再起不能なところまで来ていましてね、家という形に囚われていては再興することも不可能に等しいのです。背に腹は代えられず、多少先進的に考えようと思いまして」


 それに、とカールハインツは土地に視線を投げた。


「おそらく、伯爵殿もこちらは持て余していらっしゃるのでしょう? 見たところ、確かに土地は痩せていて、ある程度手を入れなければ納税額に相応しい税収は見込めません。いかがでしょう、ぜひ売っていただけないでしょうか」

「ご存知かな、ミスター・マルトリッツ。納税義務は土地を買い取った者が負う」

「もちろんです、ディヒラー伯爵。私は家を再興するためにこちらを買いたいと申しているのです、当然、相応の収入が見込めるまで育てますよ」

「育つ見込みがあると?」

「ええ。実は帝国に出入りしている商人が、いい肥料を特別に紹介してくれましてね。それがあれば収穫量が3倍に増えるそうです。既に肥料は代金を支払い、仕入れ済みです」


 そんな魔法のような肥料、常識的に考えればあるはずがない。が、“マルトリッツ伯爵令息”は既に代金を支払った――それはつまり、うまい話にコロッと騙されるくらいの愚鈍だということになる。

 そんなアピールを堂々としてみせれば、ディヒラー伯爵は「ほう……」と少し乗り気な様子を見せた。

 レナータのシナリオのとおりだった。成金のディヒラー伯爵は、没落したマルトリッツ家を見下すに違いない。しかもやってきた令息は身形ばかり立派で中身は空っぽ。そうとなれば、「土地を買って家を再興したい」などという絵空事に“裏”があるとは思うまい。

 が、ディヒラー伯爵は「そうですなあ、しかし私も領地を手放すことにそう易々と頷く気にはなれませんからなあ……」といやらしい笑みを浮かべて渋っている。ここはもう一押し、なにか必要か……。

 悩んでいると、カールハインツが「それはもちろん」と勝手に頷いた。


「しかし、伯爵はわずか二代で財を築き上げたお方。特に、政敵であった辺境伯を冤罪から救った伯爵は、情にもあつい方とお見受けします」


 ディヒラー伯爵の頬はわずかに緩み、レナータは不快感を指先に乗せてしまった。

 政敵の冤罪を晴らすなんて、なんと正義感に溢れた方か、まさに貴族の中の貴族――そう称賛されているディヒラー伯爵の得意げな笑みを思い出す。なんなら、あの頃の自分は深々と頭を下げてまで礼を述べた。それがすべてディヒラー伯爵の仕組んだことだと知った日の、やり場のない怒りと不愉快さを、今でも克明に思い出す。

 カールハインツが真実を知っているのかどうかは知らないが、聞かされるだけでも不愉快だった。


「ですからどうでしょう、その経歴に、国内有数の名門マルトリッツ伯爵家の再興を加えるのは?」


 だが、そんなことをわざわざレナータの前で口にするだけある。レナータは思わず、眼鏡の奥から冷ややかな目を向けてしまった。

 ディヒラー伯爵が最も大きく評価されたのはレナータの父親の一件であったこと、ディヒラー自身も成り上がりを自負していること、さらに外聞を殊更に重視し、自慢話はあるに越したことはないというプライドの持ち主であることをよく理解した提案だ。 “没落した家を助く”という一見何の得にもならない慈善事業をやれば、成り上がりの評価に“人格者”が加わる。

 やはり、この皇子は侮れない。レナータが不信感を強めるのとは裏腹に、ディヒラー伯爵は「なるほど、なかなか口が巧いようですな」と満更でもなさそうだ。


「しかしミスター・マルトリッツ、あなたにはもともと相続権がなかったのでしょう? そこまでして家の再興にこだわる理由が分かりませんな」

「私は幼い頃から兄と比べられて育ちましてね。父には、私は兄と異なり何の才もなく、相続権が認められていないのもさもあらんと罵られた記憶しかございません。その父と兄が守り切れなかった家を再興する、それが何よりの意趣返しとなりましょう?」


 亡き父と兄への敵愾心と野心はたっぷり、一獲千金を狙うための策は考えつつも、その内容は穴だらけでいかにも騙されやすいボンボン令息。カールハインツはそんなキャラクターを見事に作り上げた。

 にんまりと、ディヒラー伯爵は笑みを浮かべる。


「なるほど。私も亡き父に似たような扱いをされておりましたからな、あなたの気持ちはよく分かる」

「恐縮です。では伯爵、いかがでしょう、こちらの土地の代金ですが――」


 本来、ここは不作で到底値のつかない土地。納税額を押し上げるだけの金食い虫に、カールハインツは昨年の納税額の5割を売買代金とすることを提示した。


「8割はどうか」

「6割では」

「7割」

「6.5割」


 レナータの目論見どおりの価額で、ディヒラー伯爵は頷いた。


「よかろう、契約成立だ」

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