7.その契約、有利につき
そうして屋敷で一晩世話になった次の朝、レナータは早速、カールハインツにしてもらう“協力”の内容を明らかにした。
「まず、私がディヒラー伯爵の不作の領地を買い取ります。ただ、この段階で私が前に出るわけにはいきませんので、殿下に表に立っていただきたいのです」
「それは皇子の肩書を抜きにして、という理解でいいのかな?」
「お話が早くて助かります、そのとおりです。名のある貴族の長子、程度でしょうか」
帝国皇子とはいえ、カールハインツの顔はそれほど広く知られていない。髪の色でも変えれば分からないだろうし、「他人の空似」と誤魔化しても通るだろう。一方で、その所作は明らかに高位貴族のものだ。
その意図を汲み取ったカールハインツは、運ばれてくる朝食を前に「なるほどね」と面白そうに頷いた。
「ディヒラー伯爵に顔を知られていては不都合があるが、貴族としての振る舞いは身についている者でなければならない。私は帝国の名家の令息のふりをするのにもってこいというわけだ」
「そうです。しかし、帝国でなくローザ国でお願いいたします。ディヒラー伯爵領は、ローザ国王家と契約を結んでいる貴族との間でしか売買できないようになっているのです」
「ああ、そういえばそうだったね」
貴族の領地は、あくまでも王家から借り受けているもので、所有者は王家だ。一方で、領主たる貴族にはその土地について広大な権限が与えられており、どう利するも自由。その権限に付されている数少ない制限が、“王家と契約する貴族以外に領地を売却してはならない”というものである。
領地にまつわる権利関係は帝国とは異なるが、帝国も歴史を遡ればそんな時代があった。カールハインツはすぐに実情を理解して頷く。
「しかし、そうなると私にディヒラー伯爵領を売却してくれるという話はどうする? もちろん、その旨味を逃したくないという趣旨ではなくて素朴な疑問だけれど」
「殿下、私は“売却する”とは申しておりません。“差し上げます”と申し上げたのですよ」
その違いがどういう意味か、分からずにカールハインツは口を閉じた。“差し上げる”――譲るのであれば売却するという意味かと考えたが、売却せずに譲るとは、一体どういうことか。
「……それが何を意味するのかは、まだ秘密ということだね」
「はい。成功報酬としてお約束しましょう」
レナータにとって、カールハインツがこの取引に乗るか否かは些末な問題だった。独力でもやり遂げる自信はあるが、帝国皇子に出会ったのもなにかの縁。今後強力な伝手になる可能性はあるし、利用しない手はない。
だから、レナータの微笑ははったりではなく、本心からの自信に裏付けられたものだった。
カールハインツは興味深げに微笑み返した。
「……そうだね。面白そうだし、わりと前向きに協力を考えている。でも、うまい話には裏があるというだろう?」
頬杖もつき、少し試すような空気を醸す。
「いまの話を聞く限り、私は若干の労力を求められるだけでディヒラー伯爵領――D領とでも言おうか、これを手に入れることになる。リスクはないのかな?」
「もちろんございます」
「それはどんな? ああ、冷めないうちに朝食をどうぞ」
「ありがとうございます、いただきます」
確かに、サニーサイドアップは冷めると台無しだ。温かいそれを口に含み、レナータは子どものように頬を緩める。手間はかかるが、卵はこうして食べるのが一番おいしい。グラスには先日の葡萄ジュースも入っているし、チーズもあるし、さすが帝国皇子の朝食は豪華だ。
「朝からおいしいご飯を食べると元気がでますね。あ、そうです、それで殿下にリスクがあるとすれば、詐欺師のレッテルを貼られることでしょうか」
そうして、レナータは完璧な朝食(得体の知れない皇子が座っていること以外)に舌鼓を打っていたが、カールハインツは目を点にした。次いで堪えきれなかったように笑いだす。
「……おかしなことを言うね。帝国皇子を一歩間違えば詐欺師になる取引に巻き込もうと?」
「おかしいでしょうか? 殿下がローザ国の、しかも伯爵領となっている土地を手に入れようと考えた場合、これは最も容易な策です。戦を仕掛けて資源を失うリスクもなく、婚姻という重大な身分関係に仮託する必要もございません。となると、詐欺師呼ばわりされるリスクくらいは取れそうじゃありませんか?」
「もちろん言っていることはよく分かるよ。ただ、それを提案できる人間は少ないだろうと言っているんだ」
笑みを崩さないまま、カールハインツも朝食に手をつけた。カールハインツの卵はスクランブルドだった。
「いいよ、そのリスクはとらせていただこう。君が上手くやれば詐欺師呼ばわりされることなく、合法的にD領が手に入るということだからね」
「ありがとうございます、契約成立ですね。後ほど買い取るべきD領のお話に移りましょう」
宣言どおり、朝食後にレナータは地図を広げた。グラオ城主に依頼して手に入れた情報をもとに作成した、自前のディヒラー伯爵領地図だ。その出来栄えに、カールハインツは感心する。
「すごいね、よくできている。といってもD領のことは私は知らないから、その正確性は分からないけれど。絵心はないのに、地図は描けるのだね」
「誉め言葉として受け取っておきます」
父の生前、レナータは教養を身に着けるべく学芸に広く通じた。ただ、絵画は見るのも描くのもさっぱりだったので、辺境伯として生きていくための取捨選択が求められたタイミングで、いよいよ描くほうはしなくなったし、できなくなったのだ。
……が、カールハインツの前で絵を描いたわけでもないのに、なぜ分かったのだ? レナータが首を傾げていると、カールハインツの指が地図の端を指さした。
「だって、これは船のつもりなんだろう?」
「つもりってなんですか! どこからどう見ても帆船です!」
そこには海であることを示すために描いた帆船のアイコンがある。レナータは憤慨するが、カールハインツには斧か犂のように見えた。逆に器用なものだと感心してしまう。
コホン、とレナータは咳払いした。
「さておき、こちらの地図をご覧ください。グラオ城主からお聞きしたところ、D領生産の穀物は、ここ数年減少の一途を辿っております。国内で得た情報も踏まえますと、D領で最も不作の土地はこのあたりです」
レナータは、山間をくるりと指で囲んだ。
「ここを買い取ります。殿下にはその窓口に立っていただきます」
「こうして見るとD領はなかなか広大だね。グラオ城を経由する交易品には私も目を通しているけれど、D領の物品は少ないから知らなかったな……」
「広いわりに痩せた土地なのですよ。きちんとした育て方をすれば充分肥える土地なのです」
「ローザ国の領主は王家に対して納税義務を負っているんだっけ?」
「ええ。領地の広さに応じ、定期的に税を収めなければならないとされております。その意味で、広いわりに不作の領地というのは領主にとって頭の痛い問題なので、私にとっては渡りに船です」
レナータは羽ペンを借り、目当ての領地にチェックを入れた。
「こちらの土地、我がエッフェンベルガー家が買い取ります。ご協力お願いいたしますね、殿下」
「ああ、いいだろう。ただ、君もついてきてくれ」
「私は一応顔が知られていますので、取引の前面に出るのは」
「もちろん変装の道具は貸すよ」
カールハインツの笑みは若干怪しく見えたが、変装するのに企みもなにもあるまい。それに、取引の場を見守れるのはありがたい。レナータは首を傾げつつ「じゃ、お願いします」と頷いた。
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