5.その令嬢、隙ありにつき
そのまま談笑してしばらく、「ところで」とカールハインツがホール内に視線をやった。
「レディ・メラニーとの間にいさかいがあるのはいいとして、なぜレディ・メラニーは君に対してあれほど強気に出るんだい? 先代エッフェンベルガー辺境伯といえば大変なやり手だっただろう。こう言ってはなんだが、その子女である君は当然に敬意を払われるべき相手なんじゃないか?」
「そのことですね……」
確かに、帝国の人間から見るとローザ国、特に貴族同士の身分関係には不可解な側面も見えるだろう。レナータは頷いた。
「私の父が、生前に冤罪をかけられまして。汚名は雪がれたのですが、時代の移り変わりもあり、“堕ちた辺境伯”という印象が強いのです」
そもそも、エッフェンベルガー辺境伯領は帝国と隣り合っており、帝国との良好な関係が長い現代では、文化・経済的な折衝が要求される土地に過ぎない。もちろん、それは要所であることの裏付けなのだが、異民族と衝突を繰り返すような領地に比べると地味に映ってしまう。特に、五十年戦争が勃発し、ローザ国が西側の領地に強い関心を払わざるを得なくなってから、その地味さは増した。
もちろん、戦時中でも国の経済が回っていたのは、エッフェンベルガー辺境伯領の存在が大きい。しかし、この手の問題は貧しくなれば気付くが、豊かなまま変わらなければ気付きようもない。なにより、レナータ自身もこの成果を獲得するために四苦八苦しており、中央に権威を示すほどの余力を割けずにいた。
分かりやすい活躍のない領地、五十年戦争という時代の流れ、先代にかけられた冤罪、様々な要因があって、エッフェンベルガー辺境伯は、その立場に見合う敬意を払われなくなってしまった。
カールハインツは「なるほどね」と改めて頷いた。
「納得したよ。なかなか苦労しているね」
「いえ、苦労というほどではございません。受ける恩恵があれば背負うべき責務もあるだけの話ですから」
それを聞いたカールハインツは口角を吊り上げ、レナータから視線は外さないまま、手すりから背を離した。
「しかし、それではいわれのない誹りは耐えがたいだろう。ひとつ手助けをさせてもらうよ」
「手助け、ですか?」
レナータに答えず、カールハインツはホールへ戻る。
上着はバルコニーに置かれたままで、レナータは「忘れたのかな?」と拾いあげ、そっと後を追う。しかし、カールハインツがメラニーに話しかけようとしているのを見て慌てて背を向け、食事に夢中なふりをした。
「こんばんは、レディ・メラニー」
「まあっ……カールハインツ殿下! お声かけいただき、光栄ですわ!」
「先日からどうも騒ぎが起こって大変なようだね。お相手はレディ・レナータだそうだけれど」
「ええ、もう、お恥ずかしい限りですわ。何が恥ずかしいって、私、レディ・レナータがお可哀想だということをすっかり忘れて、レディ・レナータの目の前でこれみよがしに美しいペンダントを身に着けてしまい……」
聞き耳を立てても、何を言っているのかよく分からなかった。メラニーは気をよくしているのか、カールハインツがろくに相槌を打たないのも気にせずぺらぺらと喋っている。
「でも私、こちらの話を王宮に届け出てはおりませんの。レディ・レナータは弱いお人ですから、寛大な心で許すべきではないかと思いまして」
「なるほどね。それで、レナータに盗まれたというペンダントはどういったものだったんだい?」
「ブルーの石がはまった銀縁のペンダントですわ」
「もしかして、ブルートパーズの石と、螺鈿模様の銀縁のものかな?」
「ええ、そのとおりでございます」
「そうか……」
カールハインツは、どこか難しい顔をした。
「それは大変だね」
にやにやと、周囲の令嬢達が笑う。隣国の皇子にまでこうして罪を暴かれるなんて、可哀想に、と。メラニーも隠しきれない笑みを浮かべてしまい、慌てて眉尻をさげて苦笑に変えた。
「ええ本当に。旧友に宝物を盗まれるなんて――」
「レディ・レナータが身に着けていたペンダントは私も見たけれど、あれはブルートパーズではなくてオーシャンサファイアだったよ」
「え?」
それが凍りつく。レナータが振り返ると、カールハインツはまだわざとらしく顎に手を当てていた。
「先週、君がレディ・レナータを糾弾していた社交界で私もレディ・レナータにご挨拶させてもらったから、ペンダントは間近でよく見えたんだ。あの深い海の底のような青は間違いないね」
「あ……あら、失礼、別のアクセサリーと勘違いしていましたわ。ブルートパーズは指輪でした、ペンダントについていたのはオーシャンサファイアで間違いございません」
「そうだとして、君は螺鈿模様と言ったけれど、レディ・レナータのものは流星模様だったなあ」
わざとらしい物言いだったが、メラニーが黙るには充分だった。カールハインツは顎に手を当てたままじっと考え込む。
「これは大変だ、このままでは、紛失したのをいいことに、よく似ていて価値の高い他人のペンダントを自分のものだと言い張っていることになってしまう」
「そんなわけありませんわ!」
顔を真っ赤にして叫んだメラニーは、そこでレナータを見つけハッとする。その視線は一瞬胸に動く。
「レナータのペンダントは確かに私のものによく似ていました! 今日のレナータがペンダントを身に着けていないのも、盗んだことがバレてしまって後ろめたい気持ちがあるからに違いありませんわ!」
それを聞いてレナータは目を覚ました。
そうか。やはりメラニーは、レナータがペンダントを盗んだかどうかなんてどうでもいいのだ。メラニーはただ、レナータを糾弾する機会がほしかったのだ。
メラニーの睥睨にじっと静かな視線を返していると、「まあまあ」とどちらの味方ともいえない表情でカールハインツが割り込んだ。
「少し落ち着いて、レディ・メラニー。貴族の名誉は、ひとたび傷がつくと回復するのは困難だからね」
「ええ……、ええ、そうですわね。旧友のレナータが再起不能になることは、私とて望んでおりませんわ。でもいいこと、レナータ」
メラニーは怒りに声を震わせながら、あでやかな洋扇の先端をレナータにつきつけた。
「今日もそうして素知らぬ顔で出席していらっしゃいますけれど、あなたが私の顔に泥を塗ったのは事実! 子々孫々、あなたの不敬を忘れることはございませんことよ! 参りましょう、カールハインツ殿下!」
メラニーは踵を返したが、カールハインツは高みの見物よろしくその背中を見送っている。気付いたメラニーが振り返る頃には、カールハインツはレナータから上着を受け取っていた。
「ありがとう、レディ・レナータ。君がそう大事に持っていたとなれば国宝にしなければならないね」
「はあ……」
「カールハインツ殿下、お気をつけくださいませ!」
メラニーは悲鳴をあげた。
「レディ・レナータは、あろうことかエーリヒ殿下に色香で婚約を迫ったのです! エーリヒ殿下も辟易しておりましたわ! 不用意にお近づきになってはなりません!」
「色香で惑わしてくれるのかい?」
「私の色香に惑わされるほど女性に不自由しているようには見えませんが……」
手を取られたレナータは、なんだこの王子……と遂に怪訝な顔をしてしまった。妙ににこにこと愛想がよく気も利くかと思えば流れるように毒を吐き、しかしこうして行き過ぎた冗談を口にする。五十年戦争の英雄はよく分からない。
「もし特定の女性が必要というのであればご紹介しますよ。カールハインツ殿下が和平協定に尽力したことも加味し、あちらのオレンジ色のドレスの方とか……」
カールハインツは頷かず、顎に手を当てて、面白そうに笑みながらレナータを見ていた。その視線の居心地が悪く、レナータは「あとは百合の花をつけていらっしゃる方、その隣の方……」とローザ国有数の貴族を順番に示した。しかしやはり、カールハインツは大して反応をみせなかった。
「葡萄酒から庇っていただきましたし、さきほどから色々とお世話いただきましたし……。借りたものは返す主義ですので、そう疑う理由はないかと思いますが」
「ああ、ごめん、疑ってるわけじゃないんだ。でもそうか、借りか」
カールハインツは胸ポケットのバラを取ると、器用にレナータの髪の間に差し込んだ。控えめなブラウンの髪には真紅の花がよく映え、まるでレナータのために用意されたかのようだった。周囲の令嬢が黄色い悲鳴を上げる。
「それならぜひとも、改めて場所を変えて返してくれ」
「……そういうことですか」
やっと本性を現した。気を許してはならないと緊張していたレナータは、そこでやっと肩の力を抜いた。他貴族らの誹謗に沈んでいたところに、妙にあれこれ世話を焼いて親切にしてくれると思ったら、やはりレナータ自身と交渉することを望んでいたのだ。しかも、それは公の場で話せるようなことではないと。
「もちろん、構いませんよ。可能な限り応じさせていただきましょう」
「じゃあ明日、改めて訪ねるよ」
カールハインツは軽やかな仕草でレナータの手をとり、その甲に口づけると、颯爽と踵を返した。エーリヒよりもずっと洗練された動きは、落ち目のローザ国と大国ヘルブラオ帝国の格の違いを見せつけるかのようだった。
「……お待ちしております」
しかし、レナータはどうにも袖口のほうが気になった。バルコニーで見たときも思ったが、金のカフスには見覚えがある。しかし、男ものの装飾品を見る機会なんてほとんどないし……、エーリヒも似たようなデザインのものを身に着けていたのかもしれない。ヘルブラオ帝国の皇子が身に着けているものそれすなわち流行と言っても過言ではないのだから。
それにしては妙に記憶に引っかかるが、思い出せない。レナータは、メラニーとの騒動も忘れ、はて、と首を傾げていた。
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