その辺境伯の恋には枷がある

縹麓宵

1.その辺境伯、鈍感につき

 遅れて到着したレナータは、控えめなブラウンの髪を春風の好きにさせながら、真紅のドレスをたくしあげ、社交界が催されるホールへと急いでいた。


「レディ・レナータ」


 それが伯爵令嬢メラニーの声だと分かり、こんなところでどうしたのだろうと訝しみながら門前で立ち止まった。本日の社交場に選ばれた屋敷は既に明るく、人々の陽気さで溢れているが、メラニーの影はその輪に入らずにいた。


「こんばんは、レディ・メラニー。ごきげんよう……」


 挨拶をする声が尻すぼみになり、そのブルーの瞳も困惑に揺れる。

 原因は、メラニーがその気の強そうな眉尻を吊り上げていたからだ。その目には燃えるような敵意も宿っていた。


「ごきげんよう、ですって? わたくしが何を話したいか分かっておきながら、まだしらばっくれるのかしら?」

「はい?」


 一体なにごとかと眉を顰めれば、メラニーは大きく口を開け


「あなた、わたくしの大切なペンダントを盗みましたわね!?」


 レナータが跳び上がってしまいそうなほどの罵声で、覚えのない罪を擦り付けた。


「あの……? レディ・メラニー、申し訳ないのですけれど、一体何のことか……」

「とぼけたって無駄よ、こちらは全て証拠を押さえているの。あなたが身に着けているそのサファイアがはめられた銀縁のペンダント!」


 メラニーは赤毛を振り乱しながら、レナータの胸元を指差した。ドレスに包まれていない白い肌の上には、鈍いながらも上品な輝きを放つブルーのペンダントが載っている。


「それはわたくしが幼い頃にお祖母様からいただいた大切なものよ。わたくしの昔馴染みはみーんな知っているわ、わたくしの手元からある日忽然と消えたことも含めてね……。前回の社交場でもそれを身に着けていたでしょう? だからお友達が教えてくださったのよ、あなたが盗んだんじゃないかってね!」

「ちょっと……ちょっと、何を言っているのか分からないわ」


 さっぱり理解できない理由で怒鳴られ、レナータは狼狽した。


「これは私のお母様が私のお祖母様からいただいたペンダントよ。あなたが似たようなブルーのペンダントを持っていたのは知っているけれど――」


 脳裏には、メラニーが自慢げに胸元につけていたペンダントのことが浮かぶ。


「でもあれとは違うの。これは正真正銘、私が代々受け継いでいるものよ」

「しらじらしいッ、大体、人のもの・・を盗んだうえに理由までまるごと盗むだなんて! 我が一族を侮辱する気!?」


 レナータは混乱し続けていた。メラニーはなぜここまで怒っているのか。

 だって、メラニーは分かっているはずだ。レナータがメラニーのペンダントを盗んでいないことを。

 そう思いつつも、なにから説明すればいいのか分からず、言葉が出てこなかった。メラニーがあまりに怒り狂っており、しかもその原因は意味不明、想定外の事態に混乱してしまっていた。


「人のものを羨ましがってしまうのは仕方がないわ、だってそれは持たない者のさがですもの。でもそれを盗んで我が物顔で身に着けて、挙句に最初から自分のものでした、って? あなたのいらっしゃる辺境にはそんな馬鹿げた法があるのかしら? これだから田舎者は困りますわあ!」


 そんなレナータを前に、メラニーは口を挟む間もなく罵声を浴びせる。


「実のところ、わたくしも前回の社交場であなたがそのペンダントを身に着けていたのは見ていたの。でも旧知の間柄であるあなたがわたくしのものを盗むはずがないと信じてさしあげたの。でもまんまと裏切られたわ」

「だからメラニー、これはなにかの……」

「いいこと、レディ・レナータ。わたくし、あなたのために今回の件はエーリヒ殿下にお伝えせずにいるの」


 エーリヒ殿下――ローザ国の第一王子でありながらまだ婚約者すらない。理由はひとえにエーリヒが自ら良い令嬢を見極めたいと考えているからであった。


「あなたに少しでも辺境伯令嬢としての矜持があるなら、名ばかりのその爵位を返上して国外へ逃れてはいかがかしら? そうでなければ、エーリヒ殿下にすべてを暴露し、あなたがエーリヒ殿下の妃となる未来など訪れぬようにしてさしあげるわ!」


 レナータは既に両親を亡くしてしまっており、辺境伯の爵位はレナータの手にある。しかし、レナータはまだ若く、なにより女であるがゆえに、未だに「辺境伯」と呼ばれていた。


「……レディ・メラニー、少し私の話を聞いてもらえない? あなたの言っていることは間違ってるわ、ペンダントは……」

「もう結構、あなたの口からは謝罪以外聞きたくないわ! 言っておくけれど、昨晩、ファッシュ伯爵のサロンでこちらの話は暴露しているのよ」


 つまり、レナータとメラニーの友人みなに「レナータがメラニーのペンダントを盗んだ」と伝えている、ということだ。

 そして、メラニーの家は、名門とは言えぬものの、王宮で確かな地位を手に入れており、このローザ国ではそれなりに大きな伯爵家である。

 メラニーは勝ち誇った笑みを浮かべながら、レナータに背を向ける。


「もうこの国にあなたの居場所はなくってよ。追放される前に、自ら国を出ていくことね!」


 そう吐き捨てられたレナータは、目を白黒させるしかなかった。

 メラニーの言動はさっぱり理解できなかった。ひとつだけ分かることがあるとすれば、あの状態のメラニーが先に乗り込んだ社交場は、レナータにとって戦場同然だということだ。

 だがしかし、ここで踵を返せば「ほら、やっぱり盗んだから後ろめたかったのよ」などと言われるに違いない。

 意を決したレナータは、そっと宮殿に足を踏み入れ……メラニーにされたことを目の当たりにする。


「あらあら、レディ・レナータよ」

「どの面下げてこんなところに来ることができたのかしら? メラニー様にペンダントもお返ししていないようだし」

「それどころか身に着けたままだなんて、盗人猛々しいとはこのことだわ」

「きっと他にもメラニー様から盗んだものがおありなのでしょうよ。なにせ、所詮は親の七光りで大きな顔をしているだけですもの」


 クスクスと、嘲笑がレナータに向けられる。


「レディ・レナータ、みなが話すこれは事実か?」


 そこに、さらにエーリヒ第一王子が現れる。

 レナータは唖然とした。エーリヒが今日の社交場に参加するとはからだ。

 いやしかし、エーリヒが参加するからこそ、メラニーは事前に噂を広めていたのかもしれない。レナータは勘繰りつつ、しかし根拠もないのに疑ってはいけないとかぶりを振った。

 だが、そんなレナータの殊勝な心などエーリヒの知ったことではない。エーリヒは険しい表情を向けた。


「レナータ、君はメラニーからペンダントを盗んだのか?」

「……そんなことはしておりません、事実無根です」

「であれば、なぜ黙っている。していないのであれば証拠を示すべきだろう」


 まるで理知的な主張のように聞こえるが、やっていないことの証明を求めるなど愚の骨頂だ。“やった”と主張する側が相応の根拠を示さなければならない、そうでなければ声高に叫べば罪を作り放題ということになってしまう。

 ……と、こんなところで言うわけにはいかず、やはりレナータは黙るしかなかった。公衆の面前で我が国の王子を論破して顔に泥を塗ってはいけない。

 が、エーリヒは「みながまるで事実のように語っている」という熱に呑まれてしまい、レナータの状態を「反論できない」のだと考えてしまった。


「レナータ、私は……、私は君を優しく真面目な女性だと信じていた。それだというのに、この仕打ちはどういうことか!」

「……華やかな場にそぐわぬ騒ぎの当事者となっていることはお詫びいたします、殿下。しかし、先程も申し上げましたとおり、私はレディ・メラニーのペンダントを盗んでなどおりません」

「であれば証拠を示せばよいと話している」

「やあねえ、レディ・レナータったら、エーリヒ殿下にとりなしてもらえると思っていたのかしら」


 二人の会話を聞き、周囲が勝手な想像を語る。


「どおりで社交場に顔を出せたわけね、殿下と既にいい仲だから」

「品のない言い方をしないでよ、殿下の前よ」

「あら失礼。でも、一番品がないのは誰かしら?」

「レディ・レナータのような方がいるから、私達まで一緒になって馬鹿にされるのよ、女性は男性に寄生する愚かな生き物だなんて」


 レナータは、今度は別の意味で弁解する気が失せていた。メラニーの言っていることこそどこにも証拠がなく、ゆえに本来はメラニーのほうがおかしいのだが、ここでは声の大きな者が勝つ。既にメラニーが全友人を味方につけている以上、レナータがどれほど筋の通ったことを口にしようと「言い訳」と一蹴されるに決まっている。ここではだんまりを決め込むのが得策だ。


「そんなことを言っては可哀想よ」


 そこに割って入ったのは、当のメラニーであった。

 メラニーは、まるで主役かのようにホールの真ん中から再登場した。いや、確かに主役であった――レナータという辺境伯令嬢に大事な宝物を盗まれた悲劇のヒロインだ。

 レナータとの当初の口論は、ホール内部までは届いていなかった。ゆえに、そのしおらしい表情に、誰もが一斉に「なんてお優しい……」と尊敬の念を向けた。


「レディ・レナータは幼い頃に両親を亡くされて大変苦労なさったのよ。だからこそわたくしを頼ってきたこともあったし、わたしもよくしてさしあげたわ……」

「さすがメラニー様ですわね」

「でも、それでは恩を仇で返すようなものではなくて?」

「そうよ、メラニー様はご厚意でレディ・レナータによくしてさしあげたっていうのに」


 その言い草には、唖然とするあまり声が出なかった。レナータがメラニーを頼ったことはない。むしろその昔、メラニーのほうからレナータに仲良くしてほしいと言ってきたのだ。

 大体、メラニーに恩を感じたことなど一度もないどころか、むしろメラニーを前に我慢してきたのはこちら側だ。

 レナータの父は、昔、あらぬ罪を着せられ王宮を追放され、失意のあまり体調を崩し、そのまま亡くなった。その後に、メラニーの父が、レナータの父の罪は冤罪であったと明らかにした。メラニーの父は「政敵の冤罪など放置しておけばいいものを、なんと正義感にあふれた方か」と称賛され、いまの地位にある。

 しかし、成長したレナータは、母の言葉により、実はメラニーの父こそがレナータの父に罪を着せた張本人だと知らされていた。その母も、父の死後は病に臥せり、後を追うように亡くなってしまった。

 つまり、メラニーの父は、レナータにとって仇だった。

 それでも、娘に罪はない。メラニーの父の罪を暴くことは、本人のみならず一族を追放することを意味する。ゆえにレナータは、メラニーの父を許せずにいながらも、メラニーには他の令嬢と同じように接してきた、が。


「いいのよみなさん、そうお怒りにならないで」


 聖母のような微笑みを浮かべながら、メラニーは、しかしレナータを激しく睨み付けた。


「弱い方には優しくしてさしあげないと、お可哀想でしょう?」


 他人に罪をなすりつけ、強者を名乗る者こそ、弱者と言わずになんと言おう。

 愕然とするばかりはレナータのみで、エーリヒなどはすっかり王宮の空気に呑まれ、メラニーに感心した目を向ける反面、レナータに呆れた目を向けた。


「レディ・メラニーが寛大な心の持ち主でよかったな、レナータ」


 ああ、王子とはいえ、しょせんは空気に流され他人を罵るような未熟な人間なのだ。

 そこまでされると逆に諦めがついた。レナータは口を真一文字に引き結び、エーリヒからもメラニーからも顔を背け、何事もなかったかのような顔でホールの中へと足を進めた。

 そんな姿を見て、人々は「まあ、あの涼しい顔」「なにも感じていらっしゃらないのかしら? おそろしい、魔物のような方ね」と軽蔑の眼差しを向けた。

 どうして、こんなことになってしまったのか。

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