2-6 苦労が多かった二コラは愚痴や不満に強いです

それから1か月ほど、俺はそこの職場で仕事を続けていた。


最初は慣れなかったが、やってみると結構楽しかった。

基本的に手紙はポストに投函するのだが、直接手渡しをする場面も多い。

その際に、



「うお、マジか! まさか本当にOKしてもらえるなんて! うおおおおお!」

「嘘、ダメだったの……? 絶対に大丈夫だと思ったのに……」



そんな感じで、悲喜こもごもの姿で泣いたり叫んだりするのを見るのは、正直見ていて楽しかった。


そんなある日。


(あとは1件だけだな……)


俺は書類を届けるために裏通りを急いで歩いていた。

そこには貧しい見た目をした子猫(当然眼鏡によるフィルターがかかっている)が、おそらく施しを受けたであろうハムを齧っているのを目にした。


恐らくは路上生活者だろう、だが俺たちの出身国に居る貧民よりははるかに血色が良い。

この『見た相手を全て可愛い子猫に映す眼鏡』の恩恵が、彼らにも働いているのだろう。


だが、その中に両腕が無い男が居た。



「うひひひひ……ひーひっひっひ……」


そう笑いながら男は何やら煙草のようなものを口にしていた。

男は眼鏡をかけておらず、俺に対して何やらいやらしい目を向けてきた。


「ヒヒヒ、兄ちゃん、俺と一緒に遊ば……ぐはああ!」


だが、その男は突然悶えて倒れこんだ。

……ああ、俺がこの男から受けたお誘いを不快に思ったから、ダメージを受けたのか。



「だ、大丈夫か?」

「うひひ! ぜーんぜん平気さ! おいらあ、もう手もないけど、気分はハッピーさあ……」


その男はうずくまりながらも、そう陽気な表情で答えた。


この男の服装を見て老人に見えたが、実は若いことは彼の身に着けている装飾品などから、何となくわかった。そしてこの失った腕も恐らくは『応報罰の魔法』によるものだ。



(下手にナンパしたら、こんな目に遭うのに……なんでこの男は、俺に声をかけたんだ?)



見た感じ、彼は自暴自棄になっている様子もない。


寧ろこの男はどこか恍惚とした表情をしながらも煙草のようなものを吸い続けている。

その煙草の匂いは、俺が以前どこかで嗅いだ香りだったが、それについては思い出せなかった。



(この匂い……まさか、な……)



もうこの通りには近づかない方がよさそうだな。

俺はそう思うと、配達を続けた。




「ただいま、サンティ!」

「遅いよ、二コラ! まだご飯作ってくれないの?」

「ああ、ごめんな。すぐ作るから待っててくれ」



例の男の件もあり、俺はいつもより帰るのが遅くなった。

その為俺は、慌てて八百屋で購入した野菜や果物を取りだして調理を始めた。



「ところで今日の夕飯は何作るの?」

「ええっと。エンドウ豆のスープに、棒鱈のソテーだのつもりだけど?」

「え~? 魚なのかあ……。ちょっと残念」


因みに俺は、生活費は彼女に出してもらっている。

その為料理などは可能な限り彼女の意向に合わせているが、最近は栄養価が偏っていたこともあり、魚にしている。



俺は大急ぎで料理を作ったが、その時に大切なことを失念していた。




「それじゃ、食べようか」

「うん。……うわ、なにこれ、味しないじゃん!」

「え? ……マジだ。悪い、ちょっと待っててくれ!」


俺は料理を作るのに急ぐあまり、塩を入れ忘れていたのだ。

そこで塩を入れようとしたが、ちょうどストックが無い。



「ゴメン、もう塩は無いみたい。このまま食べようか?」

「はあ……しょうがないなあ……ま、腹減ってるからそのまま食うよ……」


ぐは……と、俺は腕に切り傷が付いたのが分かった。

彼女を傷つけてしまったため、ということなのだろう。


「ごめんな、サンティ」

「別にいいよ。……というかさ、聞いてよ! 今日もね、上官に色々言われてさあ!」

「うん、うん」



そしてしばらく彼女の愚痴について付き合うこととなった。

話を聞いていると、やはり彼女の職場では上下関係が厳しく、そしていじめ……ではないが、どうしても雑務が部下に回ってくるようだ。


そして中々出世できない彼女は、同期に追い越されていまだに自分だけ雑務をやっていることにいら立っているのだろう。



「そうか……大変だよな。サンティは一生懸命やってるのにな」

「でしょ? ……分かってくれて嬉しいよ。……でさ……」



そういうと、急にサンティはもじもじするような表情を見せた。



「あんた、本当に人間?」

「え?」

「だってさ。あたし、この性格だろ? 相手のこと気にしないで色々言っちゃうから、いつも相手から『応報罰の魔法』を喰らうんだ……」


ああ、やっぱり彼女の体についていた傷は、部下や上司に対して歯に衣着せずに話したことによる『応報罰の魔法』によるものだったのか。


だがサンティは、少し罪悪感を抱えたような表情で尋ねてきた。


「けどあんたは……あたしがどんなひどいこと言っても、全然『応報罰の魔法』が来ないんだよ! 本当に気にしてないのかい?」

「別に俺は全然気にしないけど……」



いつもとは違うしおらしい表情の彼女を見て、俺は少し驚いた。



「本当はあたしのこと嫌いで、我慢しているんじゃないかい? ……その……さっきもさ。仕事でイライラしていた分、あたっちまって……」

「当たる? なんのことだ?」

「帰りが遅いことを怒ったり……料理のメニューに文句を言ったり……そう言うの、嫌じゃなかったのかい?」


そうは言われても、俺は傭兵時代や『勇者』による統治時代、こんな目には散々遭ってきた。

今更こんなことで傷つくことはない。


それに……。



「別に気にしないよ。俺はそれよりさ。好きな人……かは分からないけど、こうやって誰かと夕食を過ごすのが、夢だったから。それだけで、すっげーサンティに感謝してるんだ。……だから、気にしないでくれ」



俺はそう答えた。

結婚相手を探しに各地を旅していた俺にとって、こうやって女性と二人で生活を共にすることは、何よりの宝物だ。


「……夢?」

「そう。それにさ。サンティは兵士としてこの国の人のために戦ってるんだろ? 本当にすごいし、俺には出来ないよ。……だからさ、せめて俺が受け止められることは受け止めたいって思うんだよ」



俺は建前ではなく本心からそう思っていた。

兵士として戦う苦労は俺もよくわかるし、上官との軋轢も分かる。だから、俺は自分が彼女の力になれることを傷つくなんて、とんでもない。


むしろ俺は、彼女の力になれることを誇りにすら思っていたのだから。



「二コラ……」


彼女が少し顔を赤らめるのを感じた。

……少しは関係が進んだかな?


サンティは少し恥ずかしそうにしながらつぶやく。


「……実はさ。今までミルティーナが紹介してくれた男もさ。みんなあたしの性格や家事能力を見て、嫌になって別れちまったんだ。キスどころか『もう近づきたくもない』なんて言われたこともあったくらいさ」

「そうだったのか……」

「だから、あんたが初めてだよ。……正直、あんたが居てくれると、その、あたしも嬉しいな」



俺はそう言われて、出来る限りの笑みを見せて答える。

よく見ると、サンティの体の傷が以前よりも少なくなっている。俺が彼女といることで、少しでも同僚と摩擦を起こす場面が減っているのであれば、俺も一緒に居る甲斐があった。


「俺もだよ。サンティ、一緒に毎朝ご飯食べて一緒に話するのは、楽しいよ?」

「そっか……。なら、今日出してきてよかったよ」



すると、ちょうどそのタイミングで郵便ポストに手紙が入る音がした。



「ん?」

「ちょっと取ってきて?」


そう言われて俺は、ポストに入っていた一通の封筒を見た。

あて名はサンティからだった。そして俺は封筒を開けて中を見た。


「これは……交際同意書?」

「ああ。あたしの顔、どうだろう? 綺麗か? もし気に入ってくれたなら、その……あんたさえよかったらさ。同意してくれないか?」


そこには、恐ろしく美しい女性の肖像画が描かれていた。


「もう……眼鏡を取ってもらっていいか? あたしも取りたいし」

「ああ」



そう言って俺は眼鏡を取った。



「……嘘……だろ……?」

「どうだい、あたしの顔? 多分婚約者の中では見てくれたのは初めてだよ」


この世界で『交際同意書』が必要なのは、婚約者も例外ではない。

彼女の生活能力や性格が忌避され、殆どの男性は彼女の素顔を見る前に別れていたのだろう。


だが、その彼女のあまりの美しさに、俺は言葉を失った。

彼女は、魔王ミルティーナの言う通り恐ろしいほどの美貌をしていた。



……もしも彼女が眼鏡のない世界だったらどんな扱いを受けていたのだろう。



魔王ミルティーナのように、周りから性的な好奇にさらされていたのか?

それとも彼女の性格も丸ごと周囲は受け入れてくれ、こんな傷はつかなかったのか?



それは俺には分からない。

だが、俺は彼女がこうやって俺のことをまっすぐ見つめ、笑顔を向けているだけで胸が熱くなるようだった。



「お、おい……滅茶苦茶きれいなんだな、サンティって! その、俺が……こんな美人と交際出来て……いいのか?」

「あたしの顔、気に入ってくれたんだね? 嬉しいよ。もう家では眼鏡は外していいからね?」

「ああ。……俺の方は……いいのか?」

「正直もっと不細工だと思ってたけど、まあ普通じゃん? あんたの顔なら全然平気だって!」


本来これも失礼な表現ではあるのだろう。

だが、今の俺には、そんなことは些末なことだった。


「あ、ありがとうな、サンティ! ……おっと……」


そこで俺は思わず抱き着こうとしたが、まだ俺自身も『要求書』を出していないことに気が付いた。


「ゴメン、抱き着くのはダメだよな」

「フフフ、分かっているね、二コラ。じゃあさ。今度の休みだけどさ。デートの申し出をするから、受けてくれよ?」

「あ、ああ! もちろん!」


ニコニコ笑ってサンティはそう答えた。

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