クライン商会の依頼ファイル ~剣姫令嬢はゆっくり紅茶をたしなみたいのに座っているヒマもありません~

桂真琴@12/25『転生厨師』下巻発売

Mission1 アッサムでリセットを ~レッドキャップから逃走せよ

1-1 聖都ロンディニウムの怪事


 アルビオン聖女王国、聖都ロンディニウム。

 濃い霧が、大陸屈指の繁栄を誇る都をすっぽりと包む。



 ロンディニウムは森に囲まれた都だ。また、美しい青を湛えた川が都を東西に横切る。その名はライズ川という。

ゆえに霧が発生しやすく、それがこの聖都の名物にもなっていた。



その霧の中を、大きな影がゆらり、ゆらりと泳ぐように進んでいく。



「おい、何かいるぞ。野良犬か?」

 気付いたのはアルビオン聖騎士団の巡回騎士だった。



「ん……いや、違う。人だろう」

「酔っ払いか?」

「まったく、女王陛下の病が篤いというのにこんな時間まで飲んだくれるとはけしからんな」

「確かにそうだが、様子がおかしい。具合が悪いのかもしれんぞ」



まったく、と舌打ちした騎士は狭い路地を進む影に声をかける。

「おい、そこの者。止まりなさい」



 ぴたり、と影が停まった。



「大丈夫か。具合でも悪いのか――」

 騎士は言葉を止めた。

 遠目ではわからなかったが、停まった影は異様に大きい。



「き、君、こんな時間にこんなところで何をしている」

『……ガ無イ』

 霧の中、声は不自然に響く。


 瞬間、聖騎士二人は剣の柄を握った。



 魔物退魔を職務とする聖騎士の勘――



 悟った刹那、影が大きく膨らんだ。

「ひっ」

「く、来るぞ!!」

『我ノ身体ヲドコヘヤッタ……』



 地獄の底から這うような慟哭が響いた刹那。



 路地のレンガ塀に二人の頭蓋は打ち付けられ、血と脳漿が塀に、地面に、ペンキをぶちまけたような黒い染みを作る。

『安寧ニ溺レ惰眠ヲ貪ル弱者ドモヨ、スベテ我復活乃贄ニシテクレヨウゾ……』

 地の底を這う哄笑がロンディニウムの夜霧に伝播した。






「お待ちなさい! ビビアン・ローレンス!」


 聖都ロンディニウム特別区、マーリン魔法学園、7年A組の教室。

 公爵令嬢ルシエンヌ・アルトワ様が幾筋もの金髪ブロンド縦ロールを揺らして近付いてきた。


「貴女、魔法薬楽また再試なんですって? おーほっほっ、みっともないわねぇ。恥を知りなさい!」


 うっさいわねこの縦ロールおばけ!!

 というセリフをぐっと呑みこんでわたしは愛想笑いを浮かべる。

「ほほほ、おっしゃる通りですわ。ですが、ルシエンヌ様には関係のないことかと」



 やんわり『黙ってください』と伝えるがルシエンヌ様は黙らないどころか青スジ立てて食いついてくる。



「もちろん! あたくしが下賤な貴女と関係なんてあるわけないでしょう?!」

「はあ、誠に申しわけございません」

 ルシエンヌ様は血管が切れんばかりに顔を真っ赤にしている。ここはとりあえずまあ謝っておこう。



「あたくしはクラス委員長なのよ? 再試なんて繰り返す人がクラスにいるのを放っておけませんでしょう?!」

「そうよそうよ」

「そんなこともわからないトリ頭だから再試になるんですわ!」



 ルシエンヌ様の取り巻きが脇からピーピーさえずる。



「いや、あの、今回再試になったのは……魔法薬学のテストの時間変更がなぜかわたしにだけ知らされていなくて教室を探し回っていたらテストがすでに終わっていたからそもそもテストを受けてないからだと」

「はあ?! 何か言ったかしらトリ頭!」

「ルシエンヌ様はちゃあんとクラスの皆さまに時間変更を伝えましたわよ! ご自分のいたらなさを棚に上げてルシエンヌ様のせいにしようとするなんて下劣ですわ!」


 あまりの言いがかりに呆れとか怒りとか軽蔑とかいろんな感情が混ざり合って言葉が出ない。

 わたしは事実を言っただけで。

 貴女たちの言っていることは、暗にルシエンヌ様による故意の情報操作が行われたことを示していますけど、と言ってやりたいけどそれすら言う気にならない。



 ああ! とびきり熱々で濃いダージリンティーが飲みたい!!



 黙っていると、どさ、と机に分厚い本が置かれた。

 革表紙の立派な物だけど、百年くらい書庫で眠っているような古びた本だ。



「……これは?」

「特別に貸して差し上げるわ。参考書よ。我がアルトワ家に伝わるとっておきの古文書。それで放課後までに勉強なさったら? 再試の再試は免れたいものねえ?」

「ほほほ、ありがたいお心遣いですけれどけっこうですわ」



 丁重にお返しすると、ルシエンヌ様の取り巻きたちが一斉に口を開いた。



「せっかくルシエンヌ様が気を使ってくださっているのに何を言っているの?!」

「ありがたく受け取りなさいよ!」

 ルシエンヌ親衛隊の剣幕に押され、わたしはけっきょくその古文書を押し付けられ、受け取るハメになった。



「ビビアン、あの……それ、すぐ返した方がいいですわ」

 隣のアニーがこそっと囁く。

「アルトワ家に伝わる古文書なんて、きっと嘘ですわ。さっき、ルシエンヌ様たちが何かコソコソ話しているのを見ましたもの。また何かビビアンに嫌がらせするつもりなんですわ」



 アニー・バロウズはわたしを気遣ってくれる数少ないクラスメイトだ。

 すかさずルシエンヌ様がつかつかと歩み寄ってきた。



「あーらアニー、たしか貴女の家にもあたくしのバースデーパーティーの招待状を送っていたはずですわ。貴女のお母様はお受け取りにならなかったのかしら?」

「え、ええ、あ、あの、確かにいただきましたけれど……」

「でしたら、あたくしと貧乏男爵家のお友だち、どちらと仲良くするべきかわかりますわよねぇ?」

「そ、そんな……ビビアンのことをそんな風に言うのはよくないと思いますわ」

「ずいぶんとお優しいことねぇ。けれど、自分のお立場をよく考えた方がよろしいのでは?」



 ルシエンヌ様と取り巻き立ちは高笑いで去っていった。

 アニーはうつむいて唇をかんでいる。



 貴族の令息令嬢のバースデーパーティーは家ぐるみのお呼ばれなことが多い。

 出される招待状は両親への招待状でもある。アニーが苦しむ気持ちは痛いほど伝わってくる。



 わたしを気遣ってくれるアニーのその温かい心。それだけで充分だ。



 だからわたしは、笑顔で明るく言った。



「ありがとうアニー! この古本、もちろん今すぐにでも返したい、っていうか今すぐゴミ箱につっこみたいくらいよ。でもすぐに返すとまた面倒でしょ?」

 さんさんと陽光が降り注ぐ教室の窓際、何やら話に花を咲かせて高らかに笑うルシエンヌ様と取り巻きたち。

 あの人たちに一つ反論したら千倍くらいになって返ってくることは間違いない。



「確かにそうですけれど……」

「ね? だから、帰りのホームルームが終わった後で丁重にお返しするわ」

「ビビアン、くれぐれも気を付けてね」



 わたしの家は男爵家、アニーの家は伯爵家。ルシエンヌ様の取り巻きは伯爵家や侯爵家。そしてルシエンヌ様の家は公爵家だ。

 この聖都にある名門マーリン魔法学園では貴族社会の序列がモノを言う場面が多い。世知辛いことだ。



 まったくなんだってこんな学校に入ったのかと思うけれど、このアルビオン聖女王国のシステム上、仕方がない。

 爵位ある貴族は各地の王立魔法学園で魔力・魔法の研鑽を積み、国のため、国民のため、女王陛下のためにその才能を尽くすことが義務付けられているのだから。


 でも! そのシステムとか貴族としての義務に不満があるんじゃないのよ?

 自分の才能を世のため人のために使うのはとても素晴らしいこと。



 聖騎士として殉職した母様かあさまもそう言っていたし、やはり聖騎士の父様とうさまもそのポリシーを貫くため隣国との前線要塞に赴任している。



 だからわたしも将来は聖騎士になって、自分ができることで世のため人のためになりたい。

 マーリン魔法学園を無事に卒業し、聖騎士大学へ進学し、聖騎士になりたい。

 そして休日には大好きな紅茶をゆっくり楽しむ時間を作るんだ!



 その夢があるからこそ、日々ルシエンヌ様のいびりにも耐えられる。

 


 ルシエンヌ様の嫌がらせは日常茶飯事だけれど命までは取られないし、アニーのようにこっそりと気遣ってくれるクラスメイトがいる。

 だから勉強も学園生活もがんばるんだ。

 そして聖騎士大学へ進学し、いつかきっと聖騎士になってみせる!



――なんて、温めている夢すら叶わないほど、人生うまくはいかないらしい。


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