怪奇譚集「擬」
スカイレイク
二つの音
カイドウさんの両親はお世辞にも褒められた人ではなかったという。世間ではいろいろ言われているが、少なくとも彼は所謂『お袋の味』というものを知らないし、父親は正月にいい顔をして子供のもらったお年玉を巻き上げていた。そのため、中学を出て親戚の元でバイトを始めるまで千円より大きい金額の紙幣を使ったことはなかった。
ただ、それが理由で親元を離れたわけではないそうだ。決定的になった出来事があるのだという。
「アレは中学に入ったときの入学祝いで家族旅行をしたときの話っすよ。何か具体的な証拠があるわけではないんすけどね……」
彼は中学校の入学祝いということで、景勝地に家族で旅行に行くことになり大変喜んだ。今にして思えば、義務教育の中学校で、更に受験をして合格したわけでもない。ただの普通に入るであろう公立中学に入っただけなので、その子とを祝うというのもあの親にしては奇妙な事だったそうだ。
とはいえ、旅行という初めての体験で心は弾んだ。今までは両親がレトルト食品を置いて勝手に出かけることはあったが、カイドウさんを連れての家族旅行は初めてだ。一緒に連れて行ってもらえることに喜びを感じていた。
春休みに一泊二日の家族旅行に海の近くの温泉地に向かった。レンタカーまで使ってお金がかかったはずだが、今にして思えばあの両親が自分にそこまでつぎ込んだのも疑問だそうだ。
温泉に着くと早速旅館ではしゃいだのだが、そこへ父親が『釣りに行くぞ』と三人分の釣り竿を持ってきた。子供ながらに釣り番組は見ていたのでその竿が高級品でないのは分かったが、父親がそこまでしてくれることがたまらなく嬉しかった。
そうして両親とともに旅館の近くにある海に面した崖の上で三人揃って釣り竿を振った。餌が生き餌だったのは少し気持ち悪いと思ったが、それに戸惑っていると父親が丁寧に張りに取り付けてくれた。ここまでしてもらって喜ばないはずもなく、竿を振って海に仕掛けを垂らした。
しかしなかなか釣れない。今では子供が何の考えもなく餌を海に垂らして釣果がいいはずもないと分かるのだが、そのとき父親はそれを指摘したりはせず、海をぼんやりと見ながら出来るだけ遠くの方に餌を飛ばしていた。
カイドウさんは飽きてきたのだが、それを言い出すとこの幸せな一時が終わってしまう気がして言い出せなかった。黙って黙々と糸を垂らしていると、隣の父親が竿を振り、リールを一気に巻き上げた。
「おい! かかったぞ! 持ってみろ、一匹くらい釣りたいだろ?」
そういう父親の言葉に乗って竿を受け取った。父親が後ろで支えてくれたまま竿がぐんぐん引かれるのを必死にこちらに引き寄せようとした。そこでふっと後ろで支えていたはずの父親の手の力が緩んだ。それと同時に突然竿を引く力が強くなった。よろけたが、幸い海に落ちることはなかった。ただ、レンタル品であろう竿は海に落ちていくのを見送るほか無かった。
そこから先はいつもの不機嫌な両親の顔色をうかがう旅行になってしまった。二人であの竿の弁償にいくらか買ったかをコンコンとお説教され、さすがに泣きそうだったが、無くと拳が飛んでくるのを知っていたので必死にこらえた。
以上がカイドウさんが実家から出て行くことを決意した出来事だそうだ。
「一応お聞きしますが、事故の可能性は無いんですよね?」
さすがに根拠が何も無いことを安直には書けない。
「確かにあの竿を引くものが何だったのかは分かりませんし、もしかすると大きな魚がかかっていたのかも知れないですよ。でもね、オヤジが力を抜いたときに俺が竿を落とすと後ろで確かに聞こえたんです……『チッ』という二つの大きな舌打ちをね」
彼はそれから必死になってなんとか生きてきたそうだ。二度と両親のところへ戻る気は無いと断言していた。
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