第7話 理科教師の中村
「やあ! 私の研究所へ!」
三人が実験室この場に来たのは、中村先生からの呼び出しがあったからだ。全く性格の異なる三人は、どうやら実験サンプルとして理想的だったらしい。そして、実験協力の許可証に、竹林が勝手に三人分の署名をしてしまったため、久野と泉妻は泣く泣くこの場に足を運ぶ羽目になったのだ。
「今日はあの椅子に座ってもらうよ!」
中村先生がニコニコと笑みを浮かべながら指さす先には、謎めいた布が被せられた装置があった。「今日は」という先生の言葉に、久野は胸に一抹の不安を覚えながらも、その装置をじっと見つめた。中村先生が勢いよく布を剥がすと、あらわれたのは、まるでホラー映画に出てくる拷問具のような不気味な椅子だった。背もたれには、いくつもの色とりどりのコードが繋がれ、見るからに普通の椅子ではなかった。
久野はごくりと唾を飲み、震える声で中村先生に尋ねた。
「先生……これってまさか電気椅子じゃないですよね?」
その言葉に、竹林と泉妻も心配そうに肩を寄せ合い、三人揃ってうるうるとした瞳で中村先生を見つめた。中村先生は、三人のキラキラ光線に目元を手で覆いながらも気を取り直して言った。
「失敬だなぁ! これは頭の中を読み取る装置さ。ちょっと思考をスキャンするだけだから安心してくれたまえよ」
「手足を固定するベルトは何のためにあるんですか⁉」
久野は、椅子の端にかかっているベルトを指さして問い詰める。中村先生はそっと目を逸らした。
「装置の動作中に動かれると少し危険でね……」
「動くとどうなるんですか⁉」
久野は心配と苛立ちが入り混じった声で、ますます不安そうに叫ぶ。しかし中村先生は笑顔で軽く受け流すと、久野を「やいのやいの」と椅子に誘導していく。久野はしぶしぶ椅子に座るが、背中に金属板が触れた瞬間ビクッと身体を震わせた。
「それじゃあ始めるよ!」
中村先生が手元のスイッチを押すと、頭にビリビリとした刺激が走り、椅子からはゴウンゴウンと低く機械音が鳴り始めた。装置が作動すると、やがて久野の頭上に雲がモクモクと広がり、彼女の思考が映し出される……はずだった。
――にゃあ。
突然、実験室の中に響く猫の鳴き声。四人はきょろきょろと辺りを見回し、不思議そうに顔を見合わせた。そして、装置の上に浮かんだ雲から、猫の鳴き声がふわふわと漂っているのが見えた。
「どうなってるんですか先生!」
中村先生は気まずそうに笑いながら、頭をポリポリと掻いた。
「いやー、間違えて猫の思考を読み取るソフトを入れちゃったみたいだね」
「たまちゃんって猫だったの⁉」
「やっぱり猫だったか……」
「死んだら化けて出てやるからな……」
「猫だけに化け猫」
「うるさい!」
久野は二人を睨みつける。泉妻と竹林はふざけて肩を寄せ合いながら、わざとらしく怯えた振りをしていた。
中村先生は慌てて椅子の後ろに回り込むと、気まずそうにソフトを差し替えた。そしてふたたび実験は始まる。久野は深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、機械の振動に身を任せた。ふたたび彼女の頭上にはモクモクと雲が浮かび、彼女の思考が表示されるのだった。
『わたしのおべんとうたべたのだれよー‼』
その瞬間、実験室にいた全員が驚きの表情を浮かべた。まるで幼女のような口調で、心の声が雲に映し出されている。
『おべんとうのなかにこおりざとうがつまってるし、つくえのうえにへんなおかねがおかれてるし……、いらいらしてるとおなかすいちゃったよー。こうばいでぱんでもかってこようかなぁ……』
久野は顔を真っ赤にし、俯いて恥ずかしそうに震えている。周囲の注目がさらに恥ずかしさを増幅させ、耐え切れずに指をキュッと握り締めた。中村先生は微笑みながら、人差し指をピンと立てて補足説明を始めた。
「私が発明した『心なんでも読みとれーる君』には、精神年齢をそのまま反映する機能があるのさ」
「たまちゃんかわいー‼」
泉妻はぴょんぴょんと跳ねながら、道端で子猫を見つけたかのようにその場で興奮している。久野はさらに赤面し、怒りの鉾先を泉妻に向けるも、完全に無視されている。
次に、竹林さちが椅子に座った。彼女はいつもの無表情で虚空を見つめていたが、浮かんだ思考を視界に捉えた瞬間、小生意気さを含んだ無表情が一瞬にして凍りつく。
『お腹が空いた。そうだ、泉妻先輩の弁当を少し拝借して……やや、誰か先客がいたみたい。可哀そうだから氷砂糖を入れてやろう』
「氷砂糖入れたのお前かよ!」
久野が驚きの声を上げる。泉妻と久野がじりじりと非難の目を向ける中、竹林はまるで何事もなかったかのようにすまし顔で座り続けている。
「お金がなかった。先輩は私が餓死してもいいの?」
「いやよかないけどさー、お兄さんに頼めば良かったんじゃない?」
竹林は頬を膨らませムスっとふてくされる。彼女に兄の話はご法度だった。
最後は泉妻たんぽの番だ。装置が作動すると、泉妻の思考が浮かび上がった。
『あー、お腹すいちゃったなー。弁当忘れちゃったし、お金も落としちゃったし……あっ!』
「何が『あっ』なのかな、泉妻さん……?」
久野は眉をピクピクと小刻みに震わせ、泉妻をじっと睨む。泉妻は恥ずかしそうにペロッと舌を出し、蠱惑的な笑みを浮かべながら答えた。
「てへっ」
「泉妻のやろー。てめー食いやがったな!」
鬼の形相で睨む久野に、泉妻は慌てて言い訳を始める。
「いや、私も悪いと思ってさ、だからドイツマルクをそっと机の上に……」
「それ外国の硬貨じゃん! それもドイツマルクって! 日本でどうやって使えばいいんだよ!」
「うーん……わかんにゃい♡」
「ぶりっ子で誤魔化すなー‼」
久野は激怒し、勢いよく泉妻に掴みかかる。すると、その衝撃で装置が激しく揺れ始めた。
「待ちたまえ君たち! 動かすと装置にどんな影響があるか……」
中村先生が焦った声を上げるも、すでに遅かった。装置が暴走を始め、機械音がどんどんと大きさを増していく。
「これ、どうなってるの⁉」
泉妻と久野が混乱して叫ぶも、装置は一向に止まる気配を見せない。装置は七色に発光を始め、眩しくてみんな目を手で覆っていた。混乱した久野は必死に装置にしがみついている。泉妻は身体を動かして、どうにか椅子から離れようとする。
光も振動も収まったかと思い、全員が薄目で辺りを確認すると。
――にゃあ。
突然、実験室内に猫の鳴き声が響き渡った。
「えっ……?」
久野たちは驚いて泉妻を見つめる。泉妻はハッとした表情を浮かべ、きょろきょろと辺りを見回し、自分を指さしながら小さな声で「にゃあ」と一言……。
「にゃあああああ⁉」
「ぎゃあああああ‼」
久野が泉妻を揺さぶりながら叫ぶが、返ってくるのは「にゃーん」という猫の鳴き声だけ。泉妻はすぐさま口を抑える。顔を真っ赤にしながら言葉を発しようと口を開くが、また「にゃーん」としか出てこなかった。
「泉妻の声が猫になった」
竹林はいつもの冷静な調子で、淡々と言った。泉妻は必死に「にゃーにゃー」と鳴き続けるばかりで、言葉にならない苛立ちで地団駄を踏んでいた。
中村先生は慌てて装置のスイッチに手を伸ばし、操作パネルを押した。椅子から聞こえていた機械音が止まり、装置が静かに停止する。しかし、泉妻の声は依然として猫のままだった。彼女は目に涙を浮かべ、困惑したように首をかしげながら周囲を見渡している。
「にゃあ、にゃあにゃあにゃあー‼」
久野は茫然とその様子を眺め、疲れ果てた声で尋ねた。
「どうやって治すの先生……」
中村先生は気まずそうに笑いながら、肩をすくめて言った。
「おそらく前のソフトが悪さをしてると思うんだけどねー。私もこのような状況は初めて経験してね。うーん、時間が経てば治るんじゃないかい?」
泉妻は「にゃあにゃあ!」と一生懸命、何かを訴えようと鳴き続け、もどかしそうに足をバタバタとさせている。その姿に、中村先生は手をうずうずとさせ、悪戯っぽく笑みを浮かべて言った。
「今の泉妻くんに猫の思考を読み取るソフトを試したくなる気持ち……それって、教師としてあるまじき感情かな?」
「最初から教師失格だよ……」
結局、数日後には泉妻の声は元に戻っていた。ついでに、猫と会話ができるようになっていた。
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