第23話



 呪い解きの館に向かう道中、解呪師の青年は、ぽつぽつと事の詳細を説明してくれた。

「長が……呪詛返しをしようとしたんです」

 日に日に増える患者の数に、遠からず呪い解きの館の人手は足りなくなる。そこで、手っ取り早く原因を突き止めるために、ヘクトルが呪詛返しを行ったのだという。

「長が呪詛返しに失敗するところを……僕たちは初めて見ました」

 彼が青ざめた顔で言う。今回の呪詛返し自体は、そこまで難しいものではなかったらしい。呪詛の根源を辿ること自体は、初歩の初歩として習うものだからだ。

 まじない渡りが行う「まじない送り」では、呪を操る人間の感情を辿るが、解呪師はそもそもの呪いそのものを辿る。そのぶん呪詛返しは、呪詛自体を辿ることはできるが、呪詛を扱う人間が強ければ返り討ちにあうのだ。

「相手の方が強かったのですか?」

「おそらく……でも、あんな失敗の仕方は見たことがありません。今回の呪詛返しは軽いもので、本当に、呪いを術者のところへ戻すだけの予定だったんです。呪いを切り取って烏にして、その中にヘクトル様が入って、術者のもとに帰る……それだけです。長にも、元凶たる術者にも損害は出ません。元凶の顔を見るためだけの呪詛返しだったので……それなのに……」

 思わぬ反撃を食らったというわけだ。

 相手は随分と用心深いのだろうか? しかし、基本的に、双方に害を及ぼさない程度の呪詛返しならば、返されたことすら気づきにくいものだが……

 そのとき、不意に解呪師の青年が足を止めた。

 ここです、と彼が指さした先にある扉からは、なんの物音もしなかった。それが逆に不気味だ。呪に侵された人間は、少なくとも暴れたり喚いたり叫んだりするものだ。

 最悪の場合が頭をよぎる。いやまさか、と一瞬で打ち消した。だったらルゥルゥたちを呼び出す暇すらないはずだ。

 ひたりと扉に手を当て、ルゥルゥはほっと息を吐いた。

「軽い防音の術がかけられていますね」

「長が、皆を不安にさせないようにと仰って……自分が呪いにかかったことも、極力誰にも言うなと」

「あいつのやりそうなこった。それで悪化してたら世話ねえな」

 言って、彼は躊躇なく扉を開けようとした。そのとき、本当にかすかな、吐息のような声が扉の奥から聞こえた。

「殿下、駄目です」

 ヴァリスの手がぴたりと止まる。だが、すぐに半眼になって扉に手をかけた。

「てめえの部下に呼ばれたから来てやったんだろうが。文句言うな!」

 すぱん! と音がしそうなほど小気味良く扉を開き、堂々と部屋に入っていく。ルゥルゥも慌てて後を追った。躊躇がなさすぎる。

 しかしそのとき、今度こそ彼の体がびしりと固まる。

「ええと……その声、やっぱり殿下です?」

 果たして、ヘクトルはベッドの上に座っていた。暴れてもいないし叫んでもいない。呪詛返しで逆に返り討ちにあったとは思えない穏やかさだ。

 だが、異様ではあった。

 彼の瞳からはひっきりなしに、赤い液体が溢れ続けている。

「すいませんね、殿下……ちょっと、見えなくて……」

 すっかり掠れた声が耳を打つ。ヘクトルの両目は瞳が無くなってしまったかのような、ぽっかりとした虚に満ちていた。そこから、とめどなくとめどなく、赤い液体が生き物のように流れ続けている。

 ヴァリスは呆然と目を見開く。へらりと笑ったヘクトルはしかし、急に喉を押さえて身体を折りたたんだ。

「げほっ……ごほっ、ぐ、ごっ……」

 口元を覆った手の中に何かを吐き出す。赤い、宝石のような何かだ。

「柘榴石……」

 主に解呪のときに使用する特別な石だ。それを、何故か吐き続けている。

「……おい、ボンクラ。誰にやられた」

「はは、それが分かれば、世話はないんで……ごほっ、がっ……」

 会話の途中で体を折りたたみ、ぼろりと柘榴石を吐き続けている。指の隙間から、溢れた石がぱらぱらとこぼれ落ちた。

 時折、赤黒い血すらも手の隙間から滴っていた。宝石自体が赤いのか、それとも血で染まっているのか、刹那の判断がつかなくなる。

「くそ、てめえ、そんなふうになったことねえだろ! 何してやがる!」

「うるさいぞ、ヴァリス」

 涼やかな声が聞こえて、ばたりと扉が閉められる。ヴァリスがぎょっと目を見張り、ルゥルゥも飛び上がるかと思うほど驚いた。なんならちょっとはねた。

「お、王太子殿下?」

 この前に会ったときと変わらない無表情で、アルクトスが静かに扉の前に立っている。そういえば、何故かヘクトルと一緒にいるという話だったか。

「彼がわざわざ解呪師たちに自分の状態を隠しているのだから、少しは気を使え、ヴァリス」

 ヴァリスは咄嗟に怯んで言葉を詰めたが、すぐに苦い顔で自分の兄を見つめる。

「……兄貴こそ、ここで何してんだよ」

「彼を診ていた。呪いの心得なら私にも多少ある。彼が解呪師たちを遠ざけるなら、そのぶん誰かが診てやらねばならないだろう」

 あくまでも尊大な口ぶりで言う。

 奇妙だ、とルゥルゥは思った。

 彼の言っていることは、筋が通っているようだが少しおかしい。ヘクトルを誰かが診てやる必要はもちろんあるが、それが王太子である必要などないのでは?

 だがそのとき、まるでルゥルゥの疑問を読み取ったかのように、アルクトスはぐるりと首をめぐらせて彼女を見た。

「ヘクトルが呪詛返しに失敗したのだ。大抵の解呪師には太刀打ちができない呪いにかかったと見るべきだろう。私は、解呪の才能はないがそれ以上に呪いの才があるからな……解呪はできなくとも、少しずつヘクトルの呪いを相殺できる」

 その、やり方は。

 かすかに目を見張ったルゥルゥに頷き、彼はヴァリスに視線を向ける。

「ヴァリスもそうだ。私たち王族は代々、呪いの才しか持てないようになっている……血筋なのだろうな」

 ヴァリスが一歩を踏み出した。

「聞いてねえぞ、兄貴」

「言っただろう。昔、解呪を学ぼうとしていたときのお前に『意味が無い』と」

「分かるか! 言葉が足りねえにもほどがあるだろ!」

「静かにしろ。ヘクトルの呪いはまだ解けていないんだぞ」

 ぽんぽんと交わされる言葉の押収を、ルゥルゥは交互に彼らを見ながら聞いていた。もしかしてこの二人、意外と仲が良いのかもしれない。

「ヴァリス様、確かに先にヘクトルさんに対応すべきだと思います。このままではどうなるか……」

 零れていく柘榴石は採掘されたときのままのような形をしている。大きさも鋭さもばらついていて、とてもじゃないが人間の喉を通っていいものではなかった。

 目の方は呪詛返しの失敗による反動で一時的に見えなくなっているだけの可能性が高いが、柘榴石に関しては原因が分かりにくい。対処するなら早いに越したことはないだろう。

 彼は苦々しい顔でひとつ舌打ちをすると、ヘクトルの元へ歩み寄った。

「見せてみろ。クソ、どうなってやがる」

「あ、私も見せてください」

 柘榴石をぼろぼろと吐き続ける彼の背をヴァリスがさする。ルゥルゥはゆっくりと「少し胸を触ります」とだけ告げて、彼の心臓の辺りにひたりと手を当てた。

「サラ、頼みます」

 告げると、首元から小さなリスが顔をのぞかせる。くりくりとした瞳のリスはこくんと頷き、腕を伝って駆けていく。最終的に、ルゥルゥの手の水かき部分に立つと、指の間から器用にヘクトルの胸へ耳を当てた。

 ルゥルゥが目を閉じると、ぼうっとサラの体が光り始めた。サラは呪いの分析に長けている。彼女の小さな体を通して、呪の残滓を追っていくのだ。

 すう、と魂だけが抜けて、ヘクトルの血の一滴になったような感覚に陥る。闇しかなかった視界の中に、かすかな光景が浮かんだ。

 呪いを解析する行為は、人の記憶を覗いて、呪いにかかったときの追体験をするようなものだ。自分の中に感覚としての呪いが染み込み、慣れていない者は吐くこともある。気を失えないぶん、実際に呪われるよりも心は疲弊するからだ。

 ルゥルゥも、サラに頼んでどうにか呪いの感覚を中和している。そうでなければ、不意に引きずられてしまいそうだった。

 目を閉じた向こう側で、ルゥルゥは鳥になっていた。おそらくヘクトルが呪い返しをしている最中なのだろう。

 鳥はぐんぐんと王宮の真上を飛んでいく。そして、一直線にどこかへと急降下した。

 誰かの後ろ姿が見える。あれが主だ、という感覚があった。振り向け、とヘクトルが願ったのがわかった。

 そして、目の前の背中が、こちらを――

 その瞬間、ばつんと音がして、何かに弾かれたような感覚が全身に走った。ぐるりと視界が回る。後ろに倒れそうになる。

「ルゥルゥ!」

 ぐいと手を引かれ、ルゥルゥはぱちぱちと瞬いた。目の前でヴァリスが驚いた顔をしている。

「おい、ルゥルゥ、どうした」

「……いえ」

 ルゥルゥはかろうじてそう答えた。呪いをかいま見た反動が体を襲う。喉の奥からせり上がるものを飲み下し、混乱の中で息を整える。何度か瞳をまたたかせる。

「……ヘクトルさんはやはり、呪い返しに失敗したみたいです。ただ、呪い自体はそこまで強いものではありません。ヴァリス様であれば十分打ち消せます」

「そうかよ。ならいい」

 ヴァリスは不機嫌そうに答えると、ベッド脇の椅子に腰かけ、ヘクトルの背に手を当てたまま呟いた。

「ルゥルゥ、手よこせ」

「はい、ヴァリス様」

 乗せた手を、下からグッと掴まれる。その手の冷たさに、彼はわずかに目を見張った。

「おいルゥルゥ、大丈夫か。顔、青いぞ」

「大丈夫です、ヴァリス様。今はヘクトルさんを」

 ヴァリスは少しだけ苦い顔をしたが、急いだほうが早いと判断したらしい。ヘクトルの背に手を強く押しつけて、目を閉じた。

「痛むかもしれねえが我慢しろよ――影より青く、夜に嘯け、この身はお前の血の刃!!」

 どん! と何かの衝撃が彼の手からヘクトルの背中へ伝わる。思わずヘクトルが前のめりになったところを、ルゥルゥが片手でなんとか支えた。

 ヴァリスの手は離れないまま、ヘクトルの体だけががくがくと痙攣し始める。呪いが拮抗しているのだ。

 ルゥルゥは片手でヴァリスの呪いを少しずつ自分に渡らせつつ、なんとかヘクトルを支える。途中からナツやソラも支えてくれたため、そちらは問題なかった。国一番の解呪師がもふもふまみれになってしまったが、まあ背に腹はかえられないだろう。

「ゔ、ぅゔ……ぐっ……」

「くそ、意外と強い……!」

「ヴァリス様、手を離さないでください!」

 汗ですべりそうになった手を慌ててつかみ直す。彼は顔をしかめて頷いたが、その手は力が入りすぎてかすかに震えていた。

「力任せに押さえこむだけが呪いの相殺ではない、ヴァリス」

 不意に澄んだ声が聞こえて、ルゥルゥの背後からすっと手が伸びてきた。ヘクトルの心臓部分に手を当てたアルクトスが、口を開く。

「暁に酔い、月にささめけ、あがなわれしは凶星まがつぼし

 瞬間、ヘクトルの呼吸がふっと穏やかになった。ヴァリスが眉をひそめると同時、ヘクトルがぱちっと目を開ける。アルクトスの腕を縋るように掴む。

「で、んか……」

「しばらく眠れ、ヘクトル。大儀だった」

「だめ、で、す、でん……」

 ことんと糸が切れるように、ヘクトルは意識を失う。背と腹にそれぞれ手を当てていた王子たちは、はからずも向かい合うような形で目を合わせた。

「おい、兄貴。何した」

「お前の呪いに同調して、ついでに波を合わせた。波長の合った呪いは増幅する。それを上手く当てて相殺した。やたら力で押し出そうとするより楽だ」

「何言ってんのか微妙にわかんねえよ。ヘクトルは大丈夫なのか」

「眠っているだけだ。じきに目を覚ますだろう」

 言って、アルクトスはゆっくりとヘクトルを横たえる。彼は死んだように気を失っているが、呼吸は穏やかだった。念のため体を診てみたが、呪いはすっかり消え去っている。

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