第20話


「というわけで、魂呼ばいをします」

「というわけでじゃねえんだよなぁ!」

 翌日の真昼間に、ヴァリス・テュシアの叫び声が天高く響いた。

「あんまり叫ぶと傷に障りますよ。まだ全然治っていないのですから」

 彼は額から頬にかけてを包帯で覆われた姿だった。血は止まったものの、それだけなのだ。

「誰のせいだと思ってんだ、誰の」

 彼は怒髪天を衝く勢いでこちらを睨んでいた。

「おい、ルゥルゥ、天地神明に誓って嘘は言うなよ。お前……昨日、誰から魂呼ばいをしろと言われたって?」

 ルゥルゥは首を傾げつつ、正直に答えた。というか、朝起きたときにきちんと説明したのだが。

「ヴァリス様の中にいるという悪魔からです」

「悪魔と和気あいあい話してんじゃねえ! 出てきた時点で殴れっつっただろうが!」

「え? 言われていませんけど……」

 様子がおかしかったら殴れ、とは言われたかもしれない。しかし、殴ったところで悪魔にダメージはなかっただろう。ヴァリスが怪我を負うだけだ。

 いくら怒鳴ってもルゥルゥが不思議そうな顔をするばかりなので、ヴァリスはそのうち呆れた顔で嘆息した。

「お前……悪魔に殺されてたらどうするつもりだった」

「私はナツとソラとヨルを信頼していますから。私が本当に危ないときは、彼らが助けてくれます。あとおそらく、あの悪魔は私の血にしか興味がなかったのではないでしょうか。処女なのかとか聞かれましたし」

「殺すぞあのドグサレ悪魔が……」

 ヴァリスの額に青筋が立つ。随分と感情表現が豊かになったなあと、ルゥルゥはほくほく顔で思った。

「そういうわけなので、魂呼ばいをしましょう」

「いやだから待て。俺はまだ全部を飲み込めてねえ。つーか、お前はなんでそんなに生き急ぐ」

「だって、ヴァリス様の呪いの手がかりになるかもしれませんから」

 きっぱりと言うと、ヴァリスが怯んだように言葉を止めた。

「あの悪魔が言ったことが本当なら、ヴァリス様の呪いには何かがあります。建国の主……ヴァリス様のご先祖が、その呪いに関係しているというのですから」

 彼は苦々しい顔で首を振った。

「意味が分からねえ。話の規模が一気にデカくなりやがって……俺の中の悪魔は何を知ってんだよ」

「分かりません。それを知るために、今から魂呼ばいをするのです」

 正直、嫌な予感はひしひしとする。悪魔に唆されて、幸せな解決策を知った例などほとんどない。彼らが嬉々として教える情報は、全てが最悪な真実に繋がっている。

 それでも今だけは、ルゥルゥは甘んじてその毒を飲もう。彼の苦しみが終わるなら、他の全ては些事だ。

 強い意志の秘められた瞳に、ヴァリスは根負けしたように息を吐いた。

「……それで? なんでここなんだよ」

 ぐるりと周囲を見回す。

 二人が立っているのは、テュシアの国が誇る王宮薬草園だった。見渡す限りの薬草に毒草、世界を巡らないと出会えないような希少植物までもが大量に植えられた、ルゥルゥにとっての楽園である。

 正直、彼女は今にもこの薬草園の中を駆けずり回りたい衝動を必死にこらえている。毒が強すぎて実家の庭には植えられなかった毒草に始まり、特殊な方法でしか国境を越えられない薬草や、そもそも育つ確率が天文学的に低い植物まで、よりどりみどりだ。

「本当に素晴らしいですよね……ヘクトルさんがこの場所を貸してくださったんです。魂呼ばいには、彼らが十分安心できる環境が必要なので」

 ルゥルゥは周りにずらりと並ぶ獣たちを示した。彼らは皆、マタタビにやられた猫のようにその場にごろごろと転がり、毛並みを地面に擦りつけている。

「この子たちはそもそも呪を摂取しながら生きているので、毒草や薬草のたぐいが好きなんです。こういう植物は呪を吸収して育ちますから」

「俺からしちゃあ見慣れた珍しくもねえただの草だが……おい、そっちは毒草のエリアだぞ、犬コロ」

 その場にしゃがみこみ、ごろごろと転がり続けるナツの背をなんとなく止めている。ルゥルゥはにこにこしながら、そういえば、と首を傾げた。

「ヴァリス様、薬草園の中に詳しいのですね。ここに来たことがあるのですか?」

「あ? ああ……俺はここの出入りなら多少は許されてるんだよ。何故か、俺がここに来ると植物の育ちがいいらしいんでな。意味がわからねえが」

「ああ、なるほど。ヴァリス様から出る呪は薬草や毒草の栄養になりますからね」

 ヴァリスはきょとんと動きを止めた。

「何?」

「薬草や毒草は呪を吸収して育つので、悪魔憑きであるヴァリス様のそばだと栄養の吸収率がいいのだと思います」

「なんだそれ……俺は栄養剤か?」

 呆れた顔で、ヴァリスはそばにあった薬草をぺしりと叩いた。植物は我関せずのまま、ふよふよと葉を揺らしている。

 ルゥルゥはそれを微笑ましく見ながら、地面に転がっている獣たちをとんとんと叩いた。

「お前たち、起きてください。魂呼ばいをするにはあなたたちの協力が必要です」

 彼らはとろんとした瞳のまま、緩慢に体を起こす。酔っていても彼らは可愛いし、律儀で素晴らしいなとルゥルゥは思った。自分にいつか権力が与えられたら、真っ先に彼らの銅像を作りたい。

「とはいえ、そんなに頑張ってもらわなくても、あなたたたはそこにいてくれるだけでいいですよ。ナツとソラはこちら、ツクシはあちらへ。ああ、ユキはここにいてくださいね」

 彼女はひょいひょいっと彼らを持ち上げたり転がしたりして、ちょうど円になるように彼らを並べた。手足が隣同士で触れ合うように調整する。

「……何してんだ?」

「魂呼ばいには専用の陣が必要なのですが、それには生き物の命と呪の両方を使う必要があるんです。昔は獣の臓物を使って陣を作ったり、その場で奴隷を殺したりして、命と恨みのエネルギーを使っていたらしいのですが……それは嫌なので」

 ヴァリスは顔をしかめた。

「だから解呪師以外の魂呼ばいは基本的に禁止されてんのか……」

「まあそうですね。現在では、おそらくそういう方法があるとしか習わない解呪師が大半でしょう」

 方法は存在するが、詳しいやり方が残っていない呪術は意外と多い。誰にでもできる呪術ほど、魂や生贄が必要とされるからだ。

 昔は横行していた呪いも、国が荒れやすくなるため徐々に禁止されていった。現在は、才ある特定の人間が、その者特有の呪いを扱うことがほとんどである。呪いは感情の産物なので、本来は一人ひとり異なる効果が出て当たり前なのだ。

「この子たちは呪に侵されながら生きている混ざりモノですからね。生き物であり、呪でもあります。魂呼ばいの条件を的確に満たせるというわけです」

 ふふんと得意げに言う彼女に、ヴァリスは何かを考えながら尋ねた。

「そんで、どうやって俺の先祖を呼び出すんだよ。名前呼べば出てきてくれんのか?」

「そこまで簡単ではないと思いますが……とはいえ、この子たちがいてくれる限り何度か試せると思います。本当は、建国の主様の髪の毛だとか血だとかが残っていれば、ほぼ確実に呼べるのですが……」

「……なるほど、血か」

 平坦な声が響いて、ルゥルゥは何か嫌な予感がした。ほとんど反射的に振り向いた先で、彼の手にあるものに絶句する。

 それは一振りの小刀だった。どこから取り出したのか分からないそれを持って、彼は一切の躊躇なく、手の甲をすぱりと切り裂く。

「な……何してるんですか!」

 ざっと顔色を変えたルゥルゥに、ヴァリスは淡々と言った。

「血が必要なんだろ。どれだけ薄まってるか知らねえが、俺の先祖なんだったら、俺の血にもそいつと同じものが流れてるはずだろうが」

「だからって……!」

 彼はルゥルゥの言葉を無視して、円を描く獣たちの中心にぼたぼたと血を落とした。

「安心しろ、これくらいの血で悪魔が出てきたりはしねえよ。ヘクトルの野郎が一応抑えてはいるらしいからな。頭からの出血だとか、他人の血を飲むとかしねえ限りは……」

「そういうことを言ってるんじゃありません!」

 この人は馬鹿なのかとルゥルゥは本気で思った。咄嗟に彼の手に自分の服の袖を押しつける。じわじわと赤く染まるブラウスに、ヴァリスのほうがぎょっとした。

「おい、何やってる」

「あなたが怪我してるのに平気な顔をしていられるわけがないでしょう! 私の楔である自覚を持ってください!」

 尊大に言い放ち、ルゥルゥは憤然としながら止血を施す。彼はぽかんと口を開けていたが、不意に口元を手で覆って眉をひそめた。

「お前、心配症だって言われねえか?」

「なんとでも言ってください。まだ顔の傷だって全然治っていないのですからね、あなたは」

 彼の顔を半分ほど覆っている包帯を見つめる。片目もほとんどガーゼや包帯に覆われた状態で、さらに傷を増やそうとしないでほしい。

 ある程度の止血を終えて、ルゥルゥはため息をついた。怪我をしてしまったものは仕方ないと、獣たちのほうへ向き直る。少し鉄錆の香りがする血へ手を伸ばして、するすると地面へ陣を描いていく。

 そして、中心にとある石を置いた。深緑の中に、縞模様のように赤が散っている石だ。

「それは?」

血髄石ちずいせきです。静かに眠るものを呼び起こすための石ですよ」

 魂呼ばいは、やり方が確立しているまじないの一つだ。特別な力は必要ない代わりに、成功率を上げるためには希少な物を必要とする。それが、呼び出したい者の血であったり特別な石であったりするのだ。

花一華はないちげ 菊花 乳香にゅうこう 黄胡蝶おうこちょう……」

 静かに唱えた先で、陣がうっすらと光り出す。月光のような淡い光をまとって、うとうととしている獣たちの毛並みを照らしている。

埋火うずめびに舞い 御身をあらわせ……」

 ルゥルゥの指先に、ぼう、と黒い光が灯った。

 ヴァリスは息を呑む。彼女の節も、言葉も、光も、人を呪うためのそれだった。

「――その名はカクールゴス・テュシア!」

 彼女が凛と声を張った瞬間、ごうっと音がした。強い風が、陣から吹き上がるように舞い、少女の体を吹き飛ばす。

「ルゥルゥ!」

 ヴァリスが咄嗟に叫んで手を引っ掴み、彼女を腕の中に庇った。

「大丈夫です、ヴァリス様! 成功しているはず……!」

「んなこた聞いてねえ!」

 ごうごうと鳴る風の音がうるさい。それなのに、獣たちは微動だにせず地面に横たわっているのが逆に不気味だった。こちらは立っているのがやっとだというのに。

 だが次の瞬間、風は嘘のようにぴたりと止んだ。

 二人がそっと目を開けた先に、既にそれはいた。

 するすると、光の帯のようなものが陣から立ち上っている。次第にそれは人の形を取り始め、三十代も半ばを超えた一人の男の姿になった。

 男はゆっくりと目を開くと、かすかに顔をしかめて周りを見回した。

『ここは……どこだ? ……穢れの匂いがする……』

「カクールゴス・テュシア様ですか?」

 ルゥルゥの声に、男は真っ先に反応した。ぐるりと首をめぐらせて彼女を見る。

『……そうか、眠っていた私を呼び出したのはお前か』

「はい、初めまして。テュシアの建国の主様」

『お前……その透き通った魂の色はなんだ? テュシアにおいて、呪いに侵食されずに育つ魂など……ああ、なるほど、まじない渡りの巫女か』

 彼は訝しむように首を傾げてから、一人で納得したらしい。淡い表情のまま頷いている。

『テュシアにかような一族が渡っていたとは知らなんだ。私が死んでから、随分と時が経ったようだな』

「あなた様が身罷られてから、五百年あまりの時間が流れていますから」

 カクールゴスは何かを懐かしんでいるのか、一瞬遠くを見た。だがすぐに、ルゥルゥを抱えるヴァリスに目を向ける。

『隣にいるのは……お前、穢れているが、私と同じ血が流れているな……』

「子孫に対して随分な言い草じゃねえか」

 カクールゴスは憐れむようにその目を細めた。

『なるほど、呪い子か。悪魔も惨いことをする……』

 ヴァリスの目が見開かれる。

「分かるのか、俺が……」

『悪魔憑きであることを? 無論、分かるとも。何故なら――』

 彼の口がかすかに開いて、そのまま止まった。わずかに眉をひそめて喉に手をやり、再び口を開く。だが、そこから言葉が落ちてくることはなかった。

『……そうか、お前たち、これは知らないのだな。ならば、分かっていような、呪い渡りの巫女よ。死者は生者の知り得ること以外を語れぬ。もしそれを聞き出したいのなら……』

「対価が必要。分かっています」

「なんだと?」

 ヴァリスが目を見張り、ルゥルゥの腕を強く掴んだ。

「ルゥルゥ、聞いてねぇぞ」

 ルゥルゥはゆっくりと彼の手を外し、陣のそばに立った。

「安心してください、命を取られるわけではありません。死者しか知り得ぬ情報を知りたいのなら……差し出されるべきは、生者しか知り得ぬ秘密です」

 ヴァリスが首を傾げる。

「どういう意味だ」

「言葉の通りです。一つ、それが隠された出来事であること。一つ、それが、その場の誰も知らない事実であること。一つ、それが、天理に誓って真実であること……これらの条件を満たす『秘密』を、生者が死者に語ること。これが、魂呼ばいで呼び出した死者から、何かの情報を引き出すための条件なのです」

 魂呼ばいは、やり方が伝わってもさほど使われなかったまじないでもある。誰だって、自分の秘密を打ち明けることは恐ろしい。それに、たとえ自分だけで魂呼ばいを行ったとしても、秘密は死者が聞いている。その死者がまた別の場所で呼び出されたとき、自分の秘密を喋られる危険は消えないのだ。だから、高貴な人間ほど魂呼ばいを行うことを忌避した。

 それくらい、死者への対価は絶対だ。安らかな眠りを妨げてまで彼らから情報を得ようとするならば、それ相応のものを捧げねばならない。

 だが、ルゥルゥにはそれがさほど大きな対価だとは思わない。彼女にとって、事実はただの事実であり、それ以上の意味を持たないからだ。

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