第3話『ありがとう。加奈子お姉ちゃん』
勢いのまま家を飛び出して、途中に出会った光佑くんに誘われるまま彼の家に来ていた私は、予想外の事態に目を白黒させていた。
「あらー。見てください。幸太郎さん。光佑君。こんなに可愛い感じに仕上がりましたよ」
「良いじゃないか」
「うん。凄く可愛いよ。加奈子ちゃん」
「……あ、ありがとうございます」
私は顔から火が出そうな気持ちを感じながら、立花さん家の褒め殺しを味わっていた。
そして、光佑くんのお母さんにまた手を引かれ、別室に移って別の服を渡される。
「うーん。これはもう古いですかね。どう思いますか? 加奈子さん」
「い、いえ。とても可愛いと思います」
「そうですか? なら良いですね。次、これ行ってみましょうか!」
「あ、あの」
「メインがこれなら、小物は……えっと、どうかしましたか? あ! もしかして疲れちゃいましたか? 申し訳ありません。私ばっかり楽しんでしまって」
「あ、いえ。私もこんな可愛い服着るのは初めてなので、楽しいんですが……その私なんかが着てしまっては、申し訳ないというか」
「あら。そんなの気にしなくて良いんですよ。ここの服は全部、加奈子さんにあげる服なんですから」
「え!?」
「あぁ、そんなに驚かないで下さい。絶対に着ろとかそういう事じゃないですから。気に入らなかったら、着なくても大丈夫です」
「い、いえ。そうでは無くて、私、そこまでして貰う訳にはいきません!」
「ふふ。そんな事、気にしなくても。気遣い屋さんの加奈子さんには申し訳ないですが、これ全部おばさんのお古ですからね。まぁ、当時の私が選びに選び抜いた物にはなりますが」
そうじゃない。そうじゃないのだ。
だって、私は母に一度だってこんな可愛い服を買ってもらった事なんか無いのだ。
親戚とか、知り合いの貰いものとか、そういう物ばっかりで、だって、私はお姉ちゃんだから。
「あ。やっぱりお下がりは嫌ですよね。でも、今すぐは服屋さんもこの時間は開いてませんし。加奈子さんの服は洗ってしまいましたし。どうしましょうか」
「違う、違うんです」
私は次に着るかと渡された服を強く抱きしめながら、首を振った。
涙を溢れさせながら、何度も首を振る。
違う。違うんだ。
だって、見てれば分かる。
これは全部、ここにある服は全部、光佑くんのお母さんが大事にしてきた服で、なのに、私にって言ってくれるのが、嬉しくて、たまらないんだ。
でも、私は、どうして今までずっとどうしようも無い世界に居たんだろうって、考えると苦しくて、おかしくなりそうだった。
「……加奈子さん」
光佑くんのお母さんは私の手を握り、私は目を合わせながら微笑んだ。
「私ね。思うんです。親子って難しいなぁ。って」
「子供は無条件に親を愛してくれますけど、その愛に私たちは応えられているかなって」
「……加奈子さん」
「必ずしも世界の全てを好きになる必要は無いんですよ」
「どうしても好きになれない人や物があっても良いんです」
光佑くんのお母さんは、太陽みたいな温かい笑顔を浮かべながら、私の心を温めてくれる。
晄弘くんに感じた気持ちとは違う。心の底から安心できるものだった。
「加奈子さん。好きな人だけを愛しても良いんですよ」
「……っ」
「大事な物を、大切にしてください」
それは家族という名の牢獄の中に居た私にとって、暗く厚い壁に囲まれた部屋に光を差し込ませる様なものだった。
その光は、私を温かく柔らかく包んでくれる。
ただ、それが嬉しかった。
立花家への長いお泊りが始まり、私は今までに感じたことが無いほどに充実した毎日を過ごしていた。
結局何日かどころか延々とお泊り期間は延長されて行き、私はまるで初めからこの家の住人だったかの様に感じていた。
「はい。では、今日はマドレーヌを作ります」
「お願いします!」
この家で過ごしている間に、私は朝陽さん……つまり、光佑くんのお母さんと非常に仲が良くなっていた。
正直、光佑くんよりもよく話すかもしれない。
そのおかげか、私は朝陽さんにお願いして、色々なお菓子を作る練習を日々繰り返していた。
そしてその作ったお菓子は晄弘くんや光佑くんに食べてもらう。
私のお菓子を光佑くんも晄弘くんも本当に美味しそうに食べてくれて、私はそんな日々の中で満たされていた。
こんな日々がずっと続けば良いのにと願ってしまうほどに。
だからか、以前家であった時の様に光佑くんの妹さんが台所へ乱入してきたとしても、私は冷静に受け答えする事が出来ていた。
「あ。なんかあまい匂いがする! 何やってるの!?」
「おかしだ。おかしだよ。ひなちゃん」
「えぇー! いいな! いいな! ひなもやりたい!」
「あら。くいしんぼさん達に見つかっちゃいましたね。どうしましょうか」
光佑くんのお母さんはどうしようかと悩んだ顔をしながら私の方をチラッとみた。
私は、光佑くんのお母さんの背中に張り付き、服を引っ張りながら私を見ている二人に視線を向ける。
そして、しゃがみながら二人と目線を合わせると、不器用ながら笑顔を作りだした。
「二人も一緒にやる?」
「いいの?」
「もちろん」
「やったー! おかし食べ放題!」
「こら。陽菜ちゃん。これは光佑君たちの分もあるんですからね」
「え!? お兄ちゃんにもあげるの!? ならひなも頑張って作る!」
「ねぇ」
私は元気に動き回る陽菜ちゃんを見ていたが、袖を引っ張られる感触にそちらへ視線を向けて不安そうな綾ちゃんと目線を合わせる。
そして安心させるように笑った。
「どうしたの。綾ちゃん」
「わたしも、おかし作り教えて、ほしいな」
「うん。いいよ。じゃあ一緒にやろうか」
「……! ありがとう。加奈子お姉ちゃん」
花が咲いた様に微笑む綾ちゃんに私は、不思議と嫌な気持ちはせず、踏み台を持ってきて、作業場に届く様にする。
「あ。いいな。いいな! ひなもひなも!」
「うん。持ってくるね」
「ありがとう! お姉ちゃん!」
陽菜ちゃんにも踏み台を持ってきて、私は喜ぶ陽菜ちゃんを見ながら、朝陽さんと目を合わせて笑う。
『お姉ちゃん』
それは私にとって呪いの言葉だった。
私ではない。あの人たちにとって、使い勝手の良い何かを示すのに便利な言葉だった。
ただそれだけだった。
でも、綾ちゃんや陽菜ちゃんにそう呼ばれると、嬉しくて、温かい。
まるで立花家に家族として迎え入れて貰えた様な。そんな気持ちになるのだ。
しかし、いつかこの場所がなくなるかもしれない。
私の本当の家族はこんな温かくて柔らかい人たちではないから。
終わりの時は来るのだろう。
でも、それがずっとずっと先になれば良いのにと。
私は願ってしまうのだ。
「ではお菓子作りを始めます。準備は良いですか? 皆さん」
「はーい」
「元気があってとてもよろしい。だけど、お料理は危ない事も多いので、気を付けながら作業すること。分かりましたか? 分かった人は手をあげて下さい!」
「はーい」
「はぁーい」
「分かりました! 加奈子ちゃん先生!」
「……いや、朝陽さんまで何で手を挙げてるんですか」
「見ていたら私も楽しくなってしまったので。ふふ」
「もう、朝陽さんったら」
「ふふ。はい。くいしんぼさん達。加奈子ちゃん先生の言葉をちゃんとよく聞いて、良い子で作業するんですよ。でないとお菓子。食べさせてあげませんからね」
「うわぁぁあ。これは大変だ。あやちゃん!」
「う、うん。ガンバリマス!」
私は驚き、騒いでいる二人を見ながら心の底から笑った。
楽しくて、嬉しくて、涙が出そうになるほど。
今この時間が愛おしいのだった。
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