第6話 結婚二日目の朝①

 ◆◇◆


 私はテレサに朝の支度をして貰いながらこの一年を思い出していた。


 シリウス様は婚約期間中は「君には指一本触れない」と約束していたけれど、勿論対外的にそうは言っていられない場面もある。ロドフォード侯爵家の嫡男ともなれば夜会や園遊会に招待されることも多いでしょうし、婚約者のお披露目として自らがホストのパーティーを開く必要にも迫られる。

 だからそういう場では私たちはピッタリと身を寄せ合ったし、ダンスもした。けれど必要以上にベタベタと甘い雰囲気になる事は無いし、シリウス様はできるだけ私を見ようとはしなかった。多分、周りの目から見ても政略結婚で愛が無いのはわかったんじゃないかしら。


 それでも、結婚すれば何か変わるんじゃないかと……初夜で指先が、唇が触れれば後からでも気持ちはついてくるんじゃないかと期待を抱いていた。けれどそれすらも彼は許してくれなかった。


 “俺に『私は貴方を愛することはありません』と言うんだ”


 彼の声が急に頭の中に蘇って、そして私の目から涙がポロリとこぼれる。


「おじょ……奥様」

「ああ、ごめんなさいテレサ。せっかくお化粧をしてくれたのに落ちちゃうわね」

「そんな事はいいんです。何度でも化粧など直しますから……」


 私は涙を拭くと鏡の中の自分を見る。あまり眠れなかったせいで顔色が良くなく、目の下にうっすらクマさえできていた。


「今日はちょっと白粉おしろいを濃い目にしなきゃいけないわね」

「はい」


 テレサは腕によりをかけて私のクマを隠してくれる。私は白粉をつけて貰う間に目を閉じて……そして真っ暗な世界でふと思った。何故シリウス様はあんな事を言ったのかしら。

 そもそも昨夜のアレは何から何まで「何故?」だらけの行動なのだけれど。そうだとしても私と白い結婚を望むのなら、彼の方から「君を愛することはない」と言えば良いだけの話なのに。


 私の方から「愛していない」と言わせて、離縁する時に私の責にしたいという事? であれば、効果が期待できない催眠術に頼るなんてどうかしている。私が狸寝入りしていたのを気づかなかったみたいだけれど、もしも私が起きていて彼の言葉を聞いた途端に「どういう事ですか?」と問い詰めると思わなかったのかしら。……シリウス様ならきっとそれくらい考える筈だわ。


 それに、わざわざそんなまどろっこしい真似をしなくても、ロドフォード侯爵家の力と周りからの信頼を使えば、弱小伯爵家のイーデン家うちを悪者にしてこちらの責で離縁する事くらい可能だと思う。そちらのほうがずっと現実的じゃない? わからない。何もかもわからないわ。……でも一番わからないのは。

 昨日の彼の声が、私をそっと寝かせた時の手が、とても優しく感じた事。


「おはようございます。シリウス様」

「お、おはよう、リエーラ」


 支度を終え、食堂に向かうと既にシリウス様は席について朝食を摂っていた。私が声をかけると、ビクっと彼の肩が揺れた気がする。……気のせいだと思いたい。


「よく眠れたか?」

「……はい」


 私は俯いて答える。まさか泣きながら寝落ちしたなんて言えないわ。


「本当か? 顔色があまりよくないようだ。俺が昨日変な事をしたから……」

「え」


 シリウス様が私の心配をしてくれた? 思わず顔を素早く上げると、彼とやっと目が合う。彼は口を開けたまま声を出さなくなってしまった。そして見る見るうちに美しい顔が赤くなっていく。


「……あっ、変な事と言うのは! 違う!! そういう意味じゃない!! 君が眠っている間に勝手に何かしたわけでは!!」

「え、あっ……ソウデスネ」


 確かにそういう意味では「変な事」は一切されていないけれど。うん。食堂に控えている侯爵家のメイドたちがニコニコ顔で向けてくる視線が痛い。多分彼女らには「色々したんですね」と勘違いされている気がするわ。昨日私がシーツを握って泣きまくっていたから、夫婦の寝室のシーツは湿って乱れている。朝方にシリウス様が自分の部屋にいたのを知られたとしても、朝まで私達は一緒に仲良く夫婦の寝室にいただろうと思われるでしょうね。


「はあ……」


 私は状況がますます拗れてきた事にはしたなくも溜息をついてしまう。その溜息が私の肩の力を抜いてくれたのか、ある可能性に気づいた。


 この拗れた状況こそ、シリウス様が求めていたものではないかしら。


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