愛する夫が催眠術で私に「貴方を愛することはありません」と言わせようとしている
黒星★チーコ
第1話 結婚初夜①
「……これは何ですか」
シリウス様と婚約して一年。ずっとそっけなかったあの人も、結婚すれば何かが変わるかも、と密かに期待はしていた。
ええ、確かに変わったわ。今まで目が合えば凄い勢いでぷいっと逸らされていたのに、今はまっすぐ私の方を見てくれている。
ただし、その青灰色の視線はとても険しい……真剣な、まるで重大な何かを決意したような……眼差しだし、そして何よりも。私と彼の顔の間には、紐に吊られた銅貨が一枚挟まれている。
私は思わず目の前にぶら下げられた銅貨に対して「これは何ですか」と聞いてしまった。
どういう方法を用いたのかはわからないけれど、コインの真ん中に
「リエーラ、催眠術を知っているかい?」
「さいみんじゅつ?……いいえ」
全く心当たりがない。自然と首が斜めに傾ぐ。
「それは
「くっ、かわっ……」
彼は一瞬険しい顔を更に険しくさせよくわからない言葉を叫びそうになってから、一旦ふーっと息を吐いて再び口を開く。
「いや、そう歴史のあるものではない。最近巷で流行っている遊びのようなものだ。人によっては良く眠れるとか」
「はあ……」
それで言葉の意味が「催眠術」なのだと漸くわかった。……でも。
「それを、ここで、今?」
「ああ、試してみたい」
私は夫になったシリウス様を眺める。後ろはきっちりと首のあたりで刈り揃えているのに何故か片側の前髪だけ長めの髪型は随分と風変わりなスタイル。けれど彼の整った細面とサラサラの黒髪には良く似合う。麻紐をつまんだ細くて長い指は緊張のせいか細かく震えていた。
「お、俺を、見るな」
「え?」
「アッ、いや違う! えーと、このコインをずっと見ていてくれ」
「はい……?」
もう頭の中は疑問でいっぱいだけれど、私はシリウス様の言う事に素直に従う事にした。夫に全てを任せるのが初夜の嗜みと聞いていたし、それに私自身も恥ずかしい状態だったから。
侍女のテレサが「お嬢様には絶対に! これが! お似合いです!」と力説していた、初夜の為だけに用意した薄い夜着。私は今この一枚と下着だけを身に纏っていて、とても心もとない。この寝室は薄暗いけれど、それでも身体のラインがハッキリ出てしまってると思うと恥ずかしくて泣きそうになってしまう。だから私としても何かに意識を逸らせるのはありがたいと言えた。たとえその対象がこの妙な銅貨と催眠術だとしても。
私が銅貨に視線を集中させると、それは一層ふるふると揺れ出した。次には左右にぶるぶると。あまりにも指の震えが激しくないかしら、と心配になってもう一度シリウス様の顔を見る。いつもはあまり光を宿さない青灰色の瞳が、私と目が合った瞬間にちかりと光ったように見えた。
「!……だから俺を見るなと!!」
「申し訳ありません。あの、余りにもコインが揺れるものですから」
「い、いやそれでいい。これが左右に揺れるのをじっと目だけで追いかけるんだ」
「はあ、わかりました」
私は再び孔のあいた銅貨に集中する。最初はぶるぶるしていたそれは、やがて安定して左右に振れるようになっていった。それを顔を動かさず懸命に目だけで追う。結構これ、難しいかもしれない。
「あなたはだんだん、眠くなる~」
(!?)
突然シリウス様が変な事を言い出したので私は内心ぎょっとしたけれど、また顔を見たら怒られてしまいそうでぐぐと堪え、左右に揺れるコインを追いかけ続けた。
「眠ーくな~る。目蓋がだんだん、重くな~る」
これが催眠術ってやつなの? どうしよう、どうするのが正解かしら。全然眠くも目蓋が重くもならないのだけれども。
「眠くな~る。眠くな~る。ほーら、目蓋がとっても重くなってきた」
「……」
私は彼に問い質しただしたい気持ちを抑え、そのまま流される事にした。一通りやりきらないと多分この茶番は終わらないと思ったから。眠くなった時のように半分目を伏せる。
「そうそう、そのままもっと眠ーくな~る。もう目を開けていられない。眠くなる、目を閉じてしまおう……」
私はどうなるのか不安に身を任せたまま、目を閉じた。このまま寝てしまう事になるのかしらと考えたその時。真っ暗な視界の中にシリウス様の言葉が飛び込んできた。
「リエーラ、君は今催眠状態だ。俺に操られて、半分寝ている状態なんだ。だけど自分で起きる事はできない。いいね?」
「……」
ここは返事をしてはいけないのだろう、と私は空気を読んだ。ベッドの上で座ったまま、目を閉じてふらふらと頭が重くて支えにくい演技をする。と、フワリと私の身体に何かがかかった。頭を下げてバレないように薄目を開けて見ると、シーツが全身に巻き付けられている。
(?)
彼の手がこちらに伸びて来るのが見えたのでもう一度ぎゅっと目をつぶった。もしかして、私が寝ている
なんて考える内に、力強い手が私の肩に触れる。優しくゆっくりと、まるで私をいたわるようにベッドに寝かせられた。そして彼の声が聞こえる。
「リエーラ、君は目が覚めると俺に『私は貴方を愛することはありません』と言うんだ」
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