願いの物語シリーズ【ヒナちゃんねる】

とーふ

第1話『『ヒナちゃんねる』週末ラジオー。今日もよろしくねー!』

業務就業間際になって追加の仕事を寄こしてきた上司に、内心で恨み言を投げつけながらも何とか仕事を終わらせた俺は、駅のホームを全力で走っていた。


何とか電車がホームに滑り込んでくる前に、列の後ろに並べた俺は息を整えながら、腕時計を確認し、改めて上司に毒を吐いた。


(今日は陽菜ちゃんの配信日だというのに、これじゃ間に合わないじゃないか)


むしろ間に合わないどころか、もう少ししたら始まってしまう。


いくら上司に毒を吐いたとて、時間は戻らないし、どのみち、家で酒を飲みながら陽菜ちゃんのトークを楽しむという俺の願いは叶わないのだ。


(しょうがない。手持ちの端末で見るか)


俺は懐から端末を取り出して、手早くパスワードを入れると、動画配信サイトへと繋いだ。


そして登録してある陽菜ちゃんのチャンネルへ繋げると、まだ配信は始まっておらず、待機画面では陽菜ちゃんと兄さんのミニキャラが遊んでいた。


そんな微笑ましい光景に心を癒されつつ、俺はイヤホンを耳に付け、再び携帯端末を懐に入れる。そして、次に来る電車の時間を確認する。


会社で確認した時間ではもうとっくの昔にホームへ電車が駆け込んできている所だが、それがまだ来ていないのだ。


(確認する時間を間違えたか?)


俺は時計を確認しつつ電光掲示板を見ると、どうやら電車が来る時間はとっくに過ぎているらしい。


おそらくは事故か何かで遅れているのだろう。タイミングの悪いことだ。


しかしまぁ、配信は今ここで聞いているし、会社を出た時点で間に合わない事は確定していたのだ。今更焦る様な事も無いだろう。


『はいはーい。皆さん。こんばんはー! 良い夜ですね!』


『私の家からは今綺麗な月と星空が見えてますよ。皆さんはどうですか?』


(星空か)


俺は耳元から聞こえてきた陽菜ちゃんの声に視線を上へ向け、陽菜ちゃんも見ているであろう綺麗な星空を探す。


しかし、残念ながら俺の居る場所は、都内の中でも特に高層ビルが多い地区ゆえ、空は隠れてしまって見る事は出来なかった。


俺は思わずため息を吐いてしまったが、見えない星よりも、今目にする事が出来る星を見ようと、懐から携帯端末を取り出して画面を表示した。


すぐに黒い画面に陽菜ちゃんの可愛い笑顔が映し出され、思わず表情が緩みそうになるが、ここはまだ外である。


だらしない顔は慎まなくては。と俺は気持ちを強く保ちつつ、画面に視線を集中した。


『うんうん。そうだね。たまには上を向いてみるのも良いと思うよ。あ。海外の人とか星が見えない人は見えた時に気にしてみてね』


『じゃあ、始めようか。『ヒナちゃんねる』週末ラジオー。今日もよろしくねー!』


陽菜ちゃんの掛け声と共に軽快な音楽が流れ始め、待機画面で踊っていた陽菜ちゃんと兄さんのミニキャラが画面でせわしなく動き回るオープニング映像が流れる。


そして、タイミングよく電車も来たようで、俺は端末を懐にしまいながら電車に乗り込み、ちょうど空いていた座席に座り込んで、再び携帯端末を手に取った。


『いやー。早いものでまた春がやってきましたねー。最近どう? お兄ちゃん』


『そうだなぁ。春といえばやっぱり桜かな。よく走ってるコースに桜並木があって、今日も綺麗だったよ』


『えぇー! いいな。いいなー。私も見たかったな! 何で連れてってくれなかったのー!?』


『いや、陽菜は朝起きられないだろう? 去年も起こして欲しいって言うから声かけたけど、布団から出たくないと騒いでたじゃないか』


『去年は去年だよ。今年からの陽菜さんは違うんです。だから明日は起こしてね!?』


『あぁ、そうかい? それなら声かけるよ』


『お願いね! いやー。明日の朝はお花見だね!』


嬉しそうに、楽しそうに笑う陽菜ちゃんを見ながら俺は、まぁ無理だろうなと心の中で思った。


兄さんも言っていたが、陽菜ちゃんは確かに去年も同じようなやり取りをして、やっぱり起きられず、人は朝起きられるように出来ていないんだよ! と言っていたからだ。


何かが変わったという話も聞かないし、おそらくは駄目だろうなと思っていたら、どうやら俺と同じ様に考えている人がいるらしく、コメントにも同じような意見が流れてゆく。


【何か既視感がある会話だな】


【どうせ今年も無理ダゾ】


【無理に100ライス】


【五千】


【なら俺は一万だー!!】


【全員同じ方に賭けたら賭けにならないんですけど?】


【まだ賭ける方言ってないし、分からんだろ!!】


【え? じゃあ起きられる方に賭けるんか?】


【当然起きられない方だ】


【なんだ、この、え? なに?】


【ここまでの話は何だったのか】


【予定調和って言うんだ。覚えておくといい】


『どうやらコメントを見てると、みんな陽菜が起きられないと思ってるみたいだぞ』


『えぇー!? 何で、なんでー!? 起きられるよぉ! 絶対に大丈夫だから!』


【俺は信じるぜ! 陽菜ちゃん!】


【俺もだ!!】


『ほら。信じてる人もいるよ!』


『そうみたいだね。じゃあ起きられるように頑張らないと』


『うん!』


【……こいつらが何を信じるか口にしていないという事実は俺の中だけに隠しておこう】


【思いっきり話してるんだよなぁ】


【信じる。とは言ったが、別に起きると信じているとは言っていない……実質詐欺師だろ】


【しょうがないね。これも好感度を上げる為なんだ。多少の倫理観は捨てていけ】


『あ! あ! お兄ちゃん! 何か嘘ついてる人がいるって!』


『そんな訳ないよ。陽菜を信じるって言ってくれたんだから』


『でもでもー!』


『俺は陽菜の事が好きで、この配信を見てくれている人が陽菜に嘘を吐くなんて思えないな。考えすぎだよ』


『そうかなぁ。でもそうだよね。お兄ちゃんがそういうのなら……うん。やっぱり私も信じる! それで、頑張る!』


【うっ】


【ざ、罪悪感が】


【え? なに? 何か突然信じるって言葉が、凄く重い発言になったんだが……え?】


【陽菜ちゃん信じる発言した奴。兄さんにも信頼されてんのやな! 羨ましいな!!】


【兄さん「信じてるぞ」】


【重い重い!】


【兄さん「この信じてるは、高二の甲子園地区大会決勝で九回まで無失点で抑えた佐々木に向けた信じてると同等の重さだ」】


【オエー】


【プレッシャーに耐え、られない……!】


【俺は、もう……駄目だ】


【なんてことだ。全滅している】


【かつてここには平和な村があったんじゃ。皆穏やかで、楽しく日々を過ごしていた。詐欺師ばかりの村であった】


【いや、滅んでいいだろ。そんな村】


【むしろ滅んだ事でようやく世界が平和になったまである】


この楽しそうに会話をする人々を見ながら、やはり感じるのは羨ましさだ。


(俺だって家に着いていれば、いつものようにコメントする事が出来ていたのに)


しかし残念ながら現実は、未だ電車に揺れながら自宅へ向けて移動中だ。


『なんか春の話で思ったよりも盛り上がっちゃったね。じゃあ次の話に移ろうか。という訳でお便りのコーナー』


『最初は、これ! えーっと、なになに? 黄昏のアル中さんからです。突然のメッセージ失礼します。あ。こちらこそ。失礼しますっ!』


【なんで陽菜ちゃんが失礼してるのか意味不明過ぎて、笑う】


【互いにお邪魔してるんだろ】


『最近、お酒にハマりすぎて、気が付けば毎日浴びるように飲んでいます。健康が気になるので、お酒を減らそうと思うのですが、陽菜ちゃんのおススメのお酒は何ですか?』


『また、兄さんの手作りおつまみが食べたいので、売ってください。むしろ兄さんをください。よろしくお願いいたします。だって』


【酒を減らそうとしているのにオススメを聞いてくる? 妙だな】


【禁酒しろ!】


【お前が飲むべきなのは水だ! アル中!】


『えーっとね。まず、お兄ちゃんはあげません!』


【それはそう】


【甘えるな。ツマミくらい自分で作れ。兄さんは俺が貰ってくから】


【は? やらないが、私が貰っていくが?】


【喧嘩するな! 俺が貰っていく。それで異論はないだろう! 議論はここで終わりだ!】


【なんだこのカス! 許すな!!】


【潰せ!!】


『はいはい。みんなにもあげないから。私のお兄ちゃんだから』


【なんて、ことだ!】


『それで、後、お兄ちゃんの手作りのオツマミ売って。だって』


『売れるほどの物じゃないよ』


【嘘だッッッッッ!!!】


【実際に食べた人間みんなが口を揃えて、旨いって言ってるし。また食べたいって言ってるんだよなぁ】


『だって。お兄ちゃん』


『そうかな。まだまだ全然未熟だけど。それでも褒めてくれるなんて、いい人たちだなぁ』


【違う。そうじゃない】


【未熟とは……うごご】


『まぁ、でもそうだね。もっと上手くなったら店でも開いてみても良いかもしれないね』


『あ。なら私、店員さんやるー! いらっしゃいませー』


『助かるよ。でも、足に負担が多いから、陽菜はカウンターでお客さんと話をしてて貰えると助かるかな』


『そっかー。じゃあコーヒーの淹れ方とか覚えないとねー。それに店員さんも雇わないと』


『そうだなぁ。二人くらいかな?』


『二人かぁ。なら紗理奈ちゃんと麻衣ちゃんをヘッドショットしよう!』


【なんか突然二名ほど頭撃ち抜かれたけど】


【多分ヘッドハンティングって言いたかったんだろ。陽菜ちゃんの場合は、ガチでショットの方かもしれんが】


【佐々木ブチ切れ待ったなしじゃん。麻衣ちゃんさんは知らんが】


【エレメンタルで噂になった子じゃね? どっかの店で働いてるって聞いたぞ】


【夕焼けの里って店だな。河合風香の店だ】


【河合風香って人間性の全てを料理スキルに捧げた女だろ? そのヤバうま料理と兄さんの料理が合わされば……無敵か?】


【そもそも夕焼けの里には世界的に有名な料理人が居るから】


【つまり、そこで兄さんと陽菜ちゃんが働くって事ォ!?】


【人格破綻者の河合風香の代わりに表舞台に二人が立つって訳ね。ふむ、最強か?】


【まだ何も決まっちゃいないけどな】


【分からんやん! 希望を書くのは自由やん! 陽菜ちゃんならやってくれるかもしれんやん!!】


『うーん。流石に今あるお店はねぇ。迷惑掛かっちゃうし。ねぇお兄ちゃん?』


『まぁそうだね』


『あら。なんだか淡泊な感じ。あっ、そうかぁ。お兄ちゃん、風香さん苦手だもんね』


『苦手というか。互いに遠慮がないだけというか』


『ふむふむ』


【これは……フラグですか?】


【兄さんと河合風香の熱愛とか笑えん】


【いい所は何でしょうか】


【炎上慣れしてるから兄さんの厄介ファンから燃やされても何も感じない所!】


【うーん。褒めるポイントか? それは】


【分かりません!!!!】


『とにかく。やるなら新規に店を開くんじゃないかな。まぁとは言っても夢みたいな話だけどさ』


『そうね! でも陽菜は喫茶店とか、やってみたいね!』


【どのみち、人気は凄そう】


【有給とって行くわ】


【当日に入れる分があるとは思えねぇ。予約してから行け】


【予約って何年先になるんだよ】


【店の容量にもよるが、多分百年後とかだろ】


【不老不死になる必要があるようだな!】


コメント欄でも盛り上がっているが、確かに俺も兄さん達がやっている喫茶店? 軽食屋? があるのなら行ってみたいと思う。


美味しい食事と、楽しそうに話す二人の店はさぞかし居心地がいいだろう。


まぁ、問題は確かにいつその店に行けるか分からないという点か。


チャンネル登録者全員が来ないとしても、数百万人が登録しているチャンネルだ、少なくとも気軽に行ける店にはならないだろう。


『まぁ、とは言っても店を開くって簡単じゃないし。いつか、そんな夢が叶ったら。程度の話だね』


【さて、資金援助の準備をするか】


【法律関係の仕事やってる知り合いに相談しよ】


【仕事柄、大企業の重役と話す事が多いからアドバイス聞いておくね?】


【この熱量の違いホンマ】


『なんか最初の相談からズレちゃったけど、こんな所かな』


【オススメの酒聞いてないぞ】


『あ。忘れてた』


『とは言ってもさ。私まだお酒飲んだこと無いから、よく分かんないんだよね。ようやく二十歳になったばかりだし』


『何かお兄ちゃんのオススメって無いの?』


『俺はそんなに詳しくないからなぁ。カシスオレンジとか、よく飲むよ』


【やだ可愛い】


【兄さんはワインとか飲んでるイメージだったわ】


【ちょっとカシスオレンジ買ってくるわ】


『私はウイスキーとか、飲むよ! 今度ね!』


『陽菜。いきなりそんな強い酒を飲むんじゃない。倒れちゃうかもしれないぞ』


『えー。大丈夫だよー』


『駄目だって。この前、匂いだけで少し酔ってただろう』


『それを言うなら、お兄ちゃんだって一口でフラフラしてたじゃない。でも飲んでたでしょ。お兄ちゃんばっかりズルい!』


『あれは付き合いで飲んだんだよ。普段は無理しないよ』


【陽菜ちゃんは酒が弱いのか。なるほどな。ひらめいた】


【通報しました】


【兄さんは酒が弱いのかぁ。ふむ。なるほど】


【燃やすぞ、お前】


【特定しました。今からお前の家に行くわ】


【怖い怖い】


【なんで元アイドルの陽菜ちゃんより兄さんの方が過激派が居るんだよ】


【しょうがないね。兄さんにはガチ恋勢がいっぱい居るから】


【陽菜ちゃんと配信してるのに、ガチ恋勢って生まれるんか?】


【まぁ、陽菜ちゃんは妹だしね。ライバルじゃないなら、可愛い妹で終わりでしょ】


【え? じゃあ画面の向こうに居る兄さんと付き合えるとか結婚出来るって思ってる奴がいっぱいいるって事? 身近に感じても別世界の人だぞ】


【まぁ一応兄さんは一般人だから】


【例の動画の再生数が億を超えている超絶有名人の兄さんが一般人?】


【現役メジャー選手と交流があって、国内最高レベルの投手に慕われている兄さんが一般人?】


【テレビにもかなり出ている兄さんが一般人?】


【それ以上はいけない】


『という訳で、お酒は飲んだことないから、オススメは出来ません! でも飲み物なら、ココアとか美味しいからオススメだよ!』


『さて、じゃあ次のお便りに行こうかー!』


陽菜ちゃんの声を聴きながらも俺は画面から視線を外し、そろそろ自宅近くの駅につく事を確認して席を立った。


続きは家で聞くことにしようと、携帯端末の電源を落とし、懐にしまう。


リアルタイムで全て見ることは出来なかったが、仕事の疲れが一気に吹っ飛んだ。


とりあえず帰りのコンビニでリキュールを買って帰るかなと考えつつ、俺は開いた扉から外へと歩き出すのだった。

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