終と始
はらわた
プロローグ 前編
俺は自分を宇宙人だと思ったことは一度も無い。
地球生まれの地球育ち、ただの人間。そもそも星が地球と同じ形であると知らなければ、宇宙のどこかで俺達と同じような生物が居るのではないかと考えることすら無かっただろう。
地に足をつけてだ。俺が天寿を全うするまでに、銀河旅行が出来るまでの宇宙船が作られることはない。俺は今ある限りの知識により、俺は地球人でも無く宇宙人でもなく、ただの普通でどこにでもいる人間なのだ。
と、中学生活が始まるまでの春休み期間、暇を持て余した俺はおかしな思考ゲームをしながら床に寝転がっていた。
義両親は仕事に出かけ、義妹はコンビニへアイスを買いに行っている。
寝るにも体力は有り余っているし、出掛けるのは躊躇ってしまう。自慢話のつもりはないが、俺は妹の白波とは一緒に学校に通い、テレビゲームを毎日していたりするほどの仲良しで、今日も今日とて共同作業のようなものをするだろうという確信めいた信頼故にである。
血縁者が一人としていない俺には家族とはどんなものなのか一生分からない。それでも絆は確実に存在している。
入学祝いの一つとして、買い与えられたスマートフォンが軽快な音楽を鳴らす。ピロピロリン、と。
テーブルの上に置いていたそれを手に取ると、白波から『何がいい』とメールを送られていた。
「適当に」
返信して、無心で壁を見つめた。
そういえば、ゲームがあった。
テレビとゲーム機の電源を付ける。そして『ヴェセル・オンライン』を起動した。
入学祝いに買い与えられたもう一つのもの。MMORPGという世界中の人と同時に遊べる自由度の高いソフトだ。
なんといってもレベルという概念がなく、細かすぎる操作とそれを操る技量、プレイヤースキルでモノを言わせるゲーム廃人向けの怪物作。
パーティゲームではないため全く手をつけていなかったが、折角暇なのだからやってみるのが筋だろう。
ヴェセルのタイトル画面が映った。青い空に黄金の満月、風に揺れる草原を背景に『ニューゲーム』と『コンフィング』の二項目が現れる。
はやる気持ちに押されてゲームを開始した。すると画面は暗転し、中央に文字が浮かぶ。
『あなたは男性ですか?』
そんな問いの下には、はいといいえの二つの選択肢がある。
「はい」
『ヴェセル・オンラインの主人公はあなたの分身として生み出しますか?』
……少し気持ち悪い感覚だ。様々なゲームをしてきた身としては、これがとんでもないことをしでかそうとしているのではないかと理解できる。
「いいえ」
『主人公は性善説を信じていますか?』
「はい」
『かっこいい、とは内面にこそ現れますか?』
「はい」
『世界より大切な人を守る派?』
「はい」
『主人公は自分とは別の存在?』
「はい」
『主人公を女性にしてみますか?』
「なんのゲームやねん」
これは心理テストでキャラクターを作ろうとしているのか? 説明書には多種多様なキャラクタークリエイトが可能と書かれているぞ?
「はいはい」
『あなたは魔法が好き?』
「いいえ」
『主人公は魔法が好き?』
「はい」
『あなたは自分とは真逆な女性が好き?』
「はい」
『人間は嫌い?』
「はい」
『人間になろうとしている人外は嫌い?』
「いいえ」
『あなたは究極の価値を絶対に見分けられる?』
「……はい」
ここまで進むと選択肢は出なくなった。
『ご協力ありがとうございました。ヴェセル・オンラインの主人公はスペア人の少女トートとなります。「正」をバラしてトートです。彼女は遠い星からヴェセルの世界にやってきた新参者で、右も左も分からない子供。あなたが彼女を導くことにより素晴らしい人生を歩めるでしょう。では、心ゆくまでお楽しみください』
ピロピロリン。
ケータイが鳴ったので画面を見ると、『トート』と書かれたアプリのインストールが完了したという通知だった。
恐る恐るそのアプリを開くと、シンプルにメッセージと通信と呼び出しの三項目があるのみ。仕様がわからないのだが、外部からケータイにアプリを入れることは可能なのだろうか?
テレビ画面には、汚れてはいないがボロボロの服を着た少女が、森と思われる場所の巨木のふちに座っていた。
どのような手入れをすればああなるのだろうか、一国の姫様のように綺麗な長い茶髪には癖っ毛一つなく、日を浴びたことすらなさそうな美白の肌は、非現実的でありながらもあまりにリアルな画面の中の風景と合わさって特別な存在であると認識させられる。
これはゲームなのだろうか?
コントローラーに持ち替え、スティックを動かしてみる。
『え、あ、あ、嫌……』
すると少女が立ち上がって一歩進んだ。その動きは自然な歩きではあるのだが、それとは反対に少女の表情は一瞬で恐怖に染まった。
ついには泣き出しそうになったところで、俺は反射的にコントローラーをぶん投げる。
たかがゲームとはとても思えず、ケータイのアプリ『トート』から通信を選択した。
ケータイの画面はテレビ画面と同じ場所を映し出し、少女の真正面の位置に固定される。
少女の体は糸がプツンと切れたように地面に崩れ落ちた。
「聞こえる?」
俺は話しかけてみた。少女はビクッと反応を示し、恐る恐るといった感じで口が開く。
「誰……ですか?」
清流のように涼しげな声だった。発音の細かなところまで邪気が取り除かれている、というのに近いか。
そして奇妙なことに、肌色の瞳で、それが今のケータイの画面を映しているカメラをきちんととらえていた。
「俺はオワギリセンナノ。和食の和にノマを付けて切除の切と、占いに七で和々切占七だ」
俺はちらっと、テレビの画面に目線を戻すと、彼女が見ているものの正体を知る。
ケータイが映しているカメラに当たる場所には赤い霧のようなものが揺らめいており、それは彼女の体に繋がっているのだ。
もしかすると……。
もう一度コントローラーを持ち、移動用のスティックを倒してみた。
すると今度は赤い霧が動き、ケータイの画面も移動する。
「あ、あの……私、器の為に生まれて……その、これはなんなのでしょうか?」
彼女の問いに俺はどう答えればいいものかと思考する。
「君は何故そこにいる?」
「それは……神様の為に」
「神様ぁ?」
「あなたこそが、センナノ様こそが、私だけの神様なんでしょう……?」
乾いた笑いが空気に溶ける。理解不能、何が何やら。
彼女はゲームの中とはいえ確実に存在する生きた人間であるし、ゲーム機『アブソルート』の性能でこれほどの高度な操作が出来るわけがない。
馬鹿には何もかもがファンタジーに見えるものだが、ついに俺も馬鹿になったか。
「……そうだな、俺に縋れ」
「縋る……?」
「俺がお前を助けてやる。俺の脳みそを貸してやるから、どうにかして俺と出会おう」
勝手な憶測と無謀な飲み込みで、彼女を導くのは俺しか居ないという結論に至った。
警察に駆け込んで助けてもらおうとしても恐らく無理だろう。彼女はきっと生まれた時からこの時の為だけに育てられているし、ヴェセル・オンラインは俺の住む地球とは別の星にあるからだ。
実際に行動して結果を出したわけではないのに、どうしてそんな確信を持って断言できるのだろう、俺という人間は。
何故、俺がこんな目に遭わなければならないのか、全く見当も付かない。だが、見当が付かなくとも当事者は俺、俺なのだ。
少女、トートは安堵して涙を流す。
「神様……トートは幸せ者です」
「……」
その表情は、義妹の白波に誕生日プレゼントを贈った時に見た最高に嬉しそうな顔と同じだった。
これから先、大変な中学校生活を送ることになるだろう……。
『ピンポーン』
家のインターフォンが鳴った。
親ではないし白波は鳴らすやつじゃない。誰だ?
「悪い、トート。用事が出来たから少し離れる」
「はい、神様」
神様ってなんだよ、と言ってしまいそうな気持ちをグッとこらえ、テレビの電源を落として玄関まで歩いていく。
俺の家にアポイント無しで来る親友というか仲間というか、そう呼べる奴は一人だけだ。
小学四年生の時に転校してきた女の子、市絆心巳【しほだうらみ】。一度も喧嘩したことがないほどに気が合うその子は、まるで許嫁の関係であるかのように俺の両親とも仲が良く、白波に至っては姉のように慕っている。
そうだな、心巳しか居ないよな、と、玄関扉を開いた。
「──あ、おはようございます」
──最初は誰もいないと思っていた。だが、右の耳から大きく聞こえる挨拶に、ゆっくりと首を曲げていく……。
ポストの上には──手のひらサイズの女の子が微笑んでいた。
「……おはよう、で、どちら様?」
誰だ、と、なんだこいつ、という無礼極まりない言葉を飲み込んで、状況を整理する。
まず、ポスターの投入口には針金式のハンガーを伸ばしたようなものが引っ掛けられており、それを使って登った後にポスターの上に設置してあるインターフォンを押したのだろう。
さらりとした長い金髪と宝石を埋め込んだかのようなルビーの瞳、白い肌に小さな黒いドレスを着飾り、見た目通りでもある人形のように綺麗な少女は、胸の辺りに手と手を合わせた。
「私は地球という星から、この地球の占七様に会いに参りました。『エンドレス』シリーズの最新型携帯機器であり絶版モデル、名をシパルと申します。私は自身を人間と自認していますが、よろしければ占七様にもそう思っていただければ至極の喜びでこざいます」
そう名乗るのには、人間そのものの仕草と発音で、とても機械であるようには思えない。
……別の地球?
「それはまあ、遠路はるばるお疲れ様、ですね」
「つきましては、占七様と私とで契約を結ばせて頂きたいのです」
「断ればどうなる?」
「私は処女性を加味して自害致します」
「あーわかった分かった! 頭ん中ミキサーに掛けられたみたいな感じだが契約はする! で、内容を教えてくれ……」
するとシパルは、「俺が助けてやる」と言われて最高に嬉しそうな顔をした時のトートと同じような表情をした。
彼女はポストの端に座る。
「私を占七様の隣に置いてください。そのかわり、私は占七様に仕えます。それが契約です」
「……金とかは?」
「私はもう売り物ではありませんので」
……まるで俺に恋でもしているかのように頬を赤らめて、可愛らしい笑みを作った。
そんなことをされて、言われては、俺の自然に動いていく腕と俺の意思で伸ばした手は彼女の前に止まる。
そしてシパルは躊躇なく手の上に移った。
「よろしくな」
「末長く、よろしくお願いいたします」
予定調和、というものだろうか。
変な話をしよう。最初は誰も思い付かないし、誰も知らないことだ。記憶にもないし記録にも残らない未知のもの。誰だって勝手に生えて勝手に育って勝手に果実を実らせる木なんかどう向き合えば良いのか分からない。なにせ知らないのだから。俺たちが何もしなくても勝手に出来ているんだもの、今更なにしろと?
しかしいざ果実をむしり取って噛んでみるとしっくり来るのだ。この体は果実を食べるように出来ていると思いついて、知って、記憶に残り記録にも記される。
木は俺が使う為に存在していたのだ。
そして、シパルも……最初から、始まりから、終わりまで、俺の為に存在していた。
そうとしか思い付かず、知らずにも、記憶も記録にも残っていないが、こうして簡単に契約を交わすのは運命以外あり得なかった。
「なあシパル、お前って食べ物食べれんの?」
「水なら飲めます」
「ああ、ああ……なるほど」
「色々手伝ってくださいね」
……何も言うまい。
それにしても、どうして俺はこんな目に遭う羽目になったのやら。ついさっきまで自分を普通の人間であると思い込もうとしていたばっかりだというのに。
血縁者が居ないという孤独から目を背けようとしていただけじゃないか。普通の地球人であり特別であり、ただ生きることさえ素晴らしいと思い込ませていただけ。
本当に、俺に何をさせようと……。
「もしもーし、聞こえますかー?」
リビングに戻ると、俺のケータイから少女の声が聞こえた。
トートと違い、こっちが眠たくなるくらいに優しくて、子守唄でも歌っているのではないかと錯覚するくらいに甘ったるい声だ。
聞き覚えのないその声の正体を確かめようと、床に放られたケータイを手に取った。
「──やっほー、占七さん」
「うわ」
そこには、ケータイの電話アイコンを椅子がわりに、画面内を自由に動く青紫の髪をした少女が居た。
少女は足をぶらんぶらんと揺らしながら話を進める。
「やっと占七さんの端末機を完全支配できたよ。さて、私はハノグリプ。ハノちゃんって呼んでもいいんですから」
「……とりあえず、お前ってどういう存在?」
ハノグリプはあはっ、と笑った。
「世界科学が生み出したコンピューターの最後の姿。通称『エンドウイルス』……。これでもそのシパルさんと同じく十二年前に生まれているから同い年の感覚で接して大丈夫だよ」
ちらりとシパルを見ると、無表情でハノグリプを見ていた。
ケータイが一瞬バチッと歪んだ。
「さすがは……最高の携帯機器。削除せずに送り返すなんて優しいですね」
「侵入するのがウイルスです。恨みはしません」
するとハノグリプが手をパンッと合わせた。
「どうでしょう占七さん。これでも私、人間と同じ思考をしていて、ウイルスでも人間と変わらないんです。どうか無差別にコンピューターを犯すことをしなくても良いように、占七さんのケータイで人間らしい生活をさせてはもらえないでしょうか?」
「何故俺なんだ?」
「平和のパズルはあなたと私のピースで完成するからです」
……ウイルスのくせして、頬を赤らめやがる。
「俺が断ったらとか、考えてないのか?」
「優しすぎる人というのは分析済みですから。あ、万が一断られた場合は処女性を加味して自身をデリートします」
「……何故?」
「……その、『占七さんに』好かれたいから……ですよ?」
どう見ても人間にしか見えない彼女に頭を抱えそうになるが、両手とも塞がってしまっているので天井へ仰いだ。
前世と来世を信じそうになる。そうでなければどうやってこんな良い子達と出会えるというのだろう。
詳しい理由はこちらからは聞くまい。
なにせ、彼女らは自分の都合を押し付けている訳ではなく、あくまで俺に主導権を譲ろうとしているからだ。
その崇高な礼儀に対し、俺も礼儀で返したい。
彼女らが俺に押しかけて来たのはきっと、どんな無茶苦茶な境遇でも受け入れてくれるに違いないからだ。
「いいぜ、好きなだけ居ろよ」
「ふふ、大好きですよ、占七さん」
そうしてハノグリプが見せた最高に嬉しそうな顔は、シパルの時とそっくりだった。
そんなこんなで時間が過ぎていたため、義妹の白波の玄関扉を開く音がした。
すると、ハノグリプはケータイの画面を消し、シパルは俺のズボンのポケットに隠れる。
足音は……二人?
「ただいまー」
リビングの扉から白いカチューシャが特徴で小柄な義妹、白波がひょこっと顔を覗かせた。
「おかえり」
「お兄ちゃん、うらちゃん来てるけど良いよね」
と、言ったそばからリビングにぴょんっと跳ねて、市絆心巳が現れた。
「占ちゃんお久しぶりです~」
「昨日も会っただろうが」
どれだけ手入れをしていると思っているのかと言わんばかりの綺麗な長い髪と、左のもみあげに固結びで結んだ長すぎる若葉色のリボンを大きく揺らし、心巳はずかずか歩いてゲーム機の前に座る。
「やばっ」とケータイからハノグリプの声が漏れる。そうだな、不味いよな。
「なにで遊んでいたんです? 混ぜてくださいな」
ここでトートの存在を心巳に明かすわけにはいかない。彼女は俺の知る限りこの宇宙の中で一番優しい奴で、アマゾン川に放り投げられたかのようなあの女の子を見過ごせるほど薄情ではない。
訳の分からないゲームから注意を逸らすため、俺は話をすり替える。
「相変わらずそのリボン変な結び方してるよな。そういうの漫画やアニメでだって見たことないぜ?」
「ポチッとな」
心巳は俺を無視してテレビを点けた。
俺はというと、なんだか俺という存在があまりに滑稽に思えて、彫刻の如く固まってしまう。
テレビの画面には幸いにもヴェセル・オンラインのタイトル画面を映しており、項目にもニューゲームとコンフィングの二つ。
「白波さん、これってどういうゲームなんです?」
「アールピージーだって」
「変なゲームですねぇ」
心巳はニューゲームを選択した。
「オイ、ウラミ。オレノゲームダゾ」
「大丈夫ですよ占ちゃん! 占ちゃんのつもりでプレイしますから」
止まることを知らない彼女は早速あのメッセージを出した。
『あなたは男性ですか?』
心巳は白波を見る。
「プレイヤーの性格によって主人公を作ろうとしているんですかね?」
「……さぁ?」
そして何故か『はい』を押した。
『ヴェセル・オンラインの主人公はあなたの分身として生み出しますか?』
「いいえ」
『主人公は性善説を信じていますか?』
「はい」
『かっこいい、とは内面にこそ現れますか?』
「はい」
『世界より大切な人を守る派?』
「はい」
『主人公は自分とは別の存在?』
「はい」
『主人公を女性にしてみますか?』
「はい」
『あなたは魔法が好き?』
「いいえ」
『主人公は魔法が好き?』
「はい」
『あなたは自分とは真逆な女性が好き?』
「はい」
『人間は嫌い?』
「はい」
『人間になろうとしている人外は嫌い?』
「いいえ」
『あなたは究極の価値を絶対に見分けられる?』
ここで俺は強制的にコントローラーを取り上げた。
「ちょっとお兄ちゃん!」
「どうしたんです?」
怒る白波と比較して、心巳はきょとんとした様子だ。
恐ろしい女だ。俺の中身を完全に把握してやがる。惚れ惚れするほどにな。
「チョットアサノニュースガキニナルナァ」
不自然な行動だとは分かりきっている。だからこそわざとらしく話題を変えようとした。
上手くいけば誤魔化せるかもしれない。
「もー、うらちゃんが可哀想でしょ」
コントローラーを奪い返そうとする白波を心巳は止めた。
「いいんです。私も弁えるべきでしたから」
穏やかに言いながらも、彼女は動揺を隠すためか左手でリボンを撫でる。
毎日結んできている、俺が心巳に贈ったリボンをだ。
「あ、いや、心巳さんよ」
「はい?」
「信用していない訳じゃないんだぜ?」
「でしょうね」
リボンから手が離れた。
俺の思惑をなんとなく察知してくれた心巳であったが、はたから見れば何をしているのかさっぱりの白波は首を傾げる。
テレビのリモコンを取って、適当な民放放送に切り替えた。
その時、ポケットからシパルが俺の脚を二回叩く。それを話をしたいという合図と受け取り、リビングから離れることにする。
「悪い、ちょっと用事があるから二人でゆっくりしててくれ」
「アイスあるんだけど」
「すぐに戻る」
「溶けるんだけど」
「出来るだけすぐに戻る」
「溶けたらどうするの」
「一瞬で戻る」
白波を振り切って、二階の俺の部屋に向かった。
その最中、シパルを慎重に取り出す。
「どうした」
「あの女の人達はどのようなご関係ですか?」
喜んでもなく、悲しそうでもなく、どちらかといえば弱ったような雰囲気を出しながら問い掛けてくる。
想定外だとでも言いたそうだ。
そうなると俺からは十八番の『騙す』という選択肢が無くなってしまう。
「ちっちゃくて可愛いのが俺の義妹の白波」
「それは占七さんが養子ということでしょうか?」
「いいや、義両親は子供が作れないから俺と白波がここに来た。同い年だぞ」
「ではあの心巳とかいう完璧すぎるお方は?」
一目見て……違うな、一聞きで俺と同じ意見になるか。
「……仲間だよ。実家でいざこざに巻き込まれないように一人で引っ越して来たんだ」
「いさこざとはどういうものですか?」
「なんでも、神様の伴侶になるために教育されてきたが、それに反対する分家と争ったんだとよ」
「……」
シパルは黙った。黙ったが、目をかっ開いて思考をしている。
夏場のアスファルトのように空気がもやもやとしだし、シパルから火傷しないギリギリの熱さが手に伝わった。
「なるほど……。運が良いようですね──私と違い」
それだけ言うと、シパルはまた俺のポケットに入った。
心巳がどうしたというのか。
結局、シパルは何がしたかったのか理解できる材料さえも揃わぬまま、話は終わってしまった。
直後、ケータイから『ブーピピッブー!』というおかしな着信音が鳴ったので、右ポケットからそれを取り出した。
「面白い話をしてるね!」
「……ハノか」
ケータイにあるあらゆるアプリアイコンを背もたれ椅子に改変し、それに座ったハノグリプが陽気に笑っていた。
「そこで気になって、彼女らとのメッセージでのやり取りを読ませてもらったわ」
「勝手すぎるだろ」
「……ま、シパルの姉貴には見せないように努力すること。いいわね?」
「ああ」
返事をするとハノグリプが画面を暗転してくれたので、ポケットに戻してリビングに戻ることにする。
トートの件どうすっかなぁ~なんて考えながら着くと、白波はソファに座ってアイスを。心巳は床に正座し、膝下に未開封のアイスを置いてテレビを観ていた。
「おかえりなさい」
俺にすぐに気付いた心巳は開封してアイスキャンディーを取り出し、真っ二つに折って片方を俺に投げた。
「ストラーイク」
などと適当に返事しながら受け取り、口に含みながらダイニングテーブルの椅子に座った。
「ユーフォーだって、お兄ちゃん」
「なにが?」
「一時間前、この町の上空から未確認飛行物体が落ちたんだってさ」
「へぇ」
シパルじゃねぇか。
「しかし落下地点を探しても見つからないそうですよ? 二◯一三年でよくもまぁ、技術が進歩したものです」
心巳は他国から飛んで来たステルス機とでも思ってそうな言い方をするが、対照的に目は何の興味も無さそうだった。
確かに俺も自分に関係が無ければ心巳と同じだっただろう。だがそういうわけにはいかないのが俺なのだ。
……落下地点で見つからない?
「……ちょっと待てよ」
「え?」
俺の独り言に白波が反応するが、俺は無視して玄関から外に出た。
おいおい、この星以外の地球なんていくら探しても見つかっていないというのに、堕ちた場所で見つからないほど小さい飛行物体でどうやってここまで来れた?
俺はシパルを取り出した。
「どうやってここまで来たんだ?」
「……理解しない方が助かります」
「なんだって?」
シパルは何かを確かめるような目つきで俺を見て、そっと目を閉じた。
「おかしいんだよ。トートが俺を神様って言ったり、コンピューターウイルスが通信の届かない程に遠くの星からここまでやって来れたりさ。お前とハノは初対面だった。お前を介して来たわけではなかった!」
「あちゃー」
ケータイからハノグリプの声が漏れる。
「まさか、宇宙船が空に……」
俺は……ゆっくりと空を見上げる。
広大な青い空間には、太陽と、雲と、小さな斑点のようなものしか見えない。
ステルス技術とやらで隠れているのか?
太陽を貫通させている!? 雲に擬態している!? それともあの大きな斑点が!?
俺の予想では絶対にあるはずなのだ。この町の上空に沿って移動する宇宙船が!
森で虫を探すような好奇心ではなく、これは善意から来る焦燥感。もしも宇宙を移動できる手段があるというのなら、トートを助けられるはずだ。
……しかし、俺は重大なことを見過ごしていた。
──この時、思い付きのことが全て現実に起きているということに気付かなかったせいで、大きな遠回りをすることになるとは。
近付く斑点がやがて人の形をしたものになると、俺はようやく宇宙船から思考が離れた。
あれは……なんだ?
「……ブレス! ブレス! ブレス!」
橙色の長い髪をはためかせ、焦茶色の軍服のようなものを着た少女が落ちてきている。その少女の青ざめた顔からは事態の深刻さを物語っており、彼女のみずみずしいぶどう色の瞳が俺と交差する。
右手が小さくチカチカと光っており、それで落ちる速度を緩やかにしようとしていた。
いや、だが、このままでは大怪我、もしくは死が待っている!
「ブレス! ブレ、ひゃ、きゃあああああああああああ!」
見過ごせない俺はシパルを無造作にポケットに突っ込み「占七様!?」、本気で走る。
落下地点は俺の近く、アスファルトの道路の上。俺の類稀な身体能力なら受け止められるはずだ。
そこに二秒で駆けつけた後は、両手を天へ掲げた。
「体勢を整えろぉお!」
「……!? 危ないですぅ!」
「早くしろおおおお!」
確実に人間ケチャップになる速度のそれはあっという間に俺に接触し、千切れそうな両の腕でしっかり掴む。
折れてしまいそうになる脚で必死に耐えるも、足の着いたアスファルトにはヒビが入り、力の使いすぎなのか鼻から血が流れているのを感じた。
羽のように軽くなった少女は上がった息を深く呼吸をして落ち着かせながら、地に足をつけた。
「だ、大丈夫です……んです?」
「……なんだよ……その変な喋り……」
その少女は、奇遇なことに俺と同い年のように見えた。
「まさか、空から女の子が落ちてくるなんて……」
そんな奴初めて見たぜ。
最後まで言い切る前に、俺は地に尻を着ける。
「大丈夫?」
少女が俺の体を支えた。
「こんなことなら、体鍛えておけばよかった……はぁ……」
俺は二十分前のことを振り返る。
誘拐少女に小人少女、ついでに電波少女。義妹少女と完璧少女から最後に空落ち少女。
恐ろしいことを言うとしたら……俺には初めて会ったような感覚がないということか。
俺は一体何なのだろうな。
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