言語モデルを検索代わりと捉える

電車の中で機械学習の本を読んだり、AI学習環境を自前で作ったり、そんなことをちょろちょろしているときに、ChatGPT(OpenAI社が開発した対話型AI)と出会ってしまった。

衝撃的だった。専門誌など読んでいなかったので業界の様子は知らなかった。

ChatGPTが、AIが人の言葉を解釈して、指示通りに動いてくれるのだから、驚かない方がどうかしているよ。

カテゴライズとか是非の判定とか、そのような使い道ばかり考えていたのが、こんなことができるのかと、衝撃を受けたよ。びっくりしたよ!

人の指示が理解できるというのは、たとえば、「この文章の中から~に該当する言葉を見つけて~に置き換えて」というような指示に従ってくれる、ということで。これで衝撃を受けない訳が無いでしょ!

こんなことができると言うことは、その発展性は常軌を逸している。想像を遥かに超える可能性を秘めていると、瞬間的に直感的に理解できてしまう。誰に聞くまでもない。インターネット登場に匹敵するほどのインパクトだよ。


画像生成AIが目立っていたりするけれど、大規模言語モデルと比較すると、とてもチンケなものだと思ってしまう。大規模言語モデルの可能性の幅は、比較して途方もないものなのだから(画像生成AIももちろん凄いですよ)。

要約も翻訳も質問もプログラミングも、どれも本質的に翻訳だと理解できるのだけれど、文字の並べ替えとか、プログラムの修正とか、文脈理解ができているとかに、びっくりしてしまった。

試せば試すほど驚いてしまう。一週間とせずにこれは時代が変わると確信してしまう。

学習で作られたAIだというのなら、さらなる発展が期待できてしまう。そうでなくても、出始めがこれでは、数年で物凄いことになるのではと思わずにはいられない。

案の定、今も滞りなく進化しているでしょ。


何故、凄いのか?

人の指示を聞いて作業ができるというのは、それは人の指示を都合の良い形に修正できるということで、それはAIがソフトウェアなどを介して直接繋がりの無いものを操作できるということなのだから。それが目の前にあるのだから!

この可能性に気づかないなんてどうかしている。仮にそうなら、イノベーション発想が皆無なんだよ。ビジネスパーソンなら失格ものだよ。発展性が理解できないことがどれほど問題なのか、頭を開いて拳で脳をノックしなきゃならない。寝ているのかと。起きろと。新しい検索ツール程度の代物?馬鹿も休み休み言え。


AIの是非を感情面で述べるのは良いとしても、けれども可能性が理解できないというのは、もうどうしようもない愚かさだよ。私はそう思う。


こんな思いを抱えて一年以上も経っている。

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