第23話 結ばれない縁
月仙廟に志勇が駆け込んできたのは、夏の初めだ。お堂の掃除をしていた美雲は、「今度はいったいなんです?」と軽くため息を吐いて尋ねる。志勇は「おおっと、そうだった!」と思い出したように言い、ゆったりした袖の中から桃を取り出してきた。
「通りで売られていたんだ。美味しそうだったから買ってきた」
ニコニコしながら、その桃を美雲に渡してくる。一つだけではないらしく、二つ、三つとその袖からは桃が出てきた。甘い香りがして、「本当、おいしそう」と美雲は桃を鼻に近づける。
「ありがとうございます。ちょうど、お供えものが足らなかったところなんです」
そう言って、祭壇に供えようとすると、志勇は「君にあげたんだぞ」と不満そうな顔をしていた。
「後でいただきますよ」
美雲は祭壇に供えた後、線香に火をつけて拝礼する。
お堂を出ると、志勇も後をついてきた。
彼がこの廟にやってくるのはいつものことで、すっかり慣れている。
お茶を用意して庭に行くと、志勇はいつもの桃の木のそばの椅子に腰をかけて待っていた。そこがすっかり気に入っているらしい。日差しは強いが木陰になっているからだろう。美雲はお茶を机に置いて、向かいに腰を下ろした。
喉が渇いていたのか、志勇はお茶を美味しそうに飲み干すと、「実はね」と神妙な顔をして少しばかり身を乗り出してきた。
「出たんだ……」
美雲は怪しむように、「何がです?」と尋ねた。こういう時には、決まってろくでもない話をしてくるのだ。
「宮廷の宝物庫に、夜な夜な、白い人影が現れるんだ……そして、その人影は、自分の腕がないと、探し回っているらしい……」
真面目な顔つきでそんな怪談話をしてくるものだから、美雲は呆れ顔になる。志勇ときたら、以前妖怪退治に協力してから、ことあるごとにそんな話を持ち込んでくるのだ。
「志勇さん」
「怖ろしいと思わないか? きっと、そのうち被害者が出るぞ。これは、やっぱり、専門の道士に……」
「うちは、妖怪退治も、幽鬼退治もやってません。どうぞ、他の廟にご依頼ください」
素っ気なく言って、門の方を指差す。この前も、志勇に付き合って墓場で一晩、幽鬼を見張る羽目になったのだ。おまけに、現れたのは幽鬼なんかではなく、窃盗団の一味だった。幽霊が出ると噂を立てて、墓場に盗んだ金品を隠していたという顛末だ。一味はもちろん、志勇にコテンパンにやっつけられて、補吏に引き渡された。美雲にとってはまったくの無駄骨である。
「仕方ない。それじゃあ、別の依頼をするとしよう」
「妖怪退治や幽鬼退治以外の依頼なら、お引き受けします」
「じゃあ、今夜一緒に、祭り見物に行こう。街でやっているそうだよ。楽しそうだろう?」
「そんな頼みも聞けません!」
「さっき、妖怪退治や幽鬼退治以外の依頼なら引き受けるって言ったじゃないか」
「私の他に、誘う人ならいくらでもいるでしょう……どうしてです?」
志勇の誘いを断る女の子なんて、そういないだろう。
「君と一緒に、行きたいからだよ」
頬杖をつきながら、志勇は目を細めて笑っていた。
「わ、私は……っ!」
用事があるので行けないと断ろうとしたのに、「それじゃあ、夕方、迎えにくるよ」と勝手に決めて立ち上がる。
「ちょっと、志勇さん。困りますよ。私は行きませんっ!」
「一緒に宝物庫の幽鬼を退治するほうがいいかい? 私はそれでもいんだけど」
「そんな交換条件を持ち出してくるなんて、卑怯ですよ!」
志勇は笑いながらヒラヒラと手を振って、門を出ていってしまった。
美雲は拳を握ったまま、ため息を吐く。
(幽鬼退治より……お祭り見物の方がいいに決まってるけど……)
「師姉、お祭りに行くのですか?」
「あいつにすっかりのせられて、赤くなってらぁ」
小桃と雷辰が姿を見せて、そばにやってきた。二人とも、美雲の顔をジーッと見ている。
「違うってば。勝手に決めてしまったのよ……人の話なんて聞かないんですもの!」
慌てて答えたが、頬がじんわりと熱かった。
本当に、勝手な人だ――。
その日の夕方、志勇は約束通りに廟に迎えにきた。美雲は小桃と雷辰に「行ってくるわね」と告げて、門を出る。
志勇は美雲の顔を見て、「口紅をつけたのか」と嬉しそうだった。
「私だって……たまにはお化粧くらいするんです」
「よく似合ってるよ」
志勇は「じゃあ、行こうか」と、美雲の手を取って微笑む。その手に引かれて、夕暮れの道を歩き出した。
きっと、いつかこの人は、他の誰かと結婚をするのだろう。皇帝の弟でもあるのだから、良家の方との縁談が決まるはずだ。こうやって、一緒にいられる時間は今だけだ。
日が落ちて、星が瞬き始めた空を眺めながら、提灯を手に祭りで賑わう大路を共に歩く。美雲は手を引いてくれる志勇の指先を少し強く握り、淡く苦い笑みをほんの少しだけ浮かべた。
縁結び廟の道士――そう言いながらも、自分の縁は結べない。
そういう、運命なのだろう。
「美雲、君に似合いそうだ」
立ち止まって振り返った彼は、露店で売られている簪を手に取ると、美雲の髪にスッと差す。「ほら、やっぱり」と、楽しそうに笑っていた。
そんなふうに笑うから――忘れられなくなっていくのに。美雲は泣きそうになるのを答えて、小さな声で答える。
「似合いませんよ……」
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