56場 昨日の今日でまた迷子
「さーて、今日はどこに行こうかな」
パンフレットを手に、五番路の廊下を進む。ミルディア、レイ、グレイグはこれから始まる筆記試験の立ち会いで不在だ。
ドニの研究室に行ってエレンと話そうか。でも、研究の邪魔になるかもしれない。そう考えつつ玄関ホールに差し掛かると、複数の話し声が聞こえた。
視界の先にいるのは、魔法学校生のローブを羽織った金髪のヒト種――ニールだ。
ヒンギスにも劣らない美形のエルフたちに囲まれているが、言いがかりをつけられている感じではない。むしろ和気藹々とした様子にほっこりとする。顔も似ているし、家族だろうか。
盗み聞きする趣味はないが、ずかずかと出ていくと話を中断させてしまいそうなので、そっと廊下の陰に身を寄せる。
「えらいよ、ニール。ヒンギス先生の手伝いを買って出るなんて」
「そうだよ。お前はヒト種なんだから、もっと自分のために時間を使っていいんだぞ?」
「もしかして断れなかったんじゃないのか? お兄ちゃんたちから先生に言ってやろうか?」
エルフ三人はニールの兄だったようだ。口々に話す兄たちに、ニールが笑って首を横に振る。
「無理強いされたわけじゃないよ。いい経験になると思ったから引き受けたんだ。自分が決めたことだから、そんなに心配しないで」
グレイグと同い年とは思えないぐらい立派だ。爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
兄たちはまだニールのことを心配していたが、ニールが断固として首を縦に振らないのを見ると、やがて諦めた様子で肩を落とした。
「体に気をつけてな。冷風機の風に当たりすぎるんじゃないぞ」
「寂しくなったら、いつでも帰ってきていいんだからな」
「そうそう。母さんや父さんも待ってるぞ」
名残惜しそうにニールの肩や背中を叩き、兄たちが魔法学校から去って行く。
ニールはそれを笑顔で見送っていたが、兄たちの背中が見えなくなった途端、顔を曇らせてため息をついた。
仲が良さそうに見えたが、実はそうじゃないのだろうか。
「ニール君」
ふと不安になり、背後から声をかけると、ニールは肩をびくっとすくめてこちらを振り返った。メルディの気配には全く気付いていなかったらしい。
「ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど……」
「……ああ、レイ先輩の奥さまですね。昨日は失礼いたしました。あのあと、迷わずにホールに行けましたか?」
「行けた行けた。本当にありがとうね。ニール君のおかげで助かったよ。説明もわかりやすかったし、さすが魔法学校生だね」
「そんなに大したことはしてませんよ」
手放しで褒めると、ニールは頬を赤らめて頭を掻いた。グレイグと違って素直だ。こんな弟がほしかった。
「奥さまは今日もお一人ですか? レイ先輩は?」
「メルディでいいよ。レイさんは教授選の手伝いに駆り出されちゃってさ。昼間はしばらく一人なの。ニール君ってグレイグの同期なんだよね。うちの弟が何か迷惑かけてない?」
一瞬の間を置き、ニールがにっこりと笑う。
「迷惑なんて、とんでもない。リヒトシュタインは、野外演習でも魔戦術の実習でも大活躍ですよ。いつも助けられています」
絶対嘘だな、と思ったが追求はしなかった。弟のわんぱくぶりを直視したくない。自分で振っておいてなんだが、早々に話題を変える。
「ええと、さっき一緒にいた人たちはお兄さんなんだよね? レイさんと同じハーフエルフ?」
「いえ、純血のエルフですよ。僕たち本当は従兄弟なんです。僕が赤ん坊のときに両親が事故で亡くなって、今の家に養子として引き取られたので」
「えっ」
予想外の返答に、しゃっくりみたいな声がでた。
この反応には慣れっこになっているのだろう。戸惑うメルディを見てもニールの笑みは崩れない。それが余計に辛い。
「リヒトシュタインには言わないでくださいね。同期には内緒にしてるんです。変に同情されたくないから」
「ご、ごめんなさい。私ったら……」
「気にしないでください。魔法学校にはそういう身の上の人間が結構いますよ。ここは、入学さえ出来れば学費も格安ですし、寮もありますから」
魔法学校は『経済的な理由で勉学を諦めさせてはいけない』を信条にしているのだそうだ。
ニールの言う通り、入学さえすればバイトで稼ぐ程度の費用で生活を賄える。その代わりに入学試験で篩をかけているので、相当努力しないと入れない。
グレイグも受験のときは朝から晩まで勉強漬けだった。どんと構えていたリリアナとは対照的に、アルティがハラハラしていたのを思い出す。
「……お兄さんたちとは、仲良いの?」
それは踏み入ったセリフだったかもしれない。しかし、ニールは声を上げて笑うと、メルディの杞憂を吹き飛ばした。
「仲良いですよ。家に戻らない僕を心配して、様子を見に来るぐらいですからね。僕も兄たちが大好きだし、両親のことも本当の両親みたいに思ってます」
「そっか。ならよかった。変なこと聞いてごめんね」
ほっと胸を撫で下ろす。こんなことだからグレイグにお節介と言われるのだ。気をつけよう。
そう思った矢先、ニールがぼそっと呟いた。
「ただ、向こうは長生きできない弱々しい小鳥を憐んでいるだけかもしれませんけどね」
今、なんて言った?
はっと目を向けるが、ニールの表情は変わらない。さっきのは空耳だった……のだろうか。
「今日はどこに行かれるんですか?」
まじまじと見つめるメルディに、にこやかな笑みを向け、ニールが話を進める。
もう家族の話は終わりだということだろう。気にはなるが、さすがにほぼ初対面でこれ以上踏み込めない。
「えーと……。エレン君に会おうかなって思ってたとこ」
ニールは一瞬変な顔をした。それもそうだ。いくら弟の同期生だからといって、単独で会おうとするのはおかしい。
慌てて昨日の出来事を説明すると、ニールは納得したように頷いた。
「ドニ先生らしいですね。シュミットなら、図書館で自習していましたよ。まだいると思います」
寮に戻ると言うニールに礼を言って別れ、一番路の先にある図書館を目指す。
しかし、一番路は魔法学校の中でも一番古い区画のようで、壁が崩れていたり、廊下に穴が空いていたりして、何度か迂回した結果、進むべき道をすっかり見失ってしまった。
パンフレットの地図を見ても、自分が今どこにいるのかわからない。目印になりそうなものも何もない。
つまり、また迷子になってしまったのだ。
「ええ……。昨日の今日で……。どうしよう、そんなに都合良く人が通りかかるわけないわよね」
いっそのこと窓から庭に出て玄関ホールに戻った方がいいか、それともグレイグにもらった鈴を使うか。
周りをガラクタで囲まれた突き当たりでうんうん唸っていると、ふいに背後から「お嬢さん」と声をかけられた。
「こんなところで、どうしたんかの?」
頭を抱えるメルディを心配そうに覗き込むのは、ドニみたいな灰色のとんがり帽子を被り、縁なしのメガネをかけた老齢のエルフだった。
帽子とお揃いの灰色のローブを羽織っているので、生徒ではない。きっと学校の関係者だ。
どうやら、そんなに都合いいことがあったようだ。
「こ、ここはどこですか?」
我ながら情けない声で、メルディはエルフのローブに縋った。
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