47場 コバルトブルーの空の下で
本日はお日柄もよく。
そんな挨拶で始まった披露宴はまさに佳境を迎えていた。というか、ずっと佳境である。
右を見ても、左を見ても、酔っぱらいに毛が生えたような人間しかいない。厳かな結婚式を終えてこちらに移ってきたときには、すでにこんな状態になっていた。
だだっ広い中庭の至る所には、白いテーブルクロスがかけられた丸テーブルが置かれ、その上にはホテルで提供されたシャンパンとグリムバルド料理の他に、地方の招待客たちが持ち寄ってきた酒や各地の名物料理が並んでいる。
しかし、メルディはそれらを一切口にすることなく、お色直しの翡翠色のドレスを翻しながら、ひっきりなしに訪れる来客の応対に駆けずり回っていた。
同じく駆けずり回っているレイは、エルフの民族衣装であるシンプルな緑色のチュニックの上に、メルディの瞳の色に合わせた煉瓦色のローブを羽織っている。あっちはウエストを絞っていないので楽そうでいい。
「おめでとう、メルディちゃん!」
「おめでとうございます、リヒトシュタイン嬢。お母さまによろしく」
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
中庭の真ん中。早々に進行を放棄された司会台の近くで、楚々と挨拶を交わす。
純粋にメルディを祝福してくれる人。リリアナやトリスタンの権力目当ての人。近所の職人連中。両親の知り合い。何も知らずにただ立ち寄っただけの人。レイの親族や友人たち。フランシス率いるドワーフたち。果ては国王や高官たち。
入れ替わり立ち替わり声をかけてくれるのはいいが、お辞儀のしすぎで首が痛い。春とは思えない日差しの中、メルディは今にも倒れそうだった。
「ごめん、レイさん……。私、ちょっと休憩……」
「わかった。あとは僕が引き受けるから、日陰で冷たいものでも飲んでおいで。料理も食べてないでしょ? 無理しちゃダメだよ」
旦那さまの愛情に感謝しつつ、来客が途切れた隙をついて隅っこに逃げる。両手にしっかりシャンパンと料理の皿を握って。
「どうした、メルディ。元気ないじゃないか」
「お姉ちゃん、死にそうな顔してるよ。大丈夫?」
レイに聞いたのか、会場内を回っていたリリアナとグレイグが近寄ってきた。二人ともドレスと礼服は脱いで、お揃いの空色の鎧兜に身を包んでいる。
グレイグの腕の中には燕尾服に身を包んだロビンもいた。燕尾服はアルティのお手製だ。ちょこんと頭に乗った帽子が超絶に可愛い。
「どうしたもこうしたもないわよ。知り合いも、そうじゃない人も入り乱れて、もはや披露宴じゃなくてお祭りじゃないの」
「まあ、ホテルの開業セレモニーも兼ねてるからな。そうなる」
しれっと言い放つリリアナに拳を振り上げる。
「そうなる、じゃないって! むしろそっちが主じゃないの! もー!」
「まあまあ、お姉ちゃん。花嫁さんが怒ってたら台無しだよ。いいじゃん。それだけたくさんの人に祝ってもらってるってことなんだからさ」
「あのね。他人事みたいな顔をしてるけど、次はあんたなのよ。自分がリヒトシュタイン家の後継ぎだってこと、忘れてないでしょうね」
じろりと睨むと、グレイグは「僕も何か食べよーっと」と逃げていった。一緒に連れて行かれたロビンがグレイグの腕越しに手を振るのがまた可愛い。
「ああ、メルディ。ここにいたんだ。探したよ」
グレイグと入れ替わりに、今度はアルティが駆け寄ってきた。手には小箱を抱えている。
その向こうではクリフや父親の友人たちが酒瓶片手に盛り上がっていた。いつの間にかレイも捕まっている。大丈夫だろうか。
「どうしたのパパ。みんなのお相手しなくていいの?」
「メルディに渡すものがあってさ。本当は披露宴が始まる前に渡したかったんだけど、タイミングを見失って。このままだと夜になっちゃいそうだから」
「やめてよ。体が持たないよ」
不吉なことを言うアルティに顔をしかめながら、差し出された小箱に手を伸ばす。そのとき、会場の一角から「泥棒!」という声が上がった。
視線を向けると、色とりどりの鎧兜を着たデュラハンたちが、人相の悪いヒト種の男を地面に押さえつけていた。
その周りには貴金属や純銀製の食器が散らばっている。泥棒……いや、たぶんスリだ。
人が多いからいい狩場だと思ったのだろうが、ここにいるのは歴戦の兵士や魔法使いたちが大半だ。捕まらないわけがない。
「馬鹿なやつだ。さしずめ他所から流れてきたんだな。首都にいる闇稼業の人間で、今日ここに近づく命知らずはいないぞ」
やれやれと首を横に振ったリリアナが男の元へ向かっていく。その近くでは、ハンスが前屈みになって胃のあたりを抑えていた。
「ハンスさん、可哀想……。警備責任者だもんね」
「これだけ人がいるとなあ。まあ、祝いの席だし、ママも怒りは……メルディ!」
腕を引かれたと同時に、鈍い音がしてアルティが地面に倒れる。
目の前には酒瓶を持った男。スリはもう一人いたのだ。メルディを人質にして逃げようとしたところを、アルティが咄嗟に守ってくれたのだろう。
「あんた、パパに何すんのよ!」
「うるせえ! こっちに来い!」
男がメルディ目掛けて手を伸ばした瞬間、周囲から一斉に魔法が飛んできた。
足には氷、両手には闇の鎖、そして胴体と首には木の根が巻きついている。属性が干渉し合わないように、それぞれの部位を拘束しているのはさすがである。
「メルディ! アルティ! 大丈夫?」
血相を変えて駆けてきたレイの手には杖が握られている。どこに隠し持っていたんだろう。
少し目を逸らした隙に会場から引きずり出された男は、怒り心頭のリリアナとトリスタンたちに、文字通り血祭りにあげられていた。
「私は大丈夫だけど、パパが……」
声に涙が滲んだそのとき、アルティがゆっくりと体を起こした。
「いって……。石頭でよかった」
「パパ! 大丈夫? 血は? 気持ち悪くない?」
「ハイリケ先生を呼んでくるよ。さっき会場に来てたはずだから」
「大丈夫。ちょっとクラクラするだけ。血も出てないし、先生にはあとで診てもらうよ」
ハイリケは職人街のお医者さまだ。踵を返そうとしたレイを制し、アルティがその場に立ち上がる。痛そうではあるが、足取りもしっかりしているし、致命的なダメージではなさそうでほっとする。
「どうして、こうも厄介ごとに巻き込まれるんだろうな。呪われてんのかな」
ぶつぶつとぼやきながら、アルティが地面に落ちた小箱を拾う。そして、おもむろに蓋を開けてメルディに差し出した。また何か起きる前にさっさと渡そうと思ったらしい。
中には一本の金槌が入っていた。柄の部分にはマメが潰れた血が染み込んでいる。
見間違うはずもない。アルティがクリフから受け継いだ大事な金槌だ。子供の頃からずっと憧れてきた、想いの込もった金槌。それが何故、ここにあるのだろうか。
「今日を境に、メルディは完全にうちを出る。つまり一人前だ。パパも歳だからね。さっきみたいに、いつ何があるかわかんないし、元気なうちに託しておこうと思ってさ。どうか、俺たちの想いと技術を未来に連れて行ってやって」
「パパ……」
言葉を詰まらせるメルディに、アルティが笑う。
「ほら、いつもの負けん気はどうしたんだよ。返事は?」
涙を拭って、金槌を取る。そして、司会台に駆け寄り、マイクのスイッチを入れた。
キーンと甲高い音がして、その場にいた全員の視線がメルディに集中する。
怖くはない。結婚式とは誓いを立てる日なのだ。胸の炉の炎が燃え上がるままに、声を張りあげる。
「みんな、今日は集まってくれてありがとう! 私はメルディ・ジャーノ・アグニス。必ず国一番の職人になって、レイさんを世界一幸せな旦那さまにすると、改めてここに誓います!」
視界の端で、アルティが満足そうに頷き、レイが照れくさそうな笑みを浮かべているのが見えた。
コバルトブル―の空の下で、大好きな人たちに見守られながら、メルディは高々と金槌を掲げた。
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