3場 旅は道連れ世は情け

「なんで、あんたがいるのよグレイグ」

「ご挨拶すぎない? パパとママからついてけって言われたんだよ。せっかく実家でのんびりしてたのに。僕の夏休み返してよ、お姉ちゃん」

 

 レイに先導されて向かった先には、馬車の横で所在なく佇む弟がいた。


 兜の下――ヒト種だと顔にあたる部分に漂う闇が、近くの街灯に照らされて揺らめいている。


 その中心で青白く輝く一対の光はデュラハンにとっての目だ。顔はないとはいえ、涙も流すし、鼻も鳴らす。感情だって豊かだ。首から下もヒト種となんら変わらない。


 グレイグはメルディとレイから荷物を受け取ると、手の先に生んだ闇の中に収納した。闇属性の魔法だ。母親の力を受け継いで、氷魔法も使えるらしい。ずるい。

 

「さすがに僕たち二人だけじゃ危ないからね。グレイグなら魔法も剣も扱えるから適任でしょ。家族だから気兼ねしないし」

「……なんで、グレイグは子供扱いしないの? 私より二つも下なのに」

「デュラハンは金属鎧を着たら一人前だからね」

 

 飄々とした態度を崩さず、馬車に乗り込むレイのあとに慌てて続く。ぼやぼやしていたら置いて行かれてしまう。

 

 馬車はリリアナが用意したものらしかった。客車の中は広くて天井が高く、体格のいいグレイグが乗っても全く息が詰まらない。


 長時間乗ってもお尻が痛くないように、ふわふわのクッションまで備え付けられている。さすが侯爵家のお金持ち。早くに自立しているので、あまり恩恵を受けた覚えはないが、こういうときはしみじみとありがたみを感じる。


「リヒトシュタイン領まではこの馬車で行くよ。そこからは魔物便を手配してるから、遅くても一週間後にはウィンストンに着けると思う。リリアナさんに感謝しなよ」

「大叔父さまのところね? 領地に行くなんて久しぶり。元気にしてるかなあ」

「最後に会ったの、年明けだもんね。僕も領地に行くのは久しぶりだな。子供の頃はよく行ったもんだけど」

 

 隣に座ったグレイグがしみじみと頷く。

 

 リヒトシュタイン領とは、首都の北にあるリリアナの領地だ。国軍の仕事が忙しいリリアナに代わって、リリアナの叔父――つまり祖父の弟が領主を務めてくれている。いずれはグレイグが後を継ぐはずだ。

 

「チャーター便とはいえ、丸一日はかかるから寝てな。グレイグもね。旅に必要なのは、十分な睡眠と体力だよ」

「レイさんは?」

「僕はまだいいよ。宵っ張りだからね」

 

 レイは腰に下げたポーチから文庫本を取り出すと、ページをめくり始めた。話しかけても生返事だ。おそらく魔法書だろう。こうなったら読み終えるまで相手をしてくれない。せっかくの旅路なのに。

 

「邪魔だから鎧脱いじゃえ。夏の鎧って暑いよねえ。魔法紋のおかげで放熱はされてるけどさあ」

 

 おもむろに兜と鎧を脱いだグレイグが息をつく。首から上に漂うのは闇だけだ。デュラハンは兜を脱ぐと目の光が消える。その仕組みは今でもわからない。


 闇は魔力が可視化したものらしい。実体がないのにどうして兜を固定できるかというと、定着魔法を使って兜と魔力を結びつけているからだ。

 

「あんた、デュラハンがそれでいいの?」

「最近は鎧を着てないデュラハンも増えたじゃん。お姉ちゃん、もうちょっと端っこに寄って。なんで僕の方が面積狭いのさ」

 

 いたいけな姉を押し退け、グレイグは早くも寝息をたて始めた。座ったままという姿勢にも関わらず、相変わらず寝つきがいい。


 話し相手が完全にいなくなったことに肩を落としつつ、グレイグに倣ってマントを脱ぎ、革のベストも脱ぐ。汗でシャツが張り付いて下着が透けているが……まあ、いいか。


 ここにいるのは弟と家族同然のレイだけだし、あとは寝るだけだ。ブーツを脱いで体を丸め、馬車の壁にもたれかかる。

 

「ちょっと」

 

 顔を上げると、レイがしかめっ面でこちらを見ていた。

 

「なんで脱ぐの」

「なんでって……。そのままじゃ寝苦しいし」

「ここは家のベッドじゃないの。何があるかわかんないんだから、ベストは着ときな」

「ええ……。グレイグだって脱いでるのに……」

「つべこべ言わない。保護者の言うこと聞けないなら、家に返すよ」

 

 断固とした口調に、渋々ベストを身につける。また子供扱いされたことに抗議したいが、本当に家に返されると困る。

 

 初恋って実らないって聞くけど、本当かしら。

 

 レイの顔を見つめながら、そんなことを思った。


 



 

「わたしは初恋実らなかったよ」

 

 向かいでティーカップを傾けるのは、白い法服に身を包んだデュラハンだ。名前はエスメラルダ・マルグリテ。彼女はレイと同じく、両親の友人である。鎧兜を着ていないのは、教会に勤めているからだ。

 

「マーガレットはまだ初恋中だよね?」

 

 エスメラルダが隣に座るマーガレットに声をかける。マーガレットはエスメラルダの叔父に恋をしている、らしい。

 

 らしい、というのは直接聞いてはいないからだ。何故なら、マーガレットは動く熊のぬいぐるみ。エスメラルダの強い聖属性の魔力で命を与えられた魔生物なのだ。レイからもらった熊のぬいぐるみも、マーガレットを模している。動きはしないけど。

 

 マーガレットはそのつぶらな黒い瞳をメルディに向けると、こくこくと頷いた。可愛い。

 

「ラドクリフさん、まだ独身だもんね。モテそうなのに」

「モテるのと、本人に興味がないのとは別よ。ラッドお兄さまは恋に恋しないタイプだから」

「……レイさんもそうだと思う?」

 

 メルディが知る限り、レイに女性の影はない。メルディが生まれる前のことは知らないが、父親の言うことを信じるなら、少なくともここ数十年は決まった人はいないらしい。

 

 なのに何故、メルディを頑なに受け入れてくれないのか。そうぼやくと、エスメラルダはティーカップを置いて、困ったように首を傾げた。

 

「レイさんはハーフエルフだけど、五百年は生きる。その意味はわかってるんでしょう?」

「わかってる、けど……」

 

 嘘だ。本当はわかっていない。いや、頭ではわかっているが、大人しく飲み込みたくないのだ。寿命を理由に拒絶されてしまったら、永遠にラインを越えられなくなってしまう。

 

「私はヒト種。どう頑張っても百歳ぐらいまでしか生きられない。パパと同じで、確実にレイさんを置いて行ってしまう」


 いずれ訪れる別れを想像して、きゅ、と唇を噛む。


「でも、だからこそ私には今しかないの。レイさんに好きな人ができたら別だけど……。そうじゃないのに、自分から身を引くなんて嫌。わがままだってわかってるけど、この気持ちを絶対に諦めたくない」

「……そういうところ、アルティにそっくりだね」

 

 エスメラルダが笑う。その穏やかな微笑みは、メルディのささくれた気持ちを少し落ち着かせてくれた。

 

「話ならいつでも聞いてあげるから、やるだけやればいいよ。メルディの言う通り、一番若いときは今なんだもの。世の中いつ何があるかわからないからね。後悔しないように」





 

 ガクン、と大きく馬車が揺れて目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。口元に手を当てたが、ヨダレは垂れていなかった。よかった。

 

 ふと顔を上げると、向かいにレイの姿はなかった。隣のグレイグもだ。


 用足しにでも行っているのだろうか。腰を浮かしかけたとき、馬車の外から身の毛もよだつ咆哮が聞こえた。


「えっ、何⁉︎」

 

 窓に飛びつき、外を覗き込む。月明かりしかない闇夜の中に、大きな影がいくつも蠢いている。


 狼……いや、それにしては大きすぎる。夜によく出没する闇猟犬ダークハウンドだろうか。その後ろにはヒト種らしい影もあった。人数は五人ほど。魔物使いかもしれない。


 対峙しているのはレイとグレイグだ。二人とも、手に武器を持っている。レイは杖、グレイグは大剣だ。月明かりに反射する剣身を見て、ようやく気づいた。

 

 この馬車は襲われている。

 

「まさか、盗賊?」

 

 昔に比べて治安は良くなったとはいえ、こういう事件は時々起こる。居ても立ってもいられず外に出ようとしたが、ドアが開かない。鍵は「開く」を指している。なのに、びくともしないのだ。

 

「え? なんで開かないの?」

 

 焦るメルディの耳に、剣をぶつけ合う音が聞こえた。

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