第34話 機械愛2

 放課後。剣道部に向かう空と別れ、海人は単独行動を開始する。


「お邪魔します」


 文芸部の部室を叩き、中に入る。


 白薔薇高校の片隅の、陰湿なジメジメとした部室で奥の方に一人、佇んでいる。


 名を機械愛。略称は愛先輩であり、海人の2学年上の3年生であり、年下の14歳。12歳の飛び級で超都市にやってきて白薔薇高校に入学した大天才。高校生ばかりの超都市でアメリカみたいな飛び級がいるのは異常事態と思われた。


 それだけ超人(レベル5)の超能力が政府や国家に重宝されている証拠。早く現場に投入したいのだ。


「誰?」


 前髪で目が隠れている猫背。機械愛が聞いてくる。


「初めまして。1年生の青野海人といいます。文芸部に見学に来ました」


「ああ、林ちゃんを倒した人ね」


 機械愛はこちらに関心がある。大地林を倒したことは大きな功績のようだ。


「それで林ちゃんを襲った人ね」


「違います。襲ってはいません」


「禁断の三角関係は?」


「穏便に解決しました」


「ま、いいや。見学は募集していないから帰ってくれないか?」


 人間第一印象が大切だ。人相で良い人か悪い人か判断できる。性格は顔に出るのだ。顔、体型、雰囲気から相手の習慣や鍛錬の予想がつく。空レベルの剣士になると見るだけで相手の力量が分かるらしい。


 海人が判断した機械愛は、前髪で顔を隠していて猫背で幽霊みたいな少女だった。正直、あんまり強くなさそう。が第一印象。


「少し機械先輩と喋りたいのですが?」


「ダーメ。ここは私の牙城なの」


 文芸部は見たところ機械愛一人だけ。文芸部は私物化されているらしい。


 正面突破がダメならば、裏工作。腹黒の操作系タイプの見せどころだ。


 海人は大人しく引き下がった。


「分かりました。失礼します。また見学に来ます」


「もう来なくていいよ」


 文芸部の扉を閉める。


 相手の機械愛は格上。かくなるうえは、海人は三顧の礼に出た。


 三顧の礼は、目上の人が格下の者に真心から礼儀を尽くして、すぐれた人材を招くこと。 また、目上の人が、ある人物を信任して手厚く迎えること。を指す。


 海人は1年生で、相手は3年生。誤用だが、海人は三顧の礼作戦に出た。


 文芸部に毎日通った。


 一日目。「帰れ」


 二日目。「また来たのか?」


 三日目。「なんか毎日来るの? 怖い」


 四日目。「今日も来たの?」


 五日目。「まあ、紅茶くらい出そう」


 六日目。「ちょっと休んでいけよ」


 七日目。


 機械愛が、まいった。


「分かった。文芸部の見学を認めてやる。ストーカー野郎め」


「文芸部に毎日訪れるのに先生の許可は取ってあります。一応、言っておきますが。文芸部は機械先輩の私物ではありませんよ」


「私は気にいっている。魔女っぽくない?」


「魔女?」


「白薔薇高校の奥地に潜む文芸部の魔女。それこそが超人(レベル5)にして『AI革命』の機械愛様だ」


「あ、中二病は一旦、ひっこめましょうね。お薬出しておきますねー」


「やめろいっ!」


 そういえば機械愛は14歳の、本来ならば中学二年生。飛び級で高校三年生だが、本質は中二病なのだ。


 一週間に及ぶ三顧の礼作戦は成功した。大阪桐蔭高校の監督は、中田翔を迎える時、監督自らがスカウトに50回及んだという。まさに現代の三顧の礼。高校野球はスカウトとプロ級のピッチャーが絶対に必要なゲームだ。


「で、お前、文芸部で何がしたいんだ?」


「強くなりたいです。できれば超人(レベル5)まで」


 大地林が切実に希望している超人(レベル5)。ハーレム設置が一段落した海人も、また、高みを目指した。


「つまり。本は不要で私の弟子になりたいと言うことか?」


「そういうつもりはありません。本は大好きです。本も弟子も両方なりたいです」


「欲張りだな」


 二兎追うものは一兎も得ず。しかし、海人はハーレムの面で二兎も三兎もウサギを追った。


「選択と集中ができていないぜ。青野。結局、君は何がしたいんだ?」


「勝ち続けたい」


「じゃあ、強くなり続け、金は無限に稼ぎ、地位も名誉も女欲も全部手に入れるのか? そして、死ぬ前に、僕はイーロン・マスクやジェフ・ベゾスに勝てなかったと嘆き、悔やみ死んでいくのかい?」


「それは……」


 違う。


「青野。君は白薔薇高校で一番のレベル4だ。もう十分じゃないか? 勝手にハーレムをつくれ。『足るを知れ』」


 「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り」は、古代中国の思想家である老子(ろうし)の「道徳経」第三十三章に収められている言葉。


 この言葉は、満足することを知っている者はたとえ貧しくても精神的には豊かで幸福であることを意味している。また、人間の欲望にはきりがない。が、欲深くならずに分相応のところで満足することができる者は、心が富んで豊かであるという意味もある。


 「足るを知る」は「知足」とも呼ばれ、お釈迦様も「吾唯足知(われ、ただ足るを知る)」という教えを説いている。お釈迦様の教えでは、「足ることを知る人は、心は穏やかであり、足ることを知らない人は、心はいつも乱れている」とされている。


「青野。弟子になるのは諦めろ。超人(レベル5)になるのはおすすめしない。文芸部にはいつでも見学に来ていい。もう十分じゃないか君は。一緒に本でも読んで、のんびり暮らそうぜ」


「わかり……ました……」


 そして、海人は本を読んだ。『チーズはどこへ消えた?』。


 変化を恐れず、行動する者だけがチーズという成功を手に入れる本だ。現状維持は衰退と同じだと思った。


 勝ち続けなければ……という海人の強迫観念は不思議と安らいでいた。白薔薇高校の1~2年生の中で、青野海人と飛行空はトップなのだ。何をそんなに焦っていたのか。バカバカしくなった。


「本を読んで落ち着いたようだな。青野の。意識高い系さん。クスクス」


「そうですね。『足るを知る』幸福論ですか……ありがとうございます。明日、また来ます」


 修行して己を鍛える時間も必要だが、頭を空っぽにして、ボーっと本を読む時間も大切で至福に思えた。

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