予期せぬ出来事、“星の形をしたしるし”の発見
「もっとねこちゃんと、あそぶの」
明らかに拗ねているレベッカの言葉に、
気持ちはわかるよ? でも、EAPのバッテリーが切れたら、困るのはベッカちゃんなんだし。
先生の目を見上げながら、心の中で思い浮かべた俺の考えに、レベッカはもちろん、先生も同意してくれなかった。
「読ん」でいないのか、「読ん」でも、取るに足らないと思われているのかは定かでないけど。
レベッカの真似をした今朝早くの俺を思い出す。アレを根拠に、俺の焦りを軽んじられるのは少しばかり心外だった。
魔法使いとして、師匠である「宮代笙真」の遣りようを基本的には
眠ってなきゃ、出水邸を出てから、先ほど目覚めるまでの
物真似のきっかけでもある、不審者対応時のあまりに俺らしくない態度への反省から、欲のままに眠りを貪ったことを、俺は少しだけ後悔した。
そんな俺をよそに、先生とレベッカは、帰ろう、いやだの応酬を繰り返していた。
業を煮やした先生が、短気を起こしたらどうしよう。
心配を浮かべた俺への助け舟になったのは、ゆきのすっかり乾ききった明るい一言だった。
「ポーリャちゃん、お姉ちゃんがいっしょに帰ってあげるから、ショウの言うことを聞いてあげて?」
「うん! ねこちゃんもつれてっていい?」
オレンジ猫をぶん回しそうな勢いで、顔をあげたレベッカがうれしそうに声を上げた。
「ごめんね、その子は、中飼いなんだ。代わりにワンコたちがいるから、あたしといっしょにリード持とう?」
「ワンちゃん!? もつもつ! はやくいこっ、ゆきお姉ちゃま!」
レベッカと俺の目に映る、ゆきの顔は声音と同じで、泣いていた名残などまるで感じさせない、和やかなものだった。
はしゃぐ五歳児の腕から、さりげなく猫を取り返しながら、俺達の目の前で、先生に向かって少女は小さく頷いた。
先生が、明らかにほっとした顔になって、俺も安堵の息を心の内側でこっそりと吐きだした。
レベッカに手を引っ張られて、玄関の方へ向かい始めたゆきが、部屋の奥に向かって首を巡らせながら声を張り上げる。
「おばあちゃん、行ってくるからね」
「行ってらっしゃい。……暗くなる前には、戻りなさいね?」
「分かってるってば! おばあちゃんてさ、あたしが笙真といっしょだとおとなしいよね。まあ、いいけど」
さりげなく祖母への反撃を遂げた妹弟子の言葉に、先生が顔に疑問符を浮かべた。
こういう時に、先生はあんまり「読み」を使いたがらないんだよな。未来でおなじみのシチュエーションに、彼の流儀を引き継いでいる俺は少しだけくすぐったい気持ちになった。
「またなの?」
「うん、また喧嘩」
「大丈夫?」
「平気。アジトが慰めてくれたし」
「なら、いいけど」
「ショウ兄ちゃまも、はやくきて!」
「はいはい、もう、そんなに慌てなくてもいいじゃない。みかげおばさま、行ってきます!」
レベッカの瞳越しだから、姿は見えないけれどそんなに遠くない場所で、俺のひいおばあさまが短い応諾の返事をした。
るんるん、そんなオノマトペがぴったり嵌まるような軽い足取りで、鼻歌まで歌いながらレベッカは歩いていた。
彼女が一歩踏み出すたびリズミカルに揺れる視界を共有しながら、俺は、気が
二匹の犬を連れながら、五歳児の気の向くままの帰り道は、俺の予想よりもだいぶ遅い進みだった。
ジリジリ減っていく、EAPのバッテリー残量。
《ドヴォルザーク》が支える「下り」を、俺はポーリャの名前で行動中のレベッカの動作が阻害されない範囲でスキップさせて、代わりを俺自身が担うことにする。
これだけ節電させても、出水邸に帰りつくまでギリギリ保てるか、相当不安だ。
もし切れたら、俺が出るか、それとも。
出水邸まで、あとどれくらいだろう。
甲南湖の湖を囲む観光地エリアの外れに立つ森屋邸から、俺とレベッカが世話になっている出水邸まで、先生の話だと歩きで一時間。
体格差を考慮せず、長めに見積もっても五キロ前後なはずだから……さすがに半分は超えたと信じたいな。
レベッカの利き手でもある、リードの持ち手に通されたポーリャ・カントリー・ロードの左手の少し先で、二匹の犬たちのうち、トワと呼ばれた小さな茶色の狆が繋がれたリードの途中を、ゆきの右腕がしっかりと捕まえていた。
犬に気を取られているレベッカのポーリャからは背後になるので、先生たちの様子は見えなかったけれど、話し声と、トワの隣を歩くパピヨン風のポテトの歩調から察するに、二人の中学生は肩を並べて歩いている。そんな気がした。
森屋邸をあとにしてから、五十分。バッテリー残量は、どうにかまだ一割を割り込んでいなかった。
小さなアップダウンを繰り返しながら、甲府盆地を見下ろす山あいの道の向こうに、まばらに立ち並ぶ数軒の家々と、俺にもおなじみの笛吹川にかかる道長橋が見えてきた。
危うかったけど、ギリ行けそうだな。
数百メートルを残すだけになった、出水邸への道のりに、ようやく俺は安堵し、緊張を解く。
五歳児には、少し長い距離を歩いたにも関わらず、レベッカには、疲れた様子もなさそうだ。
《狐の鋏》の子供だから、「明かし」よりも体力には恵まれているんだろうな。
なんとなく、そんな感想を覚えた俺の現在の手でもある、トワのリードを持つのに飽きた手のひら。
その手のひらを、ゆきに繋いでもらってご機嫌な女の子の目の前を、一陣の風とともに、桜の花びらが通り過ぎた。
白い花弁を、反射的に追いかけたレベッカに引っ張られ、目まぐるしく変わった視界が、不意に止まった。
「あった――」
ベッカの、とくべつなしるし。吐息と紛うような小さなつぶやきが、口からひとりでに零れ落ちる。
ゆきの手を振り払い、駆け出したレベッカの視線は、誰かの手で不自然に路肩に打ち捨てられていた、星の形をした小さな器、ただその一点に集約されていた。
遠くで、何かが、軋むような音がした。
すぐ後ろから、「ポーリャちゃん!!」悲鳴が、聞こえた気がした。
ブレーキ音――それから、バースト音。
電気の無駄食いをさせられたEAPのアラートなんて、どっちにしたって、かき消すような大音量。
彼女の喚び出しに応じた、銀色の《鋏》が、俺のスマホより速く、この身体を押し潰さんとしていたダンプカーの駆動輪を的確に貫いて、車体の行く手を捻じ曲げていた。
へたり込んで震え始めた、この身体の主であるレベッカに、俺は、いつものように軽口をかけることすらできやしない。
だって、いや、でも、まさか、けど。
混乱と興奮のあまり、空転した言葉が、存在しない俺の脳裏の奥で、クラクションの残響とともに虚しく響き渡る。
この世界の全ての魔法に、絶対に欠かすことができない、魔力を魔法に練り上げるための、枷と呼ばれる
「EAPの開発により、枷を最小化できたことが、宮代家の成功の源泉なんだよ、手前味噌だけどね」
どこか寂しそうな目をした先生が、いつか俺に明かしてくれた知識と真っ向から対立する現象に、「
ゆきに抱きしめられた
そんな彼の姿を、レベッカといっしょになってぼんやりと見つめながら、俺は思った。
EAPでだって成し遂げることができなかった、枷の存在をはなから否定する魔法なんて、あり得ない。
そう俺に教えてくれたのは、ほかでもないあなたでしたよね、先生?
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