森屋邸にて。美魔女と半魔法使いな孫娘

 若すぎる、といってもそれは見た目の話だ。

 みかげさんは、正真正銘、俺からみれば母方の曽祖母ひいおばあさまである。つまり、母さんゆきからすれば、血の繫がった父方の祖母おばあちゃんだ。曽祖父ひいおじいちゃんの後妻さんなどではなく。

 ゆきに手を引かれ、歩き出したレベッカを再びEAP越しに見下ろしながら、俺は母の言葉を思い出した。


「あの人はねえ、魔法は使えなかったけど、美魔女だったのよ。一度だけ、テレビでも取り上げられたことがあるくらい、筋金入りのね。本当は、ばあちゃんと孫娘なのに、母娘おやこみたいねって周りからしばらく言われ続けたのには、辟易へきえきしたっけ――」

 確か、俺が小三か小四の頃だったと思う。

 家族についてインタビューをして来いという学校の課題で、一族の写真を一緒に見ながら、母さんがそう言っていたので、間違いない。

「お母さん、『へきえき』って、どんな意味?」

 言葉の意味がわからず、そう尋ねた俺に、この人はこんなふうに答えたはずだ。

「嫌だな、とか困ったなって意味よ。お母さんさ、おばあちゃんが苦手だったんだよね……」

 

 スマホのバッテリー残量が半分を下回ったことを示す、無機質なアラート音が、リンクを中心としたEAPのいくつかの機能によって維持されている「レベッカから独立した存在としての俺」の頭の中で鳴った。

 魔法使い支援機能EAP領域にアクセスできて、本当に助かった。

 できていなかったら、ベッカちゃんと俺は今頃――考えただけで、怖気おぞけがして、心の中で小さくかぶりを振った俺は、バッテリーの節約のためにカメラを切って、視線をレベッカと共有しなおす。

 流しの前で、俺たちポーリャちゃんの手からマグカップを受け取った母さんが、後ろを振り返りもせず、口を開いた。

「おばあちゃんてさ、あたしに一々お小言くれるのはいいんだけど、ちょっとズレてるんだよね」

「ズレてる?」

 居間からゆきに視線を投げかけてきているみかげさんと、隣りに立ったゆきのどちらに注目したらいいのか迷って、二人の間でちらちらと目を行ったり来たりさせていたレベッカが、釣られて呟く。

「うん、あたしさ、今月から中二なんだけど、普通、大人って勉強しなさいってばーっかし、言うでしょ」

 続いて耳に入ってきた彼女の言葉に対し、レベッカは無言。五歳児にはちょっと難しすぎる話題みたいだ。

 仕方がないから、レベッカの代わりに、俺が、そうなの? ポーリャはちっちゃいからわかんない……と返す。

「おばあちゃんは、なんていうのかな、女の子に、勉強なんかって言うタイプなんだよね。昔っぽいっていうか」

「昔っぽくなんてないわよ。いいこと、ゆきさん。あなたも『明かし』の娘なんですから」

「よくないし。お客さんもいるんだからやめてよ」

 再び割って入ってきた居間からの声に、今度は首だけで振り向いてゆきが口答えした。父さんと母さんが喧嘩を始めるときみたいにちょっとだけ、声がけんけんしている。

「やめっかないでしょ。知恵ちゃんのところで世話になってるなら、その子もあなたと同じで、魔法使いの家の娘に違いないもの。ふたりともよくお聞き。血を残すってのは、女の子にとって一番大事なつとめなのよ?」

 いきなり流れ出した大きな水音に気を取られ、レベッカがゆきの手元を見た。音は、蛇口のレバーを押し上げて母さんがわざと出したみたいだった。

「……」

 みかげさんには返事をしないままで、流しの中に視線を落とした母さんの手が、緩慢な仕草でマグカップを洗っている。強い力で握られているのか、泡の中でスポンジが大きくひしゃげていた。

 どう見ても機嫌がうんと悪そうな彼女の態度に、苦手っていう表現は、思い出がだいぶ美化されたマイルドな言い回しだな、と俺は思った。

 剣呑な雰囲気を察して、戸惑っているレベッカに、今は黙ってようぜ、飛び火が来たらやあだしね、と心の中で呼びかける。 

 そんなやりとりがポーリャ・カントリー・ロードの頭の中で起きていることなど、露程も知らない祖母と孫娘の間の距離が、の足で大股一歩以内まで近くなった。

 おもむろにゆきのそばまで歩を進めたみかげさんの、きれいな朱色の唇が次の句を継ぐ。

はるちゃん――あなたの母さんだって、そうだったわ。お母さんはね、宮代始まって以来の大変な才媛さんだったのに、それでもあなたとお兄ちゃんを残したのよ。おいえのために自分の魔法は削れないからって、かわりに身の方を削ってね」

「おばあちゃん、いいかげんにして」

「いいかげんにするのは、ゆきさん、あなたよ。華さんの最期は、可哀想だったわ。それなのに、あなたもお兄ちゃんも魔法を使えるようには、ならなかった。おばあちゃんたちだって、息子を二人とも、華ちゃんにくれてやったってのに」

(スヴァルくん、ゆきお姉ちゃま、おばあちゃまにいじわるゆわれてるみたい。ベッカは、どうしたらいい……?)

 俺の心のすぐ脇で、不安そうなレベッカの声がした。

 何もしないほうがいい。ポーリャちゃんには、分からないと思って話してるみたいだし、ね。

 俺はそう答えるので、精一杯だった。森屋邸へ初めて足を踏み入れた五歳の女の子の分際で、分かったような口を利くのは、あまりにもリスクが大きすぎるからだ。

「メリッサちゃんのところはいいわよね。宮代の血は薄いけど、魔法が使える男の子がいる。しかもなかなかの才能もち。あなたたちと逆だったらよかったのに。せめて、お母さんが、早くに亡くならなければねえ」

「……そんなの、あたしにどうしろってのよ」

 ポツリとそう漏らしたきり、黙りこくってしまったゆきの、今にも泣き出しそうな顔を、俺のアドバイスに従って、我慢して静かにしながらのレベッカが見上げている。

 そんな彼女の胸の中に置かれたまま、曽祖母の言葉を聞いていた俺は、みかげさんの発言の中に現れた先生ししょーのお母上の名前で、ようやくピンときた。

 笙真君が母さんの「顕し」を内緒にしたがってたのは、みかげさんのせいだな。

 孫が「顕し」持ちだなんて、みかげさんが知ったら、ゆきは速攻で本家行きに違いないし。

 つまりは、あれだ。父さんと母さんが恋愛結婚して、俺がいるのは先生のGJグッジョブってやつなわけね。

 知らなかったな。

 これは、迂闊には「顕し」の話はできないぞ。

 でかすぎる地雷だ、参ったね、こりゃあ。

 ゆきを言い負かして興が乗ってきたのか、みかげさんは、今度はポーリャ俺たちの方を見た。

 ……まさか、五歳児相手に、産めよやせよ的な話をするつもりじゃないだろうな、この人。

 どうしようかと思いながら、いつでもレベッカと交代できるよう、彼女の頭の中の俺は、《ドヴォルザーク》に指をかけた。

 そんな俺たちの目の前を、ゆっくりと毛むくじゃらの黒い影が横切る。

 影は、先生の傍らで伸びのような姿勢を取って眠っていたはずの、大きな黒猫だった。

 見慣れない相手だからか、ポーリャのことは完全にしらんぷりした様子で通り過ぎようとした猫は、ねこちゃん、と呟いたレベッカが思わず伸ばした手のひらに、意外にも頭をぶつけてきた。

 そんな猫の反応に、調子に乗った彼女は、さらに右腕も動員して、黒い毛むくじゃらを抱っこしようとする。

 黒猫が、身体を捩って抵抗した。猫の大きくてこわそうな後ろ足の爪でじられたら敵わないので、《ドヴォルザーク》で俺が介入して、レベッカに猫を離させた。

 自由になった黒猫は、数秒ほどかけて、俺達をじっと見た。レベッカの琥珀のような黄金きん色の瞳とは、また少し色彩の違う、緑と金色こんじきが複雑に混じり合ったヘーゼルグリーンの目は、いかにも猫らしく、あんまり目つきが良くない感じがする。

 それにしても、ほんとに大きな猫だな。

 持ち上げようとしたら、かなり重かったし、この黒猫、立ち上がったら、レベッカの背丈くらいになるんじゃないか。少なくとも、狼姿のレベッカと同じくらいの体格は確実にありそう。

 そんな風に思った俺をよそに、今度こそ離れていった猫は、俺の向かいで、口を開くのをやめにしたらしい、みかげさんの方に身体を擦り付けて、喉を鳴らした。

 特徴のあるりんりんというノイズ混じりのゴロゴロが、気まずさの残るキッチンに響く。

 そうやって、ひとしきり昴の曽祖母に甘えた猫は、今度は、台所の隅に置かれていた餌皿らしい空の器に真っ黒な前脚をかけ、ゆきの方をじいっと見つめた。

 飯をよこせ、という意味だろうか。

 そうだとしたら、賢い猫だなあと俺は思った。

 猫の視線を受け、空っぽの皿を手にしたゆきが黙ったまま、ポーリャとみかげさんの脇を抜け、足早に台所を出ていく。

 少女のあとを、猫がついていく。

 母さんに対する心配と、電池切れの不安を天秤に乗せるまでもなく、俺は不可視状態のまま待機させていたEAPのカメラを再起動させた。

 猫と母さんを追いかけるレンズ越しの視界の端で、目を覚ましかけているのか、寝息を立てていた先生が壁にもたれかかったまま、小さく身じろぎをした。

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