第23話
(急げ! 急げ‼)
フェリスは考えを巡らしながら、全速力で走っていた。
脳裏によぎるのはナハトへの不安だ。
(あれ程の相手だ。斬られることを物ともしないままだと、何時まで勝負の均衡が持つか分からない! 一刻も早く術者を倒さなくては──)
自分の双肩にナハトの命運がかかっている。その重さに震えながら、思考を最大限に働かせる。
「考えろ考えろ! 闇雲に動いて見つかるものでもない……どこに魔術師は潜んでいる」
(対象をある程度目視出来て、周囲からも目立たない場所……)
フェリスは貴族の教養の一部として、魔術についても基礎的な知識を学んでいた。
魔術の行使には制限があり、決して無制限に行えるものではない。あれだけの治癒魔術をかけ続けるのは、魔術師の力量もそうだが、それ以上に祭具や薬草・霊石などの道具も相当数必要なはずだ。
それらを用意した上で魔法陣も描かなくてはならない。
それだけの事を普通の裏路地でやれば目立って仕方ない。となると裏路地は候補から外れる。魔術師がいるとすれば、俯瞰して全体を見渡せるような場所のはずだ。
フェリスはフッと上を見上げる。
「アレか!」
周囲の建物の中で一番高い四階建ての建物が見える。ほとんど勘のようなものだったが、フェリスは直感を信じて動く。
かくしてフェリスの直感はあたった。
建物に押し入り階段を登ると、最上階の部屋の前で、剣を携えた怪しい男が仁王立ちしている。
男たちはすぐにフェリスに気付いた。
「──感づかれたか」
フェリスを見ると即座に男たちは剣を抜く。
(魔術師の護衛!)
フェリスも腰の剣を抜き放った。
「押し通る! そこを退けぇ‼」
「小娘がほざきよる」
どうやら男はフェリスの事を知らなかったらしい。見た目でフェリスを侮っているようだ。
「舐めるな!」
苛立ち紛れにフェリスは下段から剣を跳ね上げた。男は軽く受けようとするが、フェリスの斬り上げが思った以上に重く、大きく構えを崩される。
その隙をついて、フェリスは跳ね上げた剣を頭上で旋回させて斬り下ろした。
男は成す術もなく一撃をくらい、目を見開いて倒れ伏す。
「がはっ……⁉」
「私を侮ったのがお前の不覚だ……!」
吐き捨てるようにそうつぶやくと、フェリスは最上階の部屋に押し入った。
一歩踏み込んだ部屋は、まさに魔術師の工房になっていた。部屋の床と壁一面、さらに天井にいたるまで魔法陣で埋め尽くされている。
さらに生贄になったと思わしき小動物の死体や、霊鳥の羽、鉱石などが散乱していた。通常であれば有り得ない人数に治癒魔術をかけ続けるという荒業を、儀式に使う素材の物量でカバーしているらしい。
そしてその中央にはローブを被った薄気味の悪い男が一人──間違いないコイツが魔術師だ。
「見つけたぞ魔術師!」
「なっ⁉ 表の護衛は何をしているのだ!」
魔術師は隈の浮き出た顔で、ヒステリックに叫ぶ。
「今すぐ反帝国主義者たちにかけている治癒魔術を止めろ! さもなくば──」
フェリスが言い終わるより早く、言葉ではなく魔術による返答が飛んできた。
「《光の矢よ穿て!》」
「⁉」
フェリスは相手が何をしていたのか理解していた訳ではない。ただ反射的に眼前に迫る何かを避けただけだ。
ヒュン──と高速で何かが飛来して、背後で衝撃音がする。
(今の閃光──攻撃魔術か……!)
どうやら高速で何かを飛ばされたという事だけが分かった。最初の一撃を避けられたのはただの幸運だ。とんでもない早さだった。あれを連発されたら、とても躱し切れるものではない。
フェリスは慌てて部屋の外、出入り口の扉の陰に飛び出した。
一瞬遅れて、また攻撃魔術が放たれる。その痕跡を今度はよく見れた。扉に薄く発光する矢が突き刺さっている。
矢は魔力で出現したもののようで、少しして扉に突き刺さった矢は、霧のように消えた。
(威力こそ普通の矢と変わりないが、発生する早さが段違いに早い!)
フェリスは驚嘆する。
攻撃魔術は一般に対人戦闘には向かない技術であるとされる。というのも魔術にはどれだけ集中しても発動までにタイムラグがあり、これは魔術の構造的なものなので改善できない。
数メートル離れた程度では、魔術で攻撃するより走って殴った方が速いのだ。
それなのにこの魔術師は、通常の矢と遜色ないスピードで魔力の矢を撃ってきた。通常では有り得ないことだ。
(いやまてよ)
この部屋には魔法陣と祭具が溢れている。それが魔術師の魔術発生速度を上げているのかもしれない。
(今私は、弓の名手に狙われたアナグマのようなもの──顔を出せば即座に射られる)
フェリスは動けなくなった。
今すぐにでも魔術師を倒さなくてはならないが、この部屋には入口が一つしかないのだ。部屋に踏み込むタイミングを狙われたらひとたまりもないだろう。
「ふふふっ……どうしましたかな女騎士殿」
フェリスが次の手をこまねいているのを見て、魔術師は底意地の悪い笑みを浮かべる。フェリスは言い返すこともできず、ギュッと拳を握った。
(一刻も早く術者を倒さなくてはならないのに……!)
少しでも早く魔術師を倒さねば、ナハトの身が危ない。
もう一度フェリスは部屋の入口を確認する──通常サイズの扉だ。幅にして一メートルあるかないかと言ったところである。
(私に躱せるか? この狭い空間であの光の矢を……⁉)
光の矢自体は通常の矢と変わらない点の攻撃だ、極論僅かでも軌道上から身体を逸らせれば避けることができる。
脳内で部屋の広さと魔術師の立っていた位置を思い出す。フェリスのリーチや歩幅、さらに魔術の発生速度を勘案すると……
(一撃だ。最初の一撃さえ避ければ、二撃目を放つより先に私の剣が届く)
だが出来るのか。
五メートル離れているかどうかという距離で、本物の矢と同じかそれ以上に速い光の矢を避けることができるのか。
光の矢が放たれてから着弾するまでの時間は正に一瞬、見てから避けることはできない。
その時、ナハトの言葉が脳裏をかすめた。
(『相手の起こりを見て、動きを予測するんです』)
そうだ。日々の稽古でずっとやってきた事じゃないか──フェリスはハッとした。光の矢を放たれてから避けられないのなら、放たれる前に軌道を予測して避ければいい。
敵の動きを予測・先読みして手立てを講じるのは、いつもナハトがしていることだ。そしてフェリスはそれを一番近くで見てきたのだ。
(やる……出来る──やってやる!)
しくじれば死ぬ、しかしそれは戦場では当然のこと。肚の奥底から込み上げてくる恐怖を飲み下し、フェリスは覚悟を決めた。
フェリスは意を決して、低い体勢で扉から飛び出した。
「……ぬっ!」
魔術師が即座に魔術を放つ体勢を取る。フェリスはそれを凝視した。
(見極めろ──奴の視線、息遣い、構え──全てから矢の狙いを予測する!)
ほんのわずかな挙動すら見逃さすまいと、全神経を集中させて魔術師の姿を見定める。フェリスの集中力は極限に達し、フェリスには世界の流れが遅くなったように感じられた。
世界から音が消え、色を失い、不必要な情報がカットされる。
ゆっくりと変化するモノクロの世界で、フェリスは魔術師の前方から自分の眉間に向けて、真っ直ぐに伸びる光を見た。
(──見えた!)
その瞬間にフェリスは首を捻った。
光の矢が靡なびいた髪を貫き、幾本かの髪の毛を宙に散らす。
「何ぃ⁉」
まさか避けられるとは思っていなかったのだろう。魔術師は度肝を抜かれて狼狽える。
(これほど至近距離でアレを躱されるとは──⁉)
魔術師はなんとか二射目を放とうとするが、その頃にはフェリスは魔術師を己の刃圏に捉えていた。
「はあああぁぁぁぁっ!」
フェリスの長剣が、魔術師の腕ごと胴を両断する。
「ぎゃあぁぁ!」
断末魔の悲鳴を残して、魔術師はその場に崩れ落ちた。と同時に、フェリスも膝をついた。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
それほど動いたという訳でもないのに呼吸が荒い。心臓が早鐘を打っている。
「魔術師は討ち倒したぞ──ナハト!」
普段の稽古とも違う。初めてフェリスは自分を殺しうる敵と相対したのだ。そんな敵と渡り合ったプレッシャーは、フェリスの心身を大いに削った。
数メートル駆け込んで斬る──ただそれだけの事が、これほど苦しく感じるとは思わなかった。
(これが死線を超えるということか……)
苦しさに悶えながら、同時に誇らしさを感じてフェリスは拳を握る。プレッシャーを跳ね除け死線を潜り抜けたという事実が、フェリスには誇らしかった。
これで大通りで戦っている過激派の治癒は解け、戦況は一変するだろう。
「待っていろナハト、すぐに戻る」
消耗した身体に鞭打ち、フェリスは大通りへ向かって駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます