第14話 秘めた高熱に振り回されて ③




 で足を止める。

 あと一歩進めばドラゴンの警戒範囲に入る限界点。危険と安全の境界線だ。


「それじゃあ、頼んだ」

「ええ、承知しました」


 まず一手目。


「——、広ぐ声は誰かへとクァイダリー・クェンボクス


 詠唱の後、芯の通った声が紡がれた。

 それは、誰かの声を誰かへと伝える魔法。

 シンプルではあるが、他者から他者へと伝えるために難しい。

 今のシエルでは使えないために頼んだが、アントンは十二分に役割と果たしてくれた。


「一分後、二歩下がれ」

『っ⁉ ちょっと⁉』


 魔法を使うところは認識していたらしいが、まさか声だけを届けてくるとは思わなかったらしい。

 彼女の驚いた声はシエルの胸をすかせてくれたが、まずは戦場の操作が最優先だ。


「説明は後だ。言われた通りにしてくれ」

『……せっかく楽しんでたのに。まあ、しょうがないっスねぇ……ここは王国でスし』


 言葉を交わしながら、アイナは振り下ろされる爪を紙一重で躱す。

 次の瞬間、地面に突き刺さった爪はその膂力によって石の礫を生み出した。


『おおっと⁉』


 迫りくる石の弾丸。

 一発一発が必殺の威力を秘め、シエルの目では数すら追えない石の礫を、アイナは剣の腹を斜めにして受け流してみせた。


『ふぅ、危なかったっスねぇ』


 怪物を前にして、アイナは汗を拭うような仕草を見せる。

 こんな時でさえ余裕のある彼女には呆れしか感じないが、ともあれ余裕が無いよりはマシである。


 ……あと五十秒。


 アイナが紙一重で躱し続けているおかげで、ドラゴンは殆どどころか全く移動していない。

 その上で、ブレスを警戒してミュゼたちのいる場所に射線通さないように立ち回っているのだから大したものだ。

 それでも、何事にも不確定要素は存在し、シエルがいま立っている場所が死地に変わるまではそこまで長くはない——そう予知していた。

 だからこそ——


「右前足の薙ぎ払い、回避と同時に爪を切りつける」

「噛みつき、左に三歩で届かない」

「ブレスの兆候、さらに左へ五歩」

「射線は通ってないから吐かせろ」

「吐き終わりに合わせて左前足の付け根に切り込め」


 予測を昇華させ、未来予知に近づけた戦況予測によって指示を出す。


『人使いが荒いっスよぉ‼』

「そもそも、言われた通りにしていても十分余裕あるだろ。左前足右に三歩」

『それはそうっスけどね。それでも体を動かしてるのはこっちなんスよ?』

「さらに右に四歩、薙ぎ払いを上に飛んで躱せ。こっちは頭脳労働。十分に大変なんだから言うとおりにしてくれ」

『はいはい……しょうがないっスねぇ。って、まず……⁉』

「くないだろ……次、噛みつき、左三歩。隙はあるけど切りつけたらダメだ」

『あらら、バレてるっスか』


 ……残り二十秒。


 今のところ順調だ。

 ドラゴンの行動予測は問題なく、むしろアイナが指示通り動かない危険性の方が高いくらいである。

 しかし、それも今のところ素直に従っているのだから、さすがに彼女もこの地が王国だと弁えているのだろう。

 送り込まれる情報から脳内再生している映像——ギラリと鈍い光を放つ牙を寸前で躱してなお笑みを保っている騎士……そのオパール色の瞳と視線を重ねながら。


「次は体重任せの突進。止めさせろ」

『っ——んと、人使いの荒いっス……ねぇ‼』


 人体の十数倍の体重と数十倍の膂力による突進たいあたり

 血走った目をアイナに集中させ、押しつぶすことで圧殺する必殺の一手だ。

 ボコリと四肢の血管は浮き出て、筋肉が盛り上がり、地面に爪が食い込む。

 常人ではどうにもならないただの殺戮劇が開幕しようとするその最中で、被害者となりえる彼女は逃走を選ぶことなく、その逆を選んだ。



 ——彼我の差……たった一歩。



 相手ドラゴンを留める。そのためにアイナが維持してきた距離であり、間合い。

 剣を振るには近すぎる。そもそも、剣では相手を止められない。

 たった一歩では回避など間に合わず、蹂躙される間合いをあえて


『いくっスよぉ‼』


 一回転。

 片足を軸に回転したことによって加速した彼女の踵が、体重を乗せたドラゴンの片足を横から打ち抜いた。


 ——ガァァァォォォ⁉


 ドラゴンの咆哮に明らかな驚愕が混じる。

 力というのは横からの力に弱い。

 そして、全体重を乗せていた四本足……その一本だったとしても軸を外されてしまえば脆いものだ。

 一つが歪めば、他も歪んでいく。

 歪んだままに解放された力はひずみを広げ、修復不可能なほどまで破壊して。


 ——ガァァゥ……


 地面を揺らす振動と共に、土埃が舞い上がる。

 埃が風で吹き飛ばされた後には——


『これでいいっスか?』


 地面に伏せたドラゴンを見下ろして、アイナが自慢げに目配せしてみせていた。


「ああ、じゅうぶんだ」

『それで? 次はどうするんっスか? 乱入された時には少し萎えたっスけど、これはこれで楽しくなったんで言われた通りにするっスよ』

「いや、これで終わりだ」

『へぇ……』


 楽し気な空気を霧散させ、鋭くなった眼差しが突き刺さる。

 もちろん、これで終わりなんかではない。

 ドラゴンは動いていないが、トドメを刺したわけではない。初めて地に伏せさせられたことに動揺して動けていないだけだ。

 ダメージなんて皆無だろう。だが、終わりだ。


 ……ゼロ。


「後ろに二歩!」

『へ?』


 シエルに意識を裂き過ぎていたのか、アイナの素っ頓狂な声が木霊した。

 同時に火竜の瞳に力が戻り、ギロリと地に伏せた相手への憎悪を滲ませる。


『あぶなっ……⁉』


 横からの強襲。

 半身を抉ろうと襲い掛かる牙を、アイナは寸前で躱した。

 だが、それだけでは終わらない。


「眼球に剣を突き刺せ!」


 前に進んで、シエルは叫ぶ。

 ドラゴンの強襲は不発に終わった。

 騎士の残影をすり抜けた竜の頭は、——


『はいっスよ!』


 戻そうと振られる頭の動きに相まって、銀色の光を放つ刃はドラゴンの眼球に吸い込まれていった。

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