約束に疲れた私に待っていたのは、いつもコーヒーをくれる人でした

サトウアラレ

第1話

「だってさ、忘れちゃったんだからしょうがないよ」


 そう言われたその言葉はずっと私の頭の中に残った。


 彼が言った「忘れたんだからしょうがない」。それは、「覚えてた方が悪い」みたいな言い方に私には聞こえた。


 そして「忘れたんだからどうしろっていうの?」と言われて私は何もいえなかった。その続きの言葉は相手を責めてしまうかもしれないと思ったから。


 でも、責めても良かったのかもしれない。「じゃあ、どうするの?貴方も自分で考えて?」せめて、そう言う風に聞いてみてもよかったかもしれない。


 そう思ったが、その言葉は返さなかった。


 もう、約束するのに疲れてしまったから。





 **********





「せ、せんぱあい!!!助けて下さい!!」



 昼休みにデスクに戻ると先月独り立ちをした、後輩の日吉田ひよしだが涙目になって駆け込んで来た。


 これは、何かやらかしたな。面倒事を押し付けられる予感がする。


 私はすっと目線を外し、書類で顔を隠した。



「せんぱーーい。隠れないで下さい!ていうか、隠れられてませんから!お願いしますう!!僕が頼れるのは先輩だけなんですう!!」


 書類の向こうから顔を出して、日吉田は私を拝んで来た。


「え。いや、そんな特別扱い結構です。人違いじゃないですか」


「そんなこと言わないでえええ!!!」


 そう言って、勝手に説明を始めた日吉田の「助けて下さい」は、やはり仕事の失敗だった。初仕事を任されて、一人で頑張ったものの、納期の日付を間違えて書類を作り、もう、提出した後だったと。



「提出したばかりなら、課長に・・・って、課長は出張じゃない。え?いつ出したの?」


「せんぱーーーい・・・。提出したのは今週なんですけど、僕、どうしていいか分からないんですう。課長は出張でいないんで、頼れるのは先輩だけですうううう」


 日吉田は小柄で可愛い系男子なのを良い事にあざとい言葉遣いで泣きついてきた。


「その言葉遣いも止めろっていったよね?その言葉遣いで可愛いのは、小学生女子くらいじゃないの?日吉田はちょっと・・・。それにしても、すごいね。初やらかしじゃない」


「え?僕、可愛くないですか?あ、すみません!!!ちゃんと喋りますから!」


「分かった。書類、どれ?すぐに動けばギリギリ間に合うかも。とにかく、色々、連絡を急ぐよ」


「はい!!!!」


「田中さん、日吉田がやらかしました。フォローするので、これ、ちょっと後で回してもいいですか?」


「はーい。聞こえてたわよ。フォローのフォロー、手伝ってあげる」


「すみません」


「大丈夫よー」


 煩い日吉田から逃げるのは無理だし、結局手伝った方が早い。自分の仕事を一旦デスクの隅に置き、出張中の上司に急いで確認をしていく。日吉田は先月まで、私の下で一緒に仕事をしていただけあって、私の速足の確認にもちゃんとついてきた。


 色々な部署に連絡をし、最初の日付よりも大分早い納期の前倒しをお願いしつつ、自分達で出来るだけ仕事を急いで終わらせていく。後輩から貰った書類で急いでデータを作り直し、各部署に提出し直し、電話を掛け、メールを送る。


「ていうか、なんで、こんなミスしたの?初歩の初歩じゃん」


「えっと、多分。打ち間違えです」


「単純に?」


「はい。単純に」


 カタカタと書類を急いで作っていく。


「成程。分かりやすいミスで良かったね」


「はい!だからミスにも自分で気づきました!!」


「よかったね。じゃ、コレ、データ、ここに送って。倉庫から、サンプルをこれとこれを持って来て。で、二つの色味の比較して。色の最終確認は私がするから。ここまで終わらせてデータを作れば、急ぎの仕事でも文句は言われないはず」


「はい!!」


 二人だけでやり直しをしていても、周りに迷惑は掛けて行く。先回りして手助けがお願い出来る人に、少しずつ仕事をお願いし、日吉田の仕事のフォローが終わる頃には、当の日吉田は、抜け殻になっていた。


 無事、どうにかなった時には、「日吉田ー、ミスすんなよー」「まあ、これくらいでよかったわね」「一回は皆、通るんだよな」と、言う言葉を貰っていた。外部が絡む前でギリギリ助かった。


 後、二時間遅かったら、外部発注掛けて、大変な事になっていただろう。まあ、外部にも、急ぎの仕事をお願いする事になったが、最初からのお願いなら、日吉田はまだ頼みやすかったはずだ。間違いの訂正で早めて貰うとなると金額も大きく絡んでくる可能性があり、大変だ。


「ふー。よかった、よかった」


 そう言って、脇に置いた自分の仕事に手に取っていると、日吉田が「せんぱーい」と声を掛けてきた。



「・・・この御恩は必ず返しますから・・・」


「いや、いい。結構です。日吉田にまた、恩着せられたらいやだから」


「せんぱいひど!!でも、大好き!!」


 そうやって調子よく言っている日吉田の頭と私の頭の上に、コンっとコーヒーが乗せられた。


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