第24話 ウルスラの教育③
『先生にいいものを見せてあげるぅ!』
モチコを抱き抱えたウルスラは、いつもの生意気な小悪魔のような表情でそう言った。
どうやらウルスラの見せたいものは、ラクシャク北西部の商業区——港の方にあるようで、ルシアンは微笑みながら彼女の横を歩いていた。
まだ黒刃狼討伐の余韻が抜けていないのか、ラクシャクの商業区は、いつも以上に活気に満ち溢れていた。
「ここだよぉ!」
「ここは……」
愛するラクシャクの風景を楽しんでいたルシアンが案内されたのは、港沿いの馴染みのある喫茶店だった。
「おぉ! ウルスラちゃんとルシアン様! お待ちしておりました! ささっ、こちらへどうぞ!」
「ここは……やっぱりそうだ。ガルバさんの喫茶店だよね?」
喫茶店の中から現れた愛想のいい中年の男——ガルバの姿を認めたルシアンは、確認するようにつぶやいた。
「ええ! ガルバですよ? どうかなさいましたか?」
「せんせっ! 立ち話もなんだし、お店に入って話そうよぉ!」
「……そうだね……でもまさかッ!」
ウルスラとガルバの関連性に思考を回していたルシアンは、ある一つの可能性に辿り着く。
そして案内された店内の様子を見て、自身の予想が当たっていたことに口角が上がる。
「ウルスラ……素晴らしいよッ! 素晴らしいッ! 最高だ! ここは天国じゃないか!!!!」
そこに広がっていたのは——
「ほら、あーんしてッ!あーん……かわいぃぃいいいッ! ほらぁもっとミグリス草あるからね!」
「おかぁーさん! みてぇ! モヒモヒしてるぅ!」
「あらあら、かわいらしいわねぇ……本当に癒されるわぁ」
「ミィッ、ミィミィーッ!」
桃羊と触れ合う女性客の姿で、店内は埋め尽くされていた。ルシアンがラクシャクを盛り上げるための、一つの目標としていた光景が広がっていた。
「んふふっ……せんせっ、どう?」
「すごい……ごめんそれしか言えない……」
その様子を見たルシアンはさまざまな思いが脳内を駆け巡り、静かに涙を流していた。
三人の生徒には、ルシアンの理想を話していた。そして進捗に合わせて、こまめに擦り合わせの話し合いも行なっていた。
アーシェには薬師としての勉強、『
ベルには槍術士としての鍛錬、ラクシャクの警備、アーシェとウルスラが森へ行く際の護衛をお願いした。
ウルスラには愛玩魔物の勉強、モチコの飼育、草原地帯の桃羊の群れの統率をお願いした。
そしてこれは全てルシアンが森の中層の草原地帯で、魔物牧場や魔物喫茶を営むために頼んでいたことだった。しかし三人の生徒は、教師であるルシアンのその案を超えてみせた。
ルシアンは桃羊をラクシャク内に連れてきて、飼育することは難しいだろうと考えていた。
モチコはラクシャクに適応したが、人間でいうところの孤児であるため、群れの桃羊達とは状況が違う。だからこそ、草原地帯を丸々使ってしまおうと考えていたのだ。
「……どうやって他の桃羊を連れてきたの?」
ルシアンの口から出たのは、純粋な疑問だった。
桃羊にとっては、あの草原地帯は自由で住みやすい環境のはずだ。その地を桃羊達が離れるとは考えにくい。
「ふふっ、モチコがね! 桃羊の長になったの!」
「……えっ?」
「ミィッ!」
ルシアンは間抜けな声を出して、ウルスラに抱きかかえられているモチコの、のっぺりした顔を見つめる。
「かわいい……」という自身の呟きに我に帰ったルシアンは、モチコのもふもふを撫でながらウルスラの言葉を噛み砕いた。
「モチコがどう伝えたかわからないけど……意外ときてくれる子達は多かったみたいだよぉ! 多分アーシェのミグリス草が気に入ったみたい!」
「……ウルスラもモチコも……すごく立派になったんだね……僕は嬉しいよ」
ルシアンは父性が爆発していた。
元は戦争で家族と離れ離れになって、何も能力がないと嘆いていたウルスラと、家族を失って群れに馴染めずに体も小さかったモチコが、こんなにも成長していたのだ。そのことに、湧き上がってくる幸福感を抑えることができずにいた。
「うわぁっ……せんせっ嬉しいけどここ外だよ?」
「ミォ? ミィミィ! ミィ……」
「二人ともよくやったね……よくやったっ!」
二十五歳の元騎士ルシアンは、人目もはばからずウルスラとモチコを抱きしめた。ウルスラのサラサラの黒髪を撫でるのが、癖になっているルシアンはしばらく抱きしめ続けていた。
「いやぁ! ルシアン様も素敵な大人の男性になりましたねぇ!」
ガルバの揶揄う声でようやく離れたルシアンは、気まずくなり目を逸らした。
「……僕はもう二十五歳だよ! 元騎士だし!」
「おや? これは失礼しました! なんせラクシャクに来てすぐの時は、まるで世界の全てが敵に見えているような尖った目をしていたものですから!」
「ッ……」
生徒であるウルスラに恥ずかしい話をきかれたくないルシアンは、黙り込んでガルバの口撃をやり過ごそうとした。
「ガルバさん! 私も先生の昔話聞きたいなぁ?」
「……いやぁ、私共も、当時のルシアン様の手ぐせの悪さには驚かされたもので、その度にエドワード様にボコボコにされたルシアン様が、謝りに来ていたのですよ」
「ガルバさん……勘弁してよ……」
ルシアンはエドワードに保護されてからも、貧民街での盗みの癖が中々抜けず、都市中のありとあらゆるものを盗みまくっていた。その度にエドワードが、正義の鉄拳を振りかざしてルシアンを謝りに行かせていた。
ルシアンはラクシャクという都市に、人として生きることの全てを教えてもらっていたのだ。
だからこそガルバや薬師のメリックにも頭が上がらず、生徒達の前で過去の話をされぬようやり過ごしてきたのだ。
「えぇっ! 今の先生からは想像もつかなすぎて、信じられない話ですねぇ!」
ルシアンが王都の貧民街で、獣のような暮らしをしていたことを知っているくせに、ウルスラは意地悪い笑顔で驚いたフリをしていた。ウルスラとガルバは、二人揃ってルシアンを揶揄っているのだ。
「……そ、そんなことより、詳しい話を聞かせてもらっていい?」
「せんせっ、かわいー!」
「えぇ! ルシアン様は相変わらず、かわいらしいですね! 個室を用意しておりますよ!」
ウルスラとガルバに弄ばれたルシアンは、魔物喫茶の概要を聞くためにガルバについていった。
「……ていうかさ……内緒にされてたのって僕だけだったりする?」
「はい! エドワード様とマリーダ様はご存知ですし、マリーダ様はすでに何度も来ていただいておりますよ!」
ルシアンは案内された個室で、モチコにミグリス草を与えながら一つの疑念をガルバに投げかけた。
三人の生徒も両親もルシアンに内緒で、事業を進めていたのだ。元々この事業はウルスラに渡す予定だったが、魔物喫茶の始まりに立ち会えなかったことを、ルシアンは悲しんだ。
「先生、ごめんね? 先生に驚いて欲しくて、私がみんなに内緒にしてって頼んだの……」
「少し悲しいけど、それよりも嬉しさの方が大きいよ! ウルスラとモチコがこんなに立派になって、僕の理想が実現してるんだからね。ありがとうウルスラ」
「先生……私の方こそありがとうございます」
改めてルシアンにお礼を言ったウルスラに、いつものような小生意気さはなかった。
「うーん、あとはどうやって魔物喫茶を王国全体に広めるかだね……そろそろ僕も社交の場に出た方がいいかもね」
店内を見たところルシアンの思惑通り、女性や子供に大して人気があるのは間違いなかった。
外交の玄関である港沿いにあるガルバの喫茶店は立地も良い。あとはラクシャクに人を呼び込む手段と魔物喫茶の規模の拡張さえできれば、ミーリス領は更なる注目を浴びることができる。
「それはマリーダ様が、着々と進めてくれているみたいですよ! セルベリア伯爵夫人を今度連れてくるそうです」
「さすがは母上だ……自分の愛する者達のためなら、いくらでも愛を支払える人だから……」
ガルバの言葉にルシアンは、思わず苦笑いをした。
ルシアンの周りにいる女性はあまりにも優秀すぎる。新事業の客層は主に女性ということもあり、社交に明るいマリーダの影響力は凄まじいものがある。美容効果のある『紫美根』と癒し効果のある『魔物喫茶』。マリーダはこの二つの広告塔を務めている。
「うん……思ったよりも迅速かつ円滑に事が進みそうだね! ガルバさんもウルスラもこれから忙しくなると思うけどよろしくね?」
「まかせてよぉ! まだまだ頑張るからねぇ!」
「ええ、勿論です。敬愛するミーリス男爵家とミーリス領のためですからねぇ!」
ウルスラとガルバの返事に、胸が熱くなったルシアンはラクシャクの未来に思いを馳せた。
(あとは規模の拡張に草原地帯を使うか、空き家の再利用をするかだね。それと先行して紫美根の料理を振る舞うのも急いでもらおう)
想定したよりもずっと早く軌道に乗り始めた新事業の現状に、穏やかな笑みを浮かべたルシアンは、モチコのもふもふに癒されながら、ガルバの淹れた紅茶の風味を楽しんだ。
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