第12話 ベルの教育①


 今日はベルの教育の日である。

 初夏の暖かな日差しと、カラッとした空気、雲ひとつない青空は、絶好の訓練日和くんれんびよりと言えた。

 そんな素晴らしい日にもかかわらず、ルシアンは教育施設の訓練場で頭を抱えていた。その原因は共に三人掛けのベンチに腰掛けるベルの言葉にあった。


「あの……ルシアン様……だめでしょうか?」


 ベルの控えめな声を受けたルシアンは、青と黒を基調とした制服に身を纏い、隣に座るベルをみつめる。

 ことの発端ほったんはアーシェへのご褒美だった。先に教育を受けたアーシェは、教育を受けた日の夜、生徒三人で集まり、報告会をしていたと言う。

 その時にアーシェは『頑張ったらご褒美をもらえる』とベルとウルスラに伝えたそうだ。ここまでは三人の生徒が、仲睦まじいのは微笑ましいことだとルシアンは喜んだ——が、悩みの種はベルが要求してきたご褒美の内容にあった。


『ルシアン様……あたしの角を握って、お腹を殴ってくれませんか?』


 ルシアンは何度も聞き返した。耳が腐ってしまったのだと思い、何度も聞き返した。

 しかしその質問を聞き返すごとに、ベルが顔を赤くして、申し訳なさそうな表情になっていくのを見て、そのご褒美に向き合うことを脳みそが認めた。


 ベルは生徒の中でも、自己主張が控えめである。


 アーシェは快活さのゴリ押しでハッキリとした物言いをするし、ウルスラは抜け駆けするように甘えてくるのが上手だ。

 その中で、ベルだけはルシアンに対して自己主張をすることはなかった。ベルが黙々と訓練場で鍛錬している姿は、アーシェの教育中も見られた。

 そんな彼女の力になるのであれば、ルシアンは出来る限りのことをしてあげたかったが、要求があまりにもぶっ飛んでいるのだ。


『奴隷の牛獣人の角を握り、腹を殴る男爵家の嫡子』


 あまりにも終わっている。誰かに見られようものなら、エドワードとバルドルから殴り殺されても文句は言えない。

 しかしベルには何かをしてあげたい……そこでルシアンはある提案をすることにした。


「その……ベルに酷いことをするのは、僕が辛いんだ。だから角とお腹を撫でるってのはどうかな?」


 これでもかなりきつかった。ベルは十八歳とはいえ、肉体は立派な女性である。加えて獣人の尻尾や角は、軽々しく他人が触っていいものではないことも知っている。


「……角は握ってください。角を強く握って、お腹を優しく撫でてください」


 これだけは譲れない!といった真剣な表情のベルの口元は、かすかにゆがんでいた。

 アーシェもベルもたまに怖い表情をするな……とルシアンは思いつつも、早くこの話を終わらせるために同意した。


「う、うん! わ、わかった……じゃあ教育初めてもいい?」

「はい! ルシアン様の強さを、あたしに教えてください!」


 嬉しそうに返事をするベルに対して、ルシアンは強さを見せる前にグッタリとしていた。





「ベルは騎士学校ではどんな武器を使ってたの?」

「剣と弓を使っていました」


 教育者の心構えを取り戻したルシアンは、ベルを最高の戦士へと導くために、まずは武器の扱いについて質問した。

 ベルの返事は最悪のものだった。剣や弓は武器の中でも、多くの専門的な知識や感覚を必要とする武器である。ゆえに適性持ちとの差が決定的に出てしまうのだ。

 そして何より、胸の大きなベルには相性が悪い。


「うーん……ベルには槍を使って欲しいんだけど、剣や弓にこだわりがあったりする?」

「いえ、教官から渡されたのが剣と弓だったというだけなので……でも槍ですか?」

「騎士学校ではあまり推奨されてなかったでしょ?」

「はい……なので槍の知識はないです」


 騎士学校では、槍を主軸に教えることはない。

 騎士は前提として室内でも屋外でも役割を持てる武器を扱えなければならないからだ。

 そして槍という武器は扱いも簡単で知識も他の武器に比べると必要ないが、室内戦にめっぽう弱いのだ。室内戦では邪魔になることすらある。


 しかしベルにこの懸念は必要ない。大きな胸も邪魔になりにくく、肉体の強度にモノを言わせる体術士であり、魔物や賊を相手にすることを前提としたベルにはむしろ最高の武器と言える。


「大丈夫だよベル! 槍はね。知識がほとんどいらないんだよ。間合いの長さがあって強い武器なんだけど、室内戦にすごく弱いんだ」

「…………屋外戦をするあたしには、その弱さが発生しないということですか?」


 アーシェもベルも賢い。ルシアンの伝えたいことをみ取るのが早い。これが『教育者』という適性のおかげなのか、ベル達の資質なのかはわからない。

 

「そう! ベルは賢いね! でも体動かしたいでしょ? ちょっと実戦してみる?」

「ッ!? 良いのですか!? ルシアン様が……叩きのめしてくれるのですか!」


 興奮するベルに用意していた木剣を渡し、ルシアンは穂先ほさきのついていない、ただの長い棒を手に持つ。


「その……ルシアン様、あたしは身体で覚えるのが得意なので、打てるときはちゃんと打ってください……」


「うん、わかったよ! もし怪我しちゃったら、アーシェに頼んで薬を作ってもらおうね」


 木剣を構えたベルは、フーッフーッとかすかに息が荒くなっており、久しぶりの戦闘訓練にかなり興奮しているようだった。


「では……参りますッ!!!」


 闘志のこもった叫びと共に、ベルはルシアンへと距離を詰めた。


 はやい——ルシアンは素直にそう思った。


 鍛えられたベルの足腰から発生する加速力は、目を見張るものがあった。


 (努力した体術士の身体能力はすごいなぁ……)


 しかし身体能力に身を任せたベルの素直な突進は、十年間、敵を殺し続けてきたルシアンにとっては、赤子の手をひねるようなものだった。


 (ごめんね……ベル)


 ギュッと穂先のない槍を握ったルシアンは、まずは徹底的に力の差を教えるために、洗練された足捌きで、ベルの進行方向へと槍の先をソッと置くように構えた。

 爆発的な加速で突進していたベルは、いきなり現れた槍の先端に気付いたようだが、急停止することもなく勢いよく突っ込んだ。


「ぅぉっ……ぉっ……」


 ルシアンが置くように構えた穂先のない槍は、ベルの加速の勢いを借りて、みぞおちへとえぐり込んだ。その衝撃にベルは木剣を落とし、腹を抑えてうずくまった。


「ベル! 大丈夫!? ベルッ——え?」


 突進の抑止力のつもりだったルシアンは予想外の結果に驚いたが、すぐにベルの元へと駆け寄った。


「えへ……おなかいたぃ……つよすぎ……ぇへへ……」


 笑っていた。ベルは笑っていた。ベルは痛みを噛み締めるように笑っていた。


 (嘘だよね? 笑っ……てる。いや、どう見ても笑ってる)


 ルシアンは声をかけるのをためらった。戦場であればベルは死んでいる。これは訓練で、穂先がないのがわかっていたからなどという話は通用しない。実戦を想定しない訓練など意味がないのだ。


「ル、ルシアン様……ありがとうございます」

「……ベル、座って少し話そう」


 起き上がったベルは、ほうけたようにお礼を言った。その姿に危うさを感じたルシアンは、ベルをベンチへと連れて行った。


「お腹は大丈夫?」

「はい。丈夫なので……それで話とはなん——

「ベルはさっき自分が死んだのを理解してる?」

「え?」


 やはりベルは理解していないようだった。

 ルシアンはベルに初日からうまくやって欲しいわけではない。成功とは失敗の改善を繰り返して、成り立つものだ。

 しかし、危機感が薄れてしまうのはよくない。なぜならその癖がつくと死に直結するからだ。ルシアンはベルに絶対に死んでほしくない。だから伝える。


「訓練は実戦のように、緊張感を持たないと意味がないんだよ。当然、初日からうまくいくとも思ってない。でも、僕の槍に穂先があればベルは死んでたんだよ?」


 珍しくさとすようなルシアンの言葉に、ベルはハッとして真剣な表情を見せた。


「どんな失敗をしてもいいし、どんな性癖を持っていてもいい。でも……わざと自分を傷つけるのだけはやめてほしい」


「ッ……それは……ちがっ……ルシアン様! 違うんです!」


 賢いルシアンは知っていた。そういう人は騎士にもそれなりの数の人がいた。

 ベルは被虐性愛者ひぎゃくせいあいしゃなのだ。彼女がわざと痛みを受けたことに気づかないルシアンではない。


「ごめんなさいッ! ごめんなさいッ! もうしませんから! 嫌いにならないでくださいッ! お願いしますッ!」


 涙をこぼしながら、ルシアンに縋りついて何度も謝るベルに胸が苦しくなった。


(こんなことになるくらいだったら……仕方ない。ベルが死ぬのは嫌だ。でも普段控えめなベルのささやかな望みくらい叶えてあげたい)


 ルシアンの職業は男爵家の嫡子であり、教育者であり、賢人である。

 

「ねぇベル」

「は、はい……」

「これから訓練中に自分を傷つけずに頑張れる?」

「そ、それは……」


 やはり保証はできないということだろう。

 しかしそれなら発想の逆転を行えばいいのだ。

 

「もし頑張れたら——ご褒美に僕がベルに乱暴してあげるよ」


 そしてルシアンにはもう一つ職業がある。


 『幸福製造機』である。

 


 

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