第三十五話
「あっ、目が覚めました?」
気がついた時、そこは知らない天井だった。
俺に声をかけてきたのは黒いスーツ姿でメガネをかけた真面目そうな女性だ。
身体はシミ一つない白いベッドに寝かされていて、腕には点滴の管が繋がっている。
心電図モニターを見るにバイタルは至って正常……たぶん。
「シキシマくん、今回は本当に色々とありがとうね。君は何も覚えてないだろうけど」
口ぶりからして、どうやら彼女の方は俺を知っているようだったが、生憎こちらは何も思い出せない。
たしか、俺は直前までダンジョンの深くへ下りていって、そこで【ニルガル】という『異界の神』と戦い、恋人を名乗るアルカと話をして、意識を失った。
起こったことの概要だけは何となく覚えているが、肝心な部分がてんではっきりとしない。
それはまるで、背景の部分だけが完成したジグソーパズルのようだった。
「えーっと、君は?」
「……私はシイナ アヤっていいます。アルカちゃんからだいたいの事情は聞きました。色々な記憶がなくなっちゃったそうですね? 悲しいことだけど、君はそれだけ頑張ってくれたんですよね」
彼女はぐっと様々な感情を押し込むように、天を仰いでから笑った。
俺はそんなシイナに一体どんな顔をすればいいかわからないまま、ただ困ったように笑顔を返す。
「とにかく、私は君にすごくお世話になったってことだけでも覚えてくれると嬉しいです」
彼女がそう言って白く長い指をした手を差し出してくるので、流されるままに握手をした。
その体温を感じた時、喉へ引っかかった小骨のようにアルカへ何かを伝えなくちゃいけないことを思い出す。
でも、一体何を?
「まだ、あまり動き回らない方がいいよ」
俺が居ても立っても居られずに起きあがろうとすると、病室の入り口からモデルのように背の高いイケメンが現れた。
爽やかで王子様のような笑みを浮かべたそいつのことを、視界に入れた瞬間から何となく気に食わないなと感じる。
「あっ、サイキョウさん」
シイナが席を立ち軽く礼をすると彼は手でそれを制したものの、結局は譲られてその席に腰掛けた。
そのやりとりはなんだか上司と部下のようだった。
「シイナくん、悪いんだけど立たせちゃったついでに席を外してくれるかな。ちょっとシキシマくんと二人で話がしたいんだ。それと十分後くらいにアカガネくんをここへ連れてきてほしい。シキシマくんが目覚めるのを一番待っていたのは彼女だからね」
「そうですね」
彼女はサイキョウの言葉に頷いて、その場を立ち去ろうとする。彼はその背中に続けた声をかけた。
「アカガネくんはヒジリと下のカフェに居るはずだから」
「わかりました。失礼します」
シイナがビジネスマンのような綺麗なお辞儀をして病室から出ていくと、彼はにっこりとうさんくさい笑みをたたえて握手を求めてきた。
「シキシマアキラくん。初めまして、僕は
うーん、記憶はあまりない筈なんだけども、コイツにはなんか見覚えがある。
なんだっけな、えーと、たしかコイツって。
「あっ!!お前、確かネットニュースでるりてんちゃんとのデートをすっぱ抜かれてた、いけすかない奴だな!?」
俺が大声を出しながら彼の差し伸べた手を払うと、サイキョウは困ったように苦笑いした。
「あぁ……るりの件か。あれならとんだ誤解だよ。ここだけの秘密なんだけど、彼女は腹違いの妹なんだ。別に、兄妹がレストランでディナーを食べた後で同じマンションへ帰るのなんてスキャンダルでも何でもないだろう?」
「兄妹?」
え、なんだその衝撃的な事実は。こいつとるりてんちゃんって兄妹だったのか。
顔が似てないのも片方しか血が繋がってないからと言われれば否定できないし……。
それに、わざわざそんな大胆な嘘をつくとも思えない。
「まあ、妹はある目的を果たして配信をやめちゃったみたいだけどね」
身内しか知り得ないような裏話まで語ってるし、たぶん本当のことなんだろう。
「そうなんですか、ファンだったのでそれは悲しいです」
「ふーん、ファン……ね。君は罪な男だと思うよ」
「……?」
彼が何か意味深なことを口にしたので首を傾げると、彼はポンと手を打って話題を変えた。
「ところで君はあの事件からだいたい一週間くらいは眠っていたわけだけど。ダンジョン内でのことはどれだけ覚えている?」
「殆どなにも」
俺が正直に首を横へ振ると、彼はそれを想定していたように次の確認へ移った。
「じゃあ、この男に心当たりは?」
そう言って、彼が胸ポケットから取り出した写真の男にははっきりと見覚えがあった。
「……ニルガル」
「異界の神と戦ったことは覚えている、と」
サイキョウはその場で写真の裏側にさらさらと何かをメモしながら呟いた。俺はその一挙手一投足をうろんげに見つめている。
「そう警戒しないでいいよ、少なくとも僕個人は君の味方だからさ。アカガネくんからだいたいの事は教えてもらったよ。君の力のことも、その代償のこともね」
「……」
その言葉に思わず眉間にシワがよってしまった。俺はどうやら記憶を失う前に、不死身の力や記憶の代償についてアカガネ アルカに喋ったらしい。
俺は自分のことはなるべく他人に口外しないと固く決めていた。つまり、それを知っているということはアルカが言うとおり俺と彼女は相当に親密な関係であったのだろう。
それでも、彼女はコイツにその秘密を教えてしまった……?
「ああ、彼女のことは責めないであげてくれ。アカガネくんは組織の拷問にも懐柔にも屈せず、最後まで黙秘を貫いたんだ……君に義理立てしてね。そして、僕から優位な取引を勝ち取った。これは並の根性じゃないね」
彼が軽薄そうにぺらぺらと語る姿に、自分でも驚くくらいに怒りが抑えられずにその胸ぐらを掴んだ。
拷問、懐柔?コイツは何を言ってるんだ。
「そう熱くなるなよ、子供じゃないんだからさ。君がどれだけ強いつもりかは知らないけど、身の程は知るべきだ。本気でやりあったら、僕に勝てるわけないだろ?」
サイキョウは自信が故かにっこりと口元を歪ませて、俺の手をほどきベッドに寝かせた。
「でもね、僕からの余計なアドバイスだけど、彼女のことは大切にするべきだよ。もし結婚を考えるとしたら顔だとかスタイルで選ぶのじゃなくて、ああいう義理固い子にした方が良い。生活っていうのは信頼の積み重ねだからね」
「大きなお世話ですよ」
何が『信頼の積み重ね』だ、お前が一番それに値しないじゃないか。
それにアルカを大切にしなきゃいけないことなんて、わざわざ言われなくてもわかっている。
わかっている?どうして記憶がないのに、そんなことを言い切れるのだろう。
「そりゃ失敬。で、写真の男だけど……冒険者協会員の【
黒服は俺が眠っていた間にどこかの誰かに殺されてしまったらしい。
というか、一々言葉選びが癪に触るやつだな。
「凶器はサイレンサー付きの小銃。恐らくは密入された品で、反社会的な組織しか入手できないだろうね。その辺り、なにか心当たりは?」
「反社会的組織? 俺は少し強いだけの一般人ですよ、そんな人たちと関わりはありません」
記憶はないが、たぶんそんな奴らと関わる機会はないだろう。出会う方法すらわからないし……。
「嘘をついているようには見えないね。それとも忘れてしまったのかな。まぁ、それはどちらでもいいか」
彼はこちらの瞳を覗き込みながら、肩をすくめた。
「ニルガル……シュウマさんは亡くなってしまったんですか」
「まるで彼の死を悼んでいるような表情だね。君はフクと何か話したのかい?」
彼は何となく事の全容を知っているようなので、俺は多くを語らずに端的な言葉を選ぶ。
「はい。俺には彼も復讐心を利用されただけの被害者のように思えました」
その言葉にサイキョウはメモ書きに軽く目を通しながら、つらつらと語り始めた。
「利用か、言い得て妙だね。例えるなら、この世は神様が遊んでいるボードゲームみたいなものだ。彼は黒チームの駒として自陣を一歩前に進めたが、そこで君に打ち取られてしまった。倒された駒は用済みだ。器は取り払われ、中身は控えに戻り、新しく相応しい器が育つのをジッと待っている。僕らと彼らは敵対するチームだ。黒が世界を壊すなら、白は世界を守る」
「一体何の話をしているんですか?」
サイキョウはひとしきり雄弁に語ると、そこで再度ポンと手を鳴らして話を遮断してしまった。
「話を変えようか、何も別にこんなつまらない話をするためにわざわざ病室まで押しかけた訳ではないんだ」
彼はやれやれといった調子で首を横に振る。マイペースなやつだ。
「単刀直入に言う。君には冒険者協会に入ってもらいたい」
「お断りします。協会はひどいところだと聞きました」
俺はその提案を間髪入れずに拒んだ。
「ははは、ひどいところか。まぁ、間違っちゃいないな。冒険者協会はまさに伏魔殿って奴でね、政治的闘争が日夜繰り広げられている。今回の件でも、何人かが椅子から押し出されて、何人かがその空席にするりと座った。かくいう僕もそこに上手く収まったうちの一人だ」
「下手くそな勧誘ですね。そんな話を聞いたら尚更入りたくなくなりましたよ」
辟易したように俺がため息をつくと、彼はにこりと柔和に微笑んだ。
「まぁ、焦らずに最後まで聞きなよ。僕はその組織の歪みをテッペンから正そうと思ってる。君には僕が偉くなるための手伝いをしてもらいたいんだ」
「俺があなたの手伝いを?」
その突拍子のない話に、思わず聞き返してしまった。
「そう、決して簡単ではないがやりがいのある仕事さ。そして、絶対に損はさせない。さっきのシイナくんも同じさ。彼女は親友を救う方法を探す為に僕の部下になることを選んだ。彼女は協会を利用し、そして僕は協会を改革する為に彼女の力を利用する。Win-Winだろ?」
なるほど、シイナはサイキョウの提案を受けて部下のように振る舞っていたわけか。
「なにも、職歴もない君に役人としてスーツを着て働いて欲しいってわけじゃないんだ。ほら、刑事ドラマみたいに『ダンジョン庁 特命係』なんて感じで、在籍だけしてくれればいい。組織のしがらみだってない、ただ君は僕の指示に従うだけ。給料も同年代平均の五倍は出してあげられるよ」
「お断りします。怪しすぎる誘いには乗るなってばあちゃんから教えられたので」
少しだけ悩んだあとで俺はその提案を拒否した。サイキョウはそんな俺の言葉を聞いて苦笑いを浮かべている。
「アカガネくんにも、同じ台詞で断られたよ。君たちは本当によく似てるね。でも、断るのはおすすめ出来ないな。君は有名になりすぎた」
彼はため息をつきながらビジネスバッグを開き、そこから雑誌や新聞の類をバラバラと出す。
その見出し一面には『不死身』の文字がセンセーショナルに掲げられていて、ひどいものになると俺の個人情報や実家の写真までモザイクと共にすっぱぬかれていた。
「いまや君を狙っているのは、冒険者協会だけじゃない。マスコミ以外にも公安や内調……大小様々な組織が君にアプローチしたくてうずうずしている。とある海外実業家は君と七億ドルの契約を結びたいなんてSNSで呟いていたよ」
確かにこれは少し有名になりすぎだ。これじゃあ、散歩もうかうか出来そうにない。
ところで、七億ドルって日本円にすると一体幾らだろう。都内に一軒家が建てられるくらいはあるだろうか。
「でも、そんな彼らであろうと冒険者協会員が相手ならうかつに手は出せないんだ。この組織には、そのくらいの強制力があるからね。だから、この提案は実質的な保護措置だと思ってもらっていい。君だって、今までみたいに平穏な生活を送りたいだろう?」
それはそうだ。幾ら有名でモテモテウハウハだからって、気軽に近所のスーパーへ出かけることすら出来ないような生活は困る。
「簡単なことさ、君は自らの意思で鳥籠の中へ入り、限られた安全を手に入れる。外は自由だが、猛獣の彷徨うサバンナだ。確かに君自身は『不死身』かもしれないが、周りはどうだろう。……例えばアカガネくんは? 世界のあらゆる悪意から、君一人で彼女を守り切れるかい?」
「それは脅しですか?」
俺の問いかけに彼はにっこりと最大限にうさんくさい笑みを浮かべた。
「ひどいな、これは単なる事実の確認だよ」
「どのみち選択権はないってことですか」
「まぁ、残念だけど、そうなるね」
俺は深くため息をついて、覚悟を決めた。お喋りなんて全部が茶番でコイツはこうなることを初めからわかっていた。
負けが決まっているゲームをさせられていたことは不服だが、文句を言っても仕方のないことだった。
そのくらい俺とコイツには差があるということだ。
「わかりました。俺はあなたの部下になります。ただ、その代わりに」
「その代わりに、アカガネくんの安全は何があっても保証してください……だろ?」
サイキョウはまるで将棋の王手をかける時のような勝ち誇った顔で言葉を続けた。
どこまでも先を読まれていることに驚くと、彼の方も少し驚いたような感心したような表情を浮かべている。
「君たちは本当によく似ているね」
その時、会話を断ち切るようにコンコンと病室の扉がノックされた。
「サイキョウさん。アカガネさんをお連れしました」
「ちょうど話が終わったところだよ。入っていい」
サイキョウの返事を聞くと、すごい勢いで扉が開かれて真っ先にアルカが部屋へと飛び込んできた。
「アキラ、身体の具合は大丈夫なの!?」
「うん」
俺が静かに頷くと、アルカは気に食わなさそうにサイキョウを睨んだ。そこに『早く出ていけ』という言葉が込められているのは、鈍感な俺にも伝わる。
「仮にも上司に向かってその表情はないんじゃないかな? まぁいいや、感動の再会に僕らはお邪魔みたいだね」
そう言って、サイキョウはシイナの肩を叩き部屋の外へ出て行こうとする。
「ああ、早速だけど、シキシマくんが退院した頃合いに君たちへ協会員としての初仕事を頼みたい。その日になったら僕の部下が連絡にいくよ。それじゃあ、お大事に」
「お大事になさってくださいね」
二人が病室を出ていくと、俺たちは少し気まずいような微妙な空気の中で時間を過ごした。
「そうだ。俺、アルカに何かいわなきゃいけないことがあったような気がして」
「……それよりアキラ、リンゴでも食べる?」
俺が意を決して口を開くと、彼女は誤魔化すように返事も待たずにりんごの皮をむき始めた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
仕方がないので俺は彼女の言葉に従うことにする。
「はい、あーん」
「あ、あーん」
小さなフォークで丁寧にうさぎみたいに切られたりんごを口へ差し出され、俺はされるがままにそれを食べた。
……正直かなり、気恥ずかしい
「あのさ、俺たちって前からこんなことしてたの?」
「当たり前じゃない」
その割にはアルカはひどく赤面しているようだった。
なんだか、記憶がないのをいいことに騙されているような気がするが、不思議と悪い気はしない。
「おいしい?」
「うん」
「あたしが真心込めてむいたんだもの、当然よね」
それから、退院までアルカは毎日甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたのだった。
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