第二十四話
「あたしはサバの味噌煮定食にしようかな〜。あんたは何にする?」
「じゃあ、麻婆豆腐定食で」
「その選択は大当たりよ。後で一口ちょうだいね」
それから、俺たちは病院内の食堂へ移動して昼食を取ることにした。機械で食券を買い、窓際の席に座る。
平日ということもあってか広い食堂は閑散としていて、子供連れの母親と休憩中の看護師がいるくらいだった。
ガラス窓の向こうには太陽に照らされた水面がキラキラ輝いている。あそこに見える大きな橋はなんて名前だろう? ずっと住んでいるが都内には全く詳しくない。
「それで、どうして俺をおばあさんに会わせたかったんだ?」
「別になんとなくよ、前からアキラには事件が解決したら会って欲しいと思ってたの」
「そっか」
返事をしながらレンゲを使い麻婆豆腐を口に入れると、まだ熱くて飲み下すのに時間がかかってしまった。
アルカの方は、はふはふと慌てる俺の姿を見つめて笑ったまま、何に手をつけるでもなく静かに口を開いた。
「……突然、こんなことを言われても困るかもしれないけどさ。私って両親がいないのね。この世に唯一残った家族がおばあちゃんなの」
いきなり始まった想像よりも重たい身の上話に、思わず食事の手が止まってしまった。
俺が相槌を打つのも待たずに、そのままアルカは言葉を続ける。
「私の両親と弟はね、十三年前のダンジョン災害に巻き込まれて死んじゃったの。結構大きな事件だったけど、知ってる?」
「その災害は知ってるよ。春が近づく度に何度もニュースで見たから」
まさか、あの有名な災害にアルカが巻き込まれていたなんて思わなかった。
でも、件のダンジョン災害による被災者は十万人を超えると言われていて、未だに行方不明の人間だっているくらいだ。
そういう規模の災害なんだから、近くにいる人間が被災していても何もおかしくはないんだろう。
具体的に何が原因でダンジョン外にまであれだけの影響を及ぼしたのかはまだ解明されていない。
冒険者協会が資料を隠しているなんて噂もあるけど、そんなことは一般人に知るよしはないからな。
「それから、孤児同然のあたしのことを引き取って育ててくれたのがおばあちゃんだったの。でも、おばあちゃんはあたしが二十の時に国指定難病を患っちゃってね……。それで、その病気を診られるのがここの先生だけだったから、入院費を稼ぐため配信者になったってわけ」
「そういう事情があったのか」
裏にそんなことがあったのなら、多少は強引なやり方で数字を取ろうとするのも理解できる。
別に女性的な武器を使って稼ぐなんて、そこまで悪どいことでもないしな。
「始めたてなんて、全然稼げなかったからコンカフェでメイドさんだってしてたわ。……今も時々はお給仕してるけど」
「メイドさんってもえもえきゅんのやつ?」
俺が両手でハートを作りながらアルカにたずねると、彼女は冷ややかな視線でそれを見つめていた。
やめろよ、俺がスベったみたいになるだろ。
「うーん、ちょっと古いわね。まぁ、まだそういうサービスをやってるところもあるけど。だいたいは時期ごとにイベントがあって、飲み物を入れてもらって、会話したり遊んだりして、最後はチェキ撮って終わりよ」
コンカフェの仕組みを丁寧に説明して貰ったが、いまいちよくわからなかった。コスプレ付きのキャバクラみたいなものだろうか?
「ってことは、お店に行けばアルカのメイド姿が見られるわけか」
「……来たら、しばくからね?」
「やめとくよ」
ジトりとこちらを睨んでくるアルカの表情は決して冗談ではなさそうだったので、俺はすぐさま否定しておいた。
とはいえ、アルカにメイド姿でご奉仕してもらうのは……何というか興奮しそうだ。
「とにかく、お金を稼ぐ為ならおばあちゃんを悲しませるようなこと以外はなんだってしようと思ったわ。あたしに返せる恩なんてそれくらいしかないから」
……邪な妄想をしていた俺を誰か殴ってくれ。
やっぱり、彼女はすごく真面目で強い人間なんだなと思う。そんなことがあったのに、自暴自棄になるわけでもなく生きていけるのは精神的に成熟している証拠だ。
俺にはたぶん同じ状況でも同じことは出来ないだろう。
「アルカの話を聞いてると、俺の人生が恥ずかしいな。俺も小さい頃にダンジョン災害にあって父親を亡くしたけど、それからはずっと嫌なことから逃げっぱなしだ」
「そうだったのね。でも、別に生き方なんて他人と比べることじゃないわ。そんなことがあっても、ここまで何とか生きてきた事実だけで立派よ」
アルカにそういってもらえると何だか、少し心の荷が軽くなった気がする。
俺は『不死の呪い』などの色々なショックを理由にして高校を中退し、その後は結局のところずっと引きこもってネットをしていた。
そして、成人と共に母親に実家を追い出されて一人暮らしを始めるまで……いや、それからもずっと現実と向き合わないままでここまで生きてきてしまった。
しかし、彼女はそこから逃げずに立ち向かって生きている。それだけでも、俺にとっては尊敬の念しかない。
「アルカは、若いのに壮絶な人生を送ってきたんだな」
「そうね、全然平気って言ったらそれは嘘よ。だから、あたしはシイナが復讐を望む気持ちがわかるわ。もし、あたしから家族を奪ったあの時のモンスターに復讐ができるなら、あたしは死んだって構わないもの……」
彼女は何かを思い出すようにして、恨みのこもった瞳でただ一点を見つめていた。
それはいつかの喫茶店で見た、シイナの表情と良く似ている。
「そんなこというなよ、おばあちゃんが悲しむだろ」
それにしても、復讐か。俺もあの時父親を殺したモンスターの姿を今もはっきりと覚えていたら、やはり二人と同じことを望んだだろうか。
いや、もう愛していた父親の顔さえ思い出せない俺には何かを恨んで生きる資格さえないのかもしれない。
『不死の呪い』の力、それはまさしく呪いとしか呼べない代物だ。その力は強力無比で、その気になればどんな相手でも倒せそうだと錯覚するほどではある。
しかし、その力を激しく使えば使うほど代償に俺の『記憶』を消費してしまう。だから、俺は過去の色々なことをもはや滲んだ水彩絵の具のように曖昧にしか思い出せないのだ。
鎌を出す程度であれば、忘れるのは精々昨日の晩飯くらいのものだ。しかし、全力など出してしまえば大切な人の顔さえ二度と思い出せなくなる。
だから大事なことは日記に残しておいてある、せめて忘れてしまったことを忘れてしまわないように。
「アキラは……アキラもあたしが死んだら悲しい?あたしを奪ったものを憎いと思ってくれる?」
長い沈黙の後で、アルカは確かめるようにして小さく呟いた。
「当然だろ。でも、仮にアルカを奪った何かへ復讐しても……お前は二度と帰ってこない。だから、俺はアルカと生きてる今や未来を大切にしたいと思うよ。だって、俺たちはどう足掻いても前にしか進めないんだ」
少しだけ、机に乗り出すよう前のめりにアルカへ近づいて思いの丈を述べた。
何もかもいずれ忘れてしまう俺にとっては、過去よりも未来の方が大切だ。
暑苦しいことを言ってるのはわかっていたけど、どうにも止められなかった。
「……そうよね、わかってはいるのよ? でも、時々は過去の誘惑に負けちゃいそうになることもあるわ。一度ついたこの傷跡が消えてくれることはないんだもの」
アルカは自分の胸に手を当てながら、にっこりと悲し気に笑った。それはどうにか色々なものを諦めようとしているような、そんな表情だった。
「あーあ。もうどうやったって会うことが出来ないのなら、いっそのこと家族のことなんて綺麗さっぱり忘れさせて欲しかったわ。……あたしの胸の中にはね、今でも家族が住んでるの。十三年前のあの日あの場所で幸せそうな顔をしたお母さん、お父さん、弟。あたしの時計はそこでずっと止まったまま」
アルカは目尻に涙を浮かべながら、それが溢れないようにと天を仰いだ。
まるで時間が止まったように、食堂がしんと沈黙に沈む。
「大切な人のことをいつまでも覚えているのと、綺麗に忘れてしまうこと、どっちが辛いんだろうな」
反対に、俺は深く沈み込むように床のシミを見つめながらそう呟いた。
「どうしたのよ、いきなり」
「いや、何でもないんだ。でも俺にだって何もかも全部やめて終わりにしたいことはあるよ」
アルカは俺の事情を深くは知らない、力の代償についても。だから、誤魔化すようにそう伝えるだけしか出来なかった。
忘れられないこと、覚えていられないこと、そんなものはどのみちないものねだりだ。
どちらの立場だってどうせそれなりのつらさがあるに決まっている。
「あんたも、そういうナイーヴな気持ちになることがあるのね。そういう時はあたしに頼ってくれてもいいのよ?」
「お前は俺を何だと思ってるんだよ。まぁ、その時はそうする」
そこで、ようやくバラバラだった互いの視線が再び交差して……どちらともなく笑いが溢れた。
「ふふ、なんかごめんね」
「いや、いいんだ。普段から真面目な話をしない俺が悪いし」
「ううん、あんたのそういうところ一緒にいて気が楽よ」
そうして、笑いあえたことでその場の時間がまたゆっくりと動き出したような気がした。
食堂にもまばらに人がはいり初め、少しだけ活気が増してきたようだ。
「さ、湿っぽい話はこれで終わり!とっとと食べちゃって買い物して帰るわよ」
そういうとアルカは箸を動かして、美味しそうにサバの味噌煮を食べ始める。
麻婆豆腐はとっくに冷めていたが、それでも山椒が効いていて美味しかった。
……確かにこれは当たりだな。
「ところで、お前ってまだ俺の家で暮らすつもりなのか?」
「何よ、早く出て行ってほしいの?」
アルカは俺の返事などわかりきっているように、自信あり気に質問を質問で返してきた。
そのドヤ顔はなんなんだよ。
「いや、別に居たければずっと居てもいいけどさ」
それが、アルカの想定通りであることはわかっていたが素直に伝えておいた。
「あはは、ずっとは流石に無理よ? でも、もうちょっとだけ一緒にいさせて欲しいと思ってるの。いきなりまた一人で生活するなんて、寂しくてきっと死んじゃうわ」
「寂しくて死ぬってウサギじゃないんだからさ」
俺が大袈裟なことをいうアルカに笑いながら返事をすると、彼女もつられるようにしてにっこりと笑った。
「でも、あながち冗談でもないのよ? あたし、あんたと暮らしてる間って本当に楽しかったの。まるで、家族が戻ってきてくれたみたいな……本当にそんな感じがした。夜だっていびきかくほどぐっすり眠れたのは久しぶりだったんだから」
そこまで思っていてくれていたのはなんだか意外だったな。俺は照れくさくなって、アルカとまっすぐ向きあうことが出来なかった。
「俺も、アルカといるのは楽しいよ」
「それはよかったわ」
それを聞いて、アルカは満更でもなさそうに笑った。
それからしばらくは今までのことが嘘のように平和な時間が続いていく。
……刑事のシッコウさんから緊急の連絡があったのは、ちょうど一週間後の夜のことだった。
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