第十五話
「もしもし、夜分にすみません。この間、多摩東で名刺を頂いたシキシマです」
「ああ、あの時の冒険者さんですね。どうしましたか?」
あれから、アルカとのんびり家へ戻りシャワーを浴びた後で刑事の執行さんへと電話をかけた。
向こうはいま駅にでもいるのか、電話口からは様々に入り乱れた独特な騒音が聞こえてくる。
「少し思い出したことがありまして、情報提供をさせてもらおうかなと」
「それは助かりますね。実のところ、捜査が難航しているもので今もまだ出先なんですよ」
ややくたびれたような声色で執行さんはため息を吐いていた。
ちらりと時計を確認すると既に時刻は午後八時を回っている。
普通ならもう家でゆっくり過ごしている頃だろうか。いや、刑事さんの生活リズムなんて到底想像もつかないけれども。
「それで、思い出したことと言いますと?」
先ほどよりも静かな空間に移動したのか、質問と共にボールペンをカチカチとならす音が聞こえてきた。
さて、アルカと事前に打ち合わせしたとはいえ、刑事を上手く騙すような嘘が俺につけるだろうか。
「あの時、ダンジョンの中でヘルケルベロスから逃げていた冒険者の声を聞いたことを思い出したんです」
「声、ですか。それは男性でしたか?女性でしたか?」
執行さんはさらさらとメモをとりながら、質問をしてくる。
どうやら俺の話に食いついてはくれているらしい。
「若い女性の声でしたね。ずいぶん必死な、追われているような感じの声でした」
「なるほど」
当たり前だが、ここまでは特に疑われているような感じはしなかった。
なので、勇気を持って一歩踏み出すようなことを聞いてみる。
「あの、まだ事件に関係した冒険者の中で安否が確認できていない方がいるんですよね?以前写真を見せてもらった四人の中に」
「……そうですね。詳細は不明ですが、少なくとも事件後に自宅へすら戻っていない冒険者が二人います」
執行さんは喋るかどうかを悩むように間を空けて、それから諦めたようにそれを口にした。
安否の確認できない冒険者が二人いる。逆に言えば、一人とは既にコンタクトが取れているということだ。
タツオは既に死んでいて、アルカと槍木は姿をくらませている。
やっぱり、執行さんはシーナと既に連絡が取れる状態にあるということだ。
よし、それがわかれば賭けに出る価値はある。
「あの、もしもなんですけど。直接その女性と会話をしたり出来れば、その時に聞いた声と同じだったかわかるかもしれません。ひょっとしたら自分が聞いた声の主は、既にヘルケルベロスにやられてしまってる可能性があるじゃないですか」
「……なるほど。それもそうですね」
俺が聞いた声は、女性のものなので執行さん側からみれば必然的にアルカかシーナのどちらかの可能性が高くなる。
もし、その冒険者の声がアルカのものだとしたら、執行さんの立場的には新しく価値のある情報ということになるだろう。
アルカはもう既にヘルケルベロスに襲われて死んでいるかもしれない。そうなれば、執行さんは槍木の消息を探すことに択をしぼれる。
なんだか売るような形になってしまうが、槍木は誰かに命を狙われていると言っていたし、いっそ執行さんにでも見つかった方が安全かもしれない。
「わかりました、それは捜査にとって大切な情報ですからね。色々と確認をとりますので、後ほど改めて電話をかけ直させてもらってもよろしいですかね?」
「はい」
執行さんはしばらく悩んだ後で、そう結論を出した。保留ということらしいが、感触は悪くなさそうだ。
「……とにかく、シキシマさん貴重な情報提供ありがとうございました。それでは失礼します」
簡潔な挨拶と共に電話が切れる無機質な音が響く。
……ふぅ、めちゃくちゃ緊張したぜ。どこか不自然な部分はなかっただろうか。
いや、思い返すと不自然なことばっかり言ってしまったような気もする。
脳内反省会というのは、いつもいつもマイナスなことばかり考えてしまってよくないな。
「どんな感じだった?」
「たぶん、感触は悪くなかった。いや、やっぱり全然ダメかも。とにかく、後で折り返すって言われたよ」
近くで息を潜めて聞いていたアルカが、通話が終わったのを察して首尾をたずねてくる。
「まぁ、気に病んだって仕方ないでしょ。そんなのはなるようにしかならないわ」
俺が自信なさげにうなだれていると、彼女は軽く背中を叩いて励ましてくれる。
そして、マグカップに温かいココアを注いで食卓まで運んできてくれた。
「アルカって結構メンタル強いよな、羨ましいぜ」
「……へぇ、あんたからはそう見えてるんだ?」
アルカはそう言われたのが意外だったのか、少し驚いたような表情で隣に腰かけてくる。
彼女はそのまま、ほんのりと肩が触れるくらいまで身体を側にそっと寄せてきた。
お風呂上がりの甘いシャンプーの香りが鼻まで漂ってくる。
……いや、近い近い!
「別にあたしだって弱いわよ。下手すればあんたよりよっぽどね? こんなのは無理やり前向きなことを言って強がってるだけよ。本当は夜中なんて不安でいっぱいだし、泣きたいくらいだもの」
アルカは力なく笑いながら、俺の肩に頭をあずけてくる。
少しまだ湿気の残る、彼女の長い髪が肌に触れていた。
自分の心臓の鼓動が聞こえるんじゃないかと思うくらい、早く打っているのがわかる。
「でも、そんな弱気なことを言われたって疲れちゃうでしょ? 人間のもろい部分なんてきっと誰も見たくないもの」
「……いや、俺は大丈夫だけど。別に夜中に泣きたいなら、泣いてくれてもいいよ。たださ、いざ目の前で女の子が悲しそうにしていたらどうするのが正解なのかはわからないな」
俺はそんなことを喋りながら、心を静めるようにマグカップのココアを一口すすった。
想像よりもビターな味に少し舌がひりつくのを感じる。
「あはは、どうすればいいかって……。もう、あんたはバカ真面目ね。そんなのに正解なんてあるわけないじゃない」
アルカは呆れたように笑いながら、同じようにしてココアをすすった。
猫舌なのか、その後で何度も息を吹きかけている。
「もしもよ? もしも、夜中にあたしが泣きそうな顔してるのを見つけちゃったら、あんたはこの前みたいに気がつかないフリして抱きしめてくれればいいの。難しいことなんて何もない、それだけでもいいんだから」
「やっぱり、あの時は泣いてたのか」
何となくそんな気はしていたけれど、そうだったらしい。
「だったら何なのよ?」
「いや、どうして泣いてたんだろうなって」
俺の問いがあまりに間が抜けていたからか、アルカは一瞬だけきょとんとした顔をした。
それから、言うか言うまいか悩んだような素振りでアルカはゆっくりと口を開く。
「……嬉しかったのよ。人にあんなに優しくしてもらったのって初めてだったから。気がついたら涙腺が緩んで止まらなくなっちゃった。でも、人に弱さを見せるのって怖いじゃない? だから、見られたくなかったの。馬鹿みたいな話だけど、本当にそれだけよ」
彼女はそれだけ言い切ると、照れくさそうに視線を外してマグカップの水面をジッと見つめていた。
少しだけ気まずいような時間が流れるが、触れた身体からは確かな温もりがまだ伝わっている。
例え、この場から言葉が無くなってしまっても今はそれだけで充分な気がしていた。
……そのまま、しばらくそうしていると、食卓の上に置いていた俺のスマホが振動する。
「ほら、電話鳴ってるわよ」
「ああ、うん」
生返事をしながら、俺は慌ててスマホを持って立ち上がった。
そして落ち着かないまま部屋の中で、右往左往しながら電話をとる。
「もしもし、執行です。今大丈夫ですか?」
「はい」
電話口から執行さんのよく通る低い声を聞いて、ようやく頭の中でスイッチを切り替えることが出来た。
「さっき、向こうの方と連絡が取れまして、どうにかお二人を合わせることが出来そうです。よろしければ、三日後の午後三時頃に新宿まで来ていただくことは出来ますかね」
「三日後の午後三時ですね、わかりました」
「はい。では、その日時でよろしくお願いします」
とても簡潔で事務的なやりとりをしたあと、あっけなく電話が切れる。
どうにか、シーナと話す機会を得ることに成功したようだ。
しかし、執行さんとのやりとりで疲れていたのかいまいち現実感がわかなかった。
「三日後にシーナと話が出来そうだよ」
再びアルカの隣に腰掛けて、それを報告した時にようやく一つ大きな仕事を成し遂げたという感覚が遅れてやってきた。
「気をつけて行ってくるのよ、あんたならきっと大丈夫」
それを受けてアルカはそう言いながら、優しい瞳で微笑みかけてくれる。
そう言われただけで、何だか本当に大丈夫そうな気がしてくるから不思議なものだ。
さて、戦いはいよいよ三日後だな。そろそろこの不思議な事件の全容も掴めてきそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます