第9話 春の庭園と温室
さすがに確認後すぐ、陛下の予定を空けるのは無理があるため、王宮に泊まっていくよう勧められたリトはその言葉に従った。
一度現実に戻ったら、王宮という非現実に尻込みするだろうと思えたからだ。
用意された部屋は分不相応、と言いそうになるくらい高級な調度品が揃えられていた。
恐れ慄くリトに、身の回りの世話をしてくれることになった、猫耳メイドことミリィは「番さま専用の部屋はこれよりもさらに豪華です」とにこやかに笑ったので、黙って口を閉じた。
自分は美しく綺麗なものが好きだと思っていたけれど、人は慣れない煌びやかさに囲まれすぎると駄目なのだな、とリトはしみじみする。
時々キラキラとした輝きを見る程度で十分だと思えた。
「ミリィさんから見て、陛下はどんな人ですか?」
「そうですね。とてもお優しい方です。立場上、優しさだけでは解決できないので、意に反して臣下へきつく当たらねばならない状況も多く、お心の負担が心配ですね」
「……陛下はこれまで孤独、だったでしょうね」
ぽつりと呟いたリトの言葉に、食事の給仕をしていたミリィは一瞬だけ手を止めた。
料理の載った皿がテーブルに並んでいくのをぼんやりと眺めながら、広い王宮で過ごす陛下を想像してみると、リトの脳裏にひどく寂しそうな背中が思い浮かんだ。
本来であれば番である自分が寄り添い、癒やしてあげられたはずなのに、二十年ものあいだ誰にも寄りかかれず、たった一人で立ち続けてきたのだとリトは改めて実感する。
自身が幸せに過ごしているときも、彼はずっと番を待ち続けて、一人きりだったのだ。
これまで平民として生きてきて、いきなり王室に入るのはためらいがある、とベルイには正直に伝えた。
それに対しリトを尊重すると答えをもらったが、最終的な判断は陛下を自身の目で見て、会話をしてからにして欲しいとも言われた。
深く知ったら情が湧くのでその要望はずるいのでは、と思いもしたけれど、人となりを理解して情が湧くほどの人であれば、誠実だという証拠でもある。
神の定めた運命を辿らなければいけない。理不尽さを多少感じるものの、縁を繋げるほどの要素をお互いに持っているとも考えられるだろう。
(これで陛下に会った途端に惹かれちゃうとかだと、自分の気持ちが信じられなくなりそうだけど)
「リトさま、温かいうちにお召し上がりください。料理人たちがお体に配慮して作った品々です」
「ありがとうございます。たくさんお皿があったから食べきれるかなって不安だったけど、どれも少しずつでありがたいです」
広くて豪奢な王宮。自分にかしずく人たち。ここで暮らすならば慣れなくてはいけない。
それだけではなく貴族の作法や教養、覚えるべきものも山ほどある。必死に食らいつけるほど陛下に対し思い入れ深くなれるのか、リトは不安を覚えた。
平民出身の番も少なくないと聞いたけれど、大抵は幼い頃から王宮で過ごし様々なことを覚えるのだ。あまりに遅い始まりで、周囲に迷惑をかけるだけではないのか。
「まだここに残るか決めていないけど。もしこの場所を選んだときは、知らないできない自分を言い訳にしたくないな」
「とても素敵な心意気です」
お世辞ではない心からの笑みをミリィからもらって、リトも柔らかく笑んでからおいしそうな料理にフォークとナイフを向けた。
陛下との時間は翌日の夕刻に設けられた。朝や昼よりもゆっくりと過ごせるだろうと、配慮してくれたに違いない。
前の晩、そろそろ眠ろうかという時間帯に言付けがあり、現在も陛下は執務中だと聞いてリトは心底驚いた。
翌朝の起床時にはすでに食事を済ませて執務をしていると聞けば、誰しも体の心配をしたくなる。ただこれは即位してから変わらぬ日常で、口を挟めない状況になっているとか。
無理にでも休ませたほうがいいと思ったリトだが、気まずげに番のいない寂しさを埋めているようだ、と言われれば黙るしかない。
「番って世界で一番尊いと宰相さまは言っていたけど。ミリィさんやダイトさんもやっぱりそうなんですか?」
予定の時刻が近づき指定場所へ向かう途中、付き添ってくれる二人にリトは視線を送る。好奇心を含んだ水色の瞳を見て、先を歩くダイトと、横に並ぶミリィは自然と顔を見合わせた。
「そうですね。もしもダイトが危機に陥ったら乗り込みます」
「ミリィに危害を加えられそうになったら、即刻潰します」
「んんっ、二人とも似た者夫婦だね」
満面の笑みで拳を握るミリィと涼しい顔で恐ろしい発言をするダイトに、リトは苦笑いを浮かべた。
ミリィには黒色。ダイトにはピンク色。両サイドの髪の毛にそれぞれの色が出ていたので一目でわかったけれど、確認してみると案の定二人は夫婦だった。
お互い何気ない場面で視線を合わせ、会話しているのが見て取れて、番というのは本当に心で繋がっているのだなと感じる。
「どんなに堅物でも番には弱いですよ」
「確かに、ベルイ殿も番にだけは甘い」
「えっ! 宰相さまが甘いとかあんまり想像がつかない」
ベルイに番がいるのはリトも最初から気づいていた。
綺麗な青銀髪に少し不釣り合いな灰色が混じっているので、わりと目につく。
ただ彼は隙のない佇まいに、考えを読ませない鉄壁な微笑み。リトから見ると決して油断してはならない、狡猾な宰相と称するにぴったりな人だ。
そんな人までも番に甘いとは、これまた獣人の神秘である。
「ふふ、でも番があんな感じだとさすがのベルイさまも、ね」
「ミリィさん、すごく気になる言い方をして止めないでください」
「申し訳ありません。そのうち会うと思いますよ」
ものすごく意味深な発言をしたのに微笑みで誤魔化される。とはいえ上司の私生活など勝手に話すべきではないだろうから、気になりはしてもリトはいつかの機会を待とうと諦めた。
「これから向かう場所は随分と離れているんですね」
昨日リトが用意された部屋は王宮の三階にあったが、そこからダイトに先導されかなり歩いているような気がした。
現在は王宮の裏口らしき場所から出て、渡り廊下を進んでいる。
「王宮と陛下の住まう離宮のあいだにある庭園で、王族の許しがないと立ち入れない場所です。〝メイヴィー〟を育てている温室があって、とても素敵な場所なんですよ。わたしのようなメイドの立場では滅多に入れません」
「へぇ、国花を育てている場所なら希少な庭園ですね」
珍しい庭園ではないらしい廊下から見渡せる景色も、寒い季節の最中であるのに非常に美しい。特別な庭園というものがリトは楽しみになってきた。
ずっと森の近くで暮らしていたので、草木の爽やかさを感じるのが好きだった。落ち着いたら王都の近くにある森に行きたい、とさえ思っていたのだ。
「ここから先は許可を得ていないと進めません」
ダイトが足を止めた廊下の行き止まりには、豪奢な彫刻や宝石が施された二枚扉があった。扉の前に立ったダイトは手袋を脱ぎ、手の甲をリトに見せてくれる。
そこには扉に施された彫刻の模様と似た紋様が描かれており、いまは近くにいるためかほのかに発光していた。
「手の甲にある紋様が許可証なんですね。物だと紛失や盗難があるから確実ですね」
「はい、これもたとえ手首を切り落としても使えません。本人の魔力に連動していますので」
「な、なるほど」
(ダイトさんってすごく真面目で冷静沈着な見た目なのに、時折発言が物騒だな)
冷静さが恐ろしさを助長するとベルイでも感じたけれど、どうやらダイトにも当てはまるようだ。
若干引き気味な気持ちで返す笑みがぎこちない気もしたが、ダイトはリトの様子を見ぬふりし、相変わらずの冷静さで扉に向き直った。
「わぁ、すごい」
彼が手のひらをかざした途端に紋様の光が強く空間に広がり、しばらくして緩やかに発光が治まるとダイトの手で扉が開かれる。
「え? この空間自体が温室なの? 暖かい!」
一歩足を踏み入れた瞬間に気づく暖かさは、まるで花が咲き誇る春の陽気。
目の前に広がる光景も、いまの季節には咲かない花々が花弁を拡げていて、別世界に紛れ込んだかのような錯覚がした。
扉の奥の空間は大きな邸宅と、前庭を含むくらいの広さがありそうだ。これだけの広さの温度を管理する方法とは一体どんなものか。
ぐるりと見渡せば足元から続く石畳の先に、天井が半円形の温室が見えた。
「妖精の国に迷い込んだ気分ですね」
「初代国王は非常に魔力豊富なお方だったらしく、番のためにこの庭園を造ったとか。特殊な方法で
「それは、とてもすごいですね」
確かにミリィが言うように、入り口に立っただけでも特別な庭園だとわかる。おそらく貴重な草花もあるはずで、立ち入りを制限するのは当然だろう。
「参りましょう。陛下がお待ちです」
「え? もういらしてるんですか?」
立ち尽くしているあいだに扉を閉じたダイトに先を促された。
陛下ほどの高貴な人物であれば、約束時間よりも早く来るなど予想もしない。それでもリトは早めの行動をしたのに、先を越されているとは思わず呆気にとられた。
「はい、開いた際に陛下の魔力を感じましたので」
「先客もわかる仕組みになっているんですね。……ってそんなのはあとですよね。急ぎましょう! お待たせするなんてとんでもない」
目上の方を待たせていると言うだけでもヒヤヒヤするのに、相手が国王陛下となれば恐れ多すぎて血の気が引く思いだった。
途端に真っ青になったリトの顔を見て、わずかに苦笑したダイトは小さく頷き、再び道を先導してくれる。
温室の入り口にたどり着くと白の騎士団が数名、見張りのように立っていた。
そのうちの一人と目が合い、リトは考えるよりも前に「あっ!」と声を上げてしまい、相手に優しく微笑まれる。
「またお目にかかれて光栄です。先日は大変失礼をいたしました。私は白の騎士団長を務めておりますエリック・ディメイリーと申します」
「ご、ご丁寧にありがとうございます」
路地で声をかけてきた騎士がまさかの騎士団長で、リトは冷や汗が噴き出しそうになった。
あの日のリトは彼を欺く行動をしたのだから、緊張で上手く笑みが浮かべられなくなる。だというのに、エリックはニコニコとした朗らかな笑顔でリトを見ていた。
(三番目の名前がないから、おそらく貴族じゃないんだよな。ロザハールは実力主義とは聞いていたけど、王族に近しい白の騎士団で長だなんて失礼だけど驚いたな。見た目は人族だけど魔力持ちだろうし、獣人の血が濃いのかな)
艶やかな栗色の髪に海の底を思わせる青色の瞳。
見た目も雰囲気も穏やかさを持つエリックは、貴族よりも貴族らしい紳士的な印象があり、出会い方が気まずくなければ、リト的にはもっと素直に笑みを返したいところだ。
「番さま、中で陛下がお待ちですよ。我々はこの先へは入れませんので、どうぞ奥へ」
「えっ! そうなんですか?」
よもや一人きりで対面するとは思っておらず、ミリィとダイトを振り向くと黙って頷き返されてしまった。
「温室は王族の方々が管理しており、他者の立ち入りは固く禁じられています。許されるのは番さまだけですので」
「そう、ですか。粗相をしないように頑張ってきます」
エリックに諭されて納得はしたものの、萎れた花の如く肩を落としたリトに、騎士たちは微笑ましそうに口元を緩める。
「頑張る必要はありませんよ! リトさま、気持ちを軽くして普段と変わらない気持ちで陛下に接してください。まっすぐ進むとテーブルセットがありますからね」
両拳を握って励ましてくれるミリィに、リトは「そんな不敬な」と返してしまったが、彼女に背を押されて扉が開かれた温室へ足を踏み入れた。
ここまで来たらいまさら怖じ気づいても仕方がないため、言われたとおりにリトは正面の道を進んだ。
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