第7話 知らなかった事実
白の騎士団の制服を着たダイトが共にいたので、宿屋に戻ると皆に心配されて、矢継ぎ早に事の子細を聞かれた。
代わりにダイトが落ち着いて説明してくれ、穏便に済んだけれど、すぐさまリトはハンナに浴室へ連れて行かれる。
「りっちゃん、しっかり体を温めなくては駄目よ。いくら服を乾かしてもらったとはいえ、いまの季節は油断して風邪を引く可能性が高いんだから」
「はい。あの、ハンナさん。朝から色々とすみません」
「謝罪はあと。ほら、早くお入りなさい。体は大丈夫? 打ち身とか、痛いところは?」
「背中から落ちはしたんですけど、いまのところ平気です。もしかしたら体が温まったあとに痛みが出るかもですが」
ハンナが心配するように水だからと言っても侮れない。水面に打ち付けられ、怪我をする人が少なくないのはリトもよく知っていた。
いまは体の芯が冷えて感覚が鈍っているが、血行が良くなってから気づく場合もあり得る。
「ほんと、りっちゃんは細いわねぇ。ほら背中を見せて……」
シャツを脱ぐと、ハンナはいつもの如くリトの華奢さにため息をつき、背中へ回った――が、途端に絶叫のような悲鳴を上げる。
声の大きさにビクリとリトが肩を跳ね上げても、ハンナは言葉にならない声を漏らし、混乱している様子だ。
痛みは感じていなかったのに、驚くほどの怪我でもしたのかと後ろを振り向けば、蒼白な顔であんぐりと口を開けたまま固まっている。
視線が合うと再び叫びそうになったのか、ハンナは両手で自分の口を押さえた。
「ハンナさん?」
「り、り、りっちゃん。あ、なた……」
「女将さーん、どうしたの? りっちゃんになにかあった?」
「なっ、なんでもないわ! 心配ないから仕事へ戻りなさい!」
脱衣所の外にも悲鳴が響いたのか、扉越しに心配げな声をかけられるも、ハンナは間髪をいれず強く言葉を返した。
あまりの勢いに、扉越しでも戸惑いを感じるほどだったが、反論する理由もなかったらしく「はーい」と軽く返事をして去っていった。
徐々に足音が遠ざかり、沈黙が下りたところで、リトは寒さに身震いをしてくしゃみをする。
そこですぐさま我に返ったハンナは、慌てた様子で浴室の扉を開き、リトの背中を押した。
「りっちゃん、とりあえずお風呂に入っておいで。ゆっくり入るんだよ。そのあとでおばさんと話をしよう」
「は、はい。わかりました」
どこか鬼気迫るような表情で言われ、訳もわからぬままリトは浴室に取り残された。
旅客用ではなく家族風呂ではあるけれど、常に温水が湧いていて、室内はほかほかとした湯気で暖かい。
先ほどの様子は気になるものの、まずは冷えた体を温めるのが先決だ。
なにも言わずに風呂に入るよう勧めたのであれば、背中に傷ができているわけでもないのだろう。石鹸で体を洗っても沁みる部分もないので、リトは心ゆくまで風呂を堪能することにした。
「それにしても、まさかロヴェに助けられるなんて驚きだったな」
ババルに聞いた話では突然駆け込んできたロヴェは、説明する間もなく運河に飛び込んだのだという。
なぜリトが落ちたと気づいたのかはわからないが、ためらいもなく助けてくれた事実がただ嬉しくてたまらない。
「白の騎士団はヘリューンから来た貴賓を迎えに来たんだっけ? 組合所の人は把握してなかったみたいだけど、予定より偉い人が来たとか? ……お姫さま、とか?」
ババルが言うにはヘリューン王族の悪評はまったく聞かないらしく、ロザハールとも長く付き合いがあり、きっと国には憂いのない慶事なのだろう。
「僕がモヤモヤしたって仕方がないのに、獣人の王様が幸せになれないのは悲しくなっちゃうなぁ」
どうしてここまで獣人という存在に惹かれるのか、我ながらリトは不思議でならない。
確かに彼らは魅力的な人たちばかりで、タットが言うように相性によるものが大きいのかもしれないけれど、肩入れ具合がすごいと笑われるくらいだった。
(王様はどんな人かな? 祝祭でお姿が見られたりするのかな?)
落ち着かない気持ちになりながら、リトは湯にぶくぶくと沈み、冷えた体を優しく解してくれる温かな感覚に浸った。心地良さに目を閉じれば様々な緊張が消える。
リトは冷たい水はどうしても受け付けないが、水中はわりと得意というおかしな体質だった。今日も運河に落ちて溺れるに至らなかったのはそのおかげだ。
冷水への苦手意識がなければ、素潜りは誰にも負けない自信がある。
(スナドリネコのようだったって言われたっけ。水が苦手になったのはいつだったかな?)
いつも思い出そうとすると頭の中にもやがかかる感じがする。いまの思い出したい気持ちとは違い、深層では思い出したくないと思っているのではないだろうか。
ゆえにリトはあまり考えないようにしているが、時折無性に気になる。
(いま考える内容でもないか)
思考を振り切る勢いで浴槽から立ち上がり、リトは気持ちを切り替えるため、次の疑問に立ち向かうことにした。
先ほどのハンナの様子は少しどころではなく、動揺が凄まじかったのでそちらの理由が知りたい。深刻そうに見えたので、どのような話をするのか不安ではあるけれど。
「あれ? ハンナさんは?」
「りっちゃん、お風呂から上がったのね。女将さんが事務室に来てって言ってたよ」
風呂から上がり、すぐに普段ハンナがいる食堂へ顔を出したが予想が外れて、意気込んだ気持ちが躓いてしまった。といっても行き先がわかればなんの問題もない。
再び気合いを入れてリトは行き先の変更をする。
「そういえば帳簿付けの仕方、教えてもらうの途中だったな」
事務室は書類作業をしたり来客を対応したりする部屋だ。仕事が多いのならば手伝えないだろうかと考えつつ、リトは事務室の扉をノックした。
「ハンナさん、リトです」
「入っておいで」
「失礼します。……あれ?」
何気ない気持ちで扉を開いて、その場にいた面々にリトは目を丸くする。
ハンナがいるのはわかっていた。そこに亭主である料理長のシグルがいるのは許容範囲だが、タットがいるのは予想外すぎて動きが固まってしまった。
まだ昼時には早い時間帯で、本来であれば彼は仕事の真っ最中だろう。となるとハンナがわざわざ呼び寄せたという結論になる。
即座にリトの頭に浮かぶのはなぜという言葉だ。
「えっと、ハンナさん。一体なんのお話ですか?」
「とりあえず座りなさい」
「はい」
応接用のソファで空いているのは、一人掛けのものとタットの隣。なんとなく不安が募って、リトはタットの横に腰を下ろした。
窺うように彼の横顔を見ると強ばっているように見え、そんな表情を見ればさらに不安が大きくなってくる。
「りっちゃんは、ご両親に関してはなにも知らないんだったわね」
「え? あ、はい。僕だけじゃなく、村の人も両親のことは知らないと言ってました」
リトはずっと祖母のパルラと二人暮らしで、両親の存在を知らない。国への登録も怠っていたので、きっと生まれてすぐにパルラのところへ預けられたのだろう。
両親について訊ねても、パルラは不幸が重なって育てられなくなったとしか言わなかった。
その答えからリトは両親は亡くなっていると解釈していたのだが、違ったのだろうかと疑問が浮かぶ。
「だとするとおばあさん、パルラさんしか知らなかったんでしょうね」
「おそらく、そうじゃないかと思いますが。おばあちゃんは誰に聞かれても、話したがらなかったから、僕もよくわからないです」
「……そう。だとすれば村ぐるみで、というわけじゃなさそうね」
「村ぐるみ?」
一人だけ理解不能なリトを除き、全員が大きなため息をつき、タットに至っては両手で顔を覆って誰よりも長く息を吐き出した。
まるでなにかに安堵したみたいに、肩の力を抜いたタットの反応は、まったく意味がわからず困惑が深まる。
「あの、話が全然見えないんですが、皆さんどうしたんですか?」
「そうよね、結論を話したほうがいいわね。りっちゃん、心を落ち着けて聞いてちょうだい」
「わ、わかりました」
「貴方の左肩の後ろに番紋があるの」
「へ? 番、紋?」
前置きを聞いて心構えしたつもりが、向かい側でひどく真面目な顔をして放ったハンナの言葉で、リトの思考が一時停止する。
わかりきっているのに、番紋という言葉の意味を理解しようと頭の中で問答を繰り返し、半ば混乱状態になりかけたところで、タットに肩を叩かれ現実に返った。
「動揺する気持ちはわかるが、深呼吸して落ち着け」
「タット、なにかの間違いとかじゃ」
「間違いもなにも女将さんが直接、番紋を見たんだから」
「そう、だよね。というか、この歳まで誰も気づかなかったほうが驚き、だよね」
人前で裸になるなど滅多にないけれど、乳児の頃から世話をしていたパルラは確実に知っていただろう。
頑なに事実を隠していたとしたら理由があったはずで、思い返せばパルラはリトが外で薄着になるのを嫌っていた。
日に焼けない体質なので、肌に炎症ができるからと言ってはいたものの、単に番紋を隠すためだったのかもしれないといまは思える。
理由は一部の人族にある獣人嫌いだから、なども考えつく。
「今朝、リトに金色の目が気になるって言われてまさかと思ったけど。本当にまさかだった」
「そうだ、タット。金色の瞳ってなにか特別なの?」
「無知って恐ろしいな。……金色の目を持つ獣人は、王族だけだ。はあ、リトに必要以上の好意を持ってはいけない気がしたのは、このせいだったんだな」
「王族? え? えぇっ!」
(どういうこと? ロヴェは王族なの? なのになんで白の騎士団に追われてたの?)
思わず叫ぶ勢いで声を上げ、リトは呆然としてしまった。
認知している出来事と事実が上手く噛み合わず、なおのこと混乱が極まるが、ふっと頭に浮かんだものを確かめずにはいられなくなる。
「番紋があるのなら、僕は王族の方の番って意味だよね。いま番を待っているのって」
「陛下だけだな」
「ほんとに? いま行方が知れない王族がいるとか」
「うーん、そんな話は聞いた覚えがないな。女将さんは?」
「わたしも知らないわね。王族に後ろ暗い話が上がるなんてこれまでないから、公表されていない王族なんていないだろうし」
(じゃあ、ロヴェの番とかいう、もしもはないのか)
出会ってからずっと忘れられない存在ならば、もしかしたらがあり得るのではという期待が砕かれ、リトはあからさまに肩を落としてうな垂れた。
獣人の王を尊敬する気持ちはあっても、まだ見ぬ人とロヴェを並べれば自然と答えが出る。
「わかったからには名乗り出ないと、駄目ですよね」
「気づいてしまったからには無視はできないわ。王宮に届け出て、そのあとにりっちゃんの気持ちを正直に告げて対応していただくしかない」
あんなにも陛下に番が現れていない状況を不憫に感じていたのに、自身が番であると知った途端、戸惑い避けたい気持ちが湧いてくる。
身勝手な感情だけれど、どうせなら心が惹かれる相手と番いたいという欲が出た。
定められた縁ならば、ロヴェと出会う前に番紋の存在に気づきたかったと、リトは諦めに近いため息をついた。
「リト、王族の方々は横暴じゃない。ちゃんと向き合って自分の気持ちを伝えれば、無理強いは絶対になさらない」
「……あ、そうですよね。避けても解決しないなら向き合わないと」
いままで黙って話を聞いていたシグルに、まっすぐな言葉を向けられ、逃げよう避けようとしていた考えを改めさせられる。
向こうも見つからないまま諦めの感情を抱き続けるのと、存在を認識して話し合いで決別するのは大きく違う。
第一にリトは国王陛下の噂ではない実際の人となりを知らない。だと言うのに向き合いもせずに答えを出すのは早計だ。
気がかりはあったとしても、お互いに納得するまで話し合うべきだろう。
「王宮に連絡をお願いしていいですか」
「もちろんよ。すぐに書簡を送るから、きっと数日中に返事が来るはず」
「わかりました。心の準備をしておきます」
まさかの事態に正直、夢でも見ているのかと疑いを持つが、なんとなく獣人が好ましく思えていた感情にリトは納得ができた。
己の意思が、番という関係性で左右されるのは複雑ではあるものの、彼らと接し抱いた思いは間違いなく自身の感情だと確信できる。
それよりも数日中に、獣人の王様に拝謁する可能性を考えれば、緊張と興奮がない交ぜになった。
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