⑤ シーヤとダジュボイ





 ・・・ひぇんふ。」


 くーん、となる切なさと舌の痛みでラグモの男は目を覚ます。


「ちっ、やっと起きたかハルト男。ったくよぉ。・・・あんさんにはしゃべってもらわにゃならねーから、つって舌の縫合までしてやったんだかんな。」


 そこは幼い声がこだまするだけの小さな部屋だった。

 こもったような湿気たニオイは地下を思わせるものの、風の抜け方というのか音の抜け方というのか、それが地上の建物内部であることを報せている。


「・・・ふぁれふぁ・・っっ!」


 満足に働かない舌を夢のとおり動かそうとするだけで激痛が走る。


「ったくしゃべんなっつの。大丈夫だ、なんもしやしねーよ。

 おいらは医法師で拷問吏じゃねーっつんだ。」


 ベゼルとどっこいの口調に、しかし嘘は見られない。


「・・・ふぁりふぁふぉう・・・」


 どうやら部屋にはその医法師一人しかいないようだ。

 確かに、今ここで拷問を続けてもジラウへ続く唯一の手札であるベゼルを失う危険が増すだけだ。


「ふん、礼が言えんのか。まーいい。字が書けないんじゃしゃべるしかねーべし、舌を噛み切る歯も引き抜くっつわけにはいかねーからな。反抗しねー方が穏便にやり過ごせるってモンだっぺ。」


 その医法師が何をどこまで知っているのか、また何を誰に託されているのかは不明だったもが、そんなことより今は、生きていることを感じていたかった。

 テンプに二度と会えない世界から追い出されたことに、感謝していたかった。


「・・・ふふぁふぁい。」


 痛かったが、短い言葉でなら言いたかった。

 その子どものような声の主は悪人ではないようだし。


「ふーん。抵抗してばっかのハルトっつーからムカつくヤツかと思ってたんだけどなー。


 ・・・ふー。ったく、・・・誰だか知らねーけど仲間に感謝しろよ。

 小遣い稼ぎのためっつったってバレたらエライ目見んのはおいらなんだかんな。」


 ちっ、教皇もケチぃ給金しかよこさねーから悪ぃんだよ、とぶつぶつ言いながらその医法師はポケットから数匹の蟲が入った小瓶をベゼルに握らせる。


「一握の雪解けぶんだけ出ててやる。その間に聞き取んだぞ。ほんで返せ。じゃーな。」


 教皇に雇われた医法団の一員なのであろうその医法師はそれだけ残すとすたこら出て行ってしまった。さすがに医法師の一人一人までには教皇といえども監視を行き渡らせることはできないらしい。

 それを確認すると、ベゼルはかぽん、とフタを開けて口笛で再生させる。


 ~~  ・・・カハワカラナ・キュウシュ・・マテ・・  ~~


 ヘクト蟲と違って伝え蟲では、まして数匹ではこの程度しか再生できなかった。


「・・・く。」


 それでも内容は大体把握できた。


「・・・くくく。」


 なによりその字打ちの声が、その懐かしい声が、すべての確証だった。


「ふぇっふぇっふぇっふぇっ!・・・ふぉぐっ・・・くくくく。」


 さすが「知の根」と呼ばれるウセミンの下で働くボロウだ。

 こんな所にまでその触手を伸ばせるようになっていたらしい。


「・・・ふぉふぉう、ふぁふぃふぁふぃ・・・ふふぃふぁっふぁか。」


 その名前を口ずさみたくて、痛みも忘れて声を漏らす。

 仲の良かったあの二人が無事であること、よくわからないながらも「救出を待て」とこの場所を特定して伝えてきたこと、それらが胸をただ、いっぱいにする。


 がちょん。


「ほれ、蟲よこせ。・・・ふん。いい知らせだったらしーな。」


 目の覆いをつけていないベゼルの顔はあまり見られたものではなかったが、それでも頬が、口が、その全部を表していたようだ。


「・・・ふぁりふぁふぉう・・・ふぁりふぁふぉう・・・・」


 その舌の痛みさえ噛みしめていたいほど溢れる気持ちを言葉にする。

 怪我も完治してない中で生き抜かねばならなかったものの、そんなことが、あまりに簡単に思えて仕方ない。

 おもしろくて、うれしくて、仕方ない。


「ったくさっさと寝ろ。早く治したいんならな。」


 食事はなかった。それでも治る気がしてしまう。

 治せる自信がとめどないのだ。


「ふぁっふぇふふぇ。ふぁんふぁ、ふぁふぁふぇは?」


 ちっ、めんどくせーな、と医法師は頭をボリボリ掻き、尋ねられた名前を素直に答える。


「シーヤだ。わかったら寝ろ、ぜぜる? だっけか?」


 ベゼルのことは聞いていたのだろう。ただ、あまり関心はないようだ。


「水はここに置いとくかんな。じゃな、また来る。」


 コト、と置かれた陶杯に目もくれず、ベゼルは痛む体をベッドで曲げて頭を下げた。

 ぶっきらぼうなシーヤはそれを一瞥しただけで部屋を去ったが、その足音は重くなかった。そんなことでも、ベゼルはうれしかった。


「・・・ふぇんふ・・・ふぁっふぇろふぉ。」


 かすかに火燈りを感じる壁へ向かい、ベゼルはそう呟く。

 生きて必ず会いにいく、と決意する。





 ぱからん、ぱからん、ぱからん。


「はぁーいロロンちゃーん、ちょーっと気になることがあるんだけどねぇーっ、こちらのパシェちゃんと交替ってしなーいーっ?」


 シクロロン・ハクとエレゼ・パシェの二人乗りでも粘り強さのあるイカ馬タコ馬が並走すること日巡り二つ、ついに大陸中央にある最大の湖・ギコム湖が見えるところまで来ていたものの、残念ながらメトマの送った援護の騎兵班に追いつくことはできないでいた。


「そんな暇はありませんっ! 急がなければっ、戦が・・・戦が始まってしまいますっ!」


 ぎゅ、と力の入るシクロロンの腕を腹に感じるハクは落ち着くよう、そっとその手に手を重ねる。


「シクロロンさん、・・・まぁいざって時はボク――――」

「いーからうしろみろってのーっ! なんかヘンなうまがおっかけてきてるんだっ!」


 なぜか肩車のパシェがハクを遮りエレゼの肩から声を張り上げる。


「え?」


 もうすっかりハクのかっこいいタイムは打ち捨てられていたがそれには全く気を留めず振り返ると、教会に残してきた三頭目のウニ馬が猛然とこちらへ駆けてくるのが見えた。

 出立の時間差を埋めて余りあるのはたぶん、乗っている者が一人きりだからだろう。


「シクロロンさん? なんか見えましたかねぇ?」


 カッコつけるのやーめた、っぽくいつものけだるいハクがぼそりと尋ねる。


「・・・え、脱走っ?」


 ぱからん、ぱからん。


「・・・オマエ自分の組織の監視を見くびりすぎだぞ。あと馬は止めるな。このまま話す。」


 追いついてきたウニ馬を駆らせる細長いユクジモの老人は二頭の間に割り込み、エレゼ側、シクロロン側に声を飛ばす。


「あらぁ、キミだったんだねぇーダジュボイくーん。会うつもりはあったけどまたややこしいヒトが増えちゃってまあ。」


 様々を知る者だからだろうか、こんがらがってしまう相関図がエレゼの頭を困らせた。


「ややこしいのはオマエだろーがエレゼっ! どれくらいぶりだと思ってんだっ! 地下牢で見たときゃ若すぎだろと思って戸惑ったくらいだぞっ!


 まったく、ヘクト蟲で今のオマエがナンパな錘絃弾きだと確認が取れた時には呆れたくらいだっはっはっはっは。」


 単体で大量の音源を記憶できるヘクト蟲だと見慣れない希少性から門番たちも見逃してしまうようだ。

 ただ無論、いままでの通信で失ったヘクト蟲は指を折り返すほどあり、それだけの回数、情報の授受に失敗したことになる。


「よくアナタ一人をここへ向かわせましたねぇ。メトマ老もご乱心かな、くっくっく。」


 愚痴と文句を言っている間は超ご機嫌のハク。

 背中に掴まるシクロロンにはくすんで濁った紫色のオーラがよく見えたそうな。


「ハナシが大きく動き出したみたいだな。だからシクボが事態収拾の調停役として解放するようメトマに言って聞かせたんだろ。

 今から言いたかないがシクロロン、これでコトが治まっても『ファウナ』がまとまると思うな。オマエの力説に心躍ってる連中の目が醒めた時こそ本当の正念場になると思え。ま、俺は聞いてないからわからんがな。」


 そうシクボに言伝を頼まれたのだろう。

 走り出したときは燃えていたものも、時の諫めに従い勢いを削がれていけば組織であっても途端に迷子になる。

 それぞれ個人が独立した信条を携えていなければ不安や焦りに呑まれるだけなのだ。


「よくわかんないけどだったらアンタがてつだえばいーだろーがあーっ! こまってるヒトはたすけろっていわれなかったのかーっ!」


 事態をほぼ何も把握していないパシェの目にはダジュボイがシクロロンに意地悪を言っているようにしか見えなかった。

 とはいえ、それはそれで一つの確かな視座でもある。


「オマエがパシェだよな・・・。はは、こんがらがってるクモの巣全部をとっぱらったならやってやるよ。

 ・・・もう、自由の拘束に罰を見出すのはやめにしたんだ。やってやるさ。」


 よく分からなかったが、よし、ということにしてやるパシェ。

 肩というより首に掴まっているから彼女がしゃべるたんびにエレゼの首は絞めつける。


「んぐ・・・おや、やっとシオンが見えてきたねぇ・・・あれー、燃えてるねぇ。」


 陽はまだ高かったが生木の放つ黒煙が事態を教えていた。


「ちぃっ。まさか争ってる所に割って入るなんてコト、しませんよねぇ?」


 できればひと段落した後でのんびり出て行きたいハクに太腿つねりで答えが返ってくる。


「私は一人で向かうつもりです。エレゼさんとパシェちゃんは近付き過ぎないところで待っていてください。


 約束したのよハク。平和なシオンでパシェちゃんを返すって。

 ・・・私は、『ファウナ』の総長なんだもの。」


 風に消え入りそうなそんな言葉も、炎のように輝きたぎればもれなく心にきちんと届く。


「はぁー。それを護るのがボクの仕事なんでねぇ、無茶はしないでくださいよ。」


 戦の真っ只中で総長を護る、といった場面に出くわしたことのないハクにもプライドはあった。当時護衛班の班長でなかったとはいえ、初代総長の暗殺を防げなかったことには今でも歯噛みするほど悔しさを覚えたものだ。


「当然オレもいく。真価はそこでわかるはずだ。・・・急ぐぞっ!」


 いつのまにかリーダー風を吹かせちゃうダジュボイに続き、シクロロン・ハク、それからエレゼ・パシェが浮島を目指して走り出す。

 島の入り口からしか上がっていない煙はまだ序盤であることを報せていたが、犠牲を抑えるには乗り込むより今はしようがないのだ。


 死んでしまう恐怖より、誰かが死んでしまう不安の方がシクロロンにはずっと怖かったから。


 はやる心はやがて、風のスピードに馬を駆らせた。

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