ものがたり 4
山井
第四章 決戦のシオン ① 解古学と忘れな村
―――とはつまり、無辺劫茫世界(劫茫界)のことであり、我々の有するところのク=アの理論が時に破綻する天空を遥かに越えた先にある時空間を意味している。
・・・君はよくこんな言葉が理解できるね。」
ふうー、と息を漏らして感心するイウキ族の男は喉を潤すためひとくち水をすする。
「けっけっけ、目が利かねーぶん頭が回るんだよ。だが毎日毎日悪ぃーなボロウ。文字をこんだけすらすら読めるヤツぁオマエしかいねーからよ。
それに俺たちゃ学がねーぶん何か知っとかなきゃマズいだろ。いやまぁタチバミはオマエ器用だから細工仕事もできるけどよ、いつまでも助けてもらうわけにゃいかねーのさ。
特に俺は、「狩り」もできねーからな。」
浅黒い肌に黒髪を揺らしてラグモの男は皮肉に笑う。
長年愛用している目を覆う眼布も留め具も、もうすっかりくたびれていた。
「だけじゃないだろ、ベゼル。いいんじゃないか恥ずかしがらなくても。「解古学の学者になりたい」って夢は誰にも笑われたりしないさ。
まぁもっとも、君の場合は学問そのものよりあのヒトの下で働きたいっていうのが本音だろうけどね。」
緑がかった金色の長い髪を払いのけてボロウはからかう。
「ハっ、・・・ハンっだっ! 別にそんなんじゃねーよ。そりゃあのヒトにゃ憧れ――――」
「あ、ジラウさんだ。」
「え? どこ? どこ?・・・・・・お、てんめーっ! さっさと続きを読めよっ、たく。」
もうほんとに慌てちゃって手から腰からフワフワするベゼル。
口は悪いが、中身はわりとかわいらしい所があるようだ。
「ふふ、まったく単純だなあ。でも近々来るって聞いてたけどな。帰ってきたら赤目に聞いて・・・あ、帰ってきた。」
匂いや音、それから常人にはよくわからない感覚のおかげでほとんど光を知らない部族のベゼルでも生活することはできた。とはいえ、さすがに遠くのものが霧に遮られる場所ではきちんと知覚できないようだ。
「お、そうか・・・ってこたー新入りも一緒か?」
そうかそうか、ともう落ち着いてもいい歳のベゼルはボロウについて赤目たちを迎える。
手の空いた者が赤目たちを出迎えるのはこの村の慣行であり、新しくこの村に住む者への歓迎でもあったから。
「ようベゼル、ボロウ。みんな無事っぽいな。ん? どうやら新人は一人みたいだが・・・」
こちらへ手を振りニコニコとやってくる赤目を中心に、コリノ以下見慣れた村の者たちに守られるようにして一人の女が歩いている。
その顔は長い黒髪に隠れていてボロウたちにもよく見えなかった。
「お休みごくろーさん。ん、どした? なぁタチバミ。な、どんなヤツだ? へっへっへ、年下だったらオマエらみてーに子分にしてやんさ。」
そういう子どもっぽいところが憎めないのだろう、ボロウも、今回の「狩り」を休んだタチバミも霧の中から現れた女に焦点を合わせて、そして、顔をしかめた。
「なーボロウ。どんなだ? デカいか? 俺よりデカいのはオマエらだけでたくさんだからな。けっけっけっけ。」
そうして声や気配の届くところまで歩いてくると、コリノたちは疲れを癒そうと思い思いに家や風呂へと向かっていった。
他方、肝心の新人はといえば、やはり初めて来たからか緊張のニオイを撒き散らしているのが伺える。
「やあ、ただいま、みんな。」
いつも元気くんでおなじみの赤目が手を上げるも、タチバミもボロウもその他の迎え出た者も気のない声で返すだけだった。
この雰囲気をかつて一度感じたことのあるベゼルは、それを振り払おうと一人元気に手を振り声を掛ける。
「おっ、おかえり赤目っ! よ、新人くん。俺ぁベゼルってんだ。オマエ、名前なんてんだ?」
それはまるでコリノを初めて迎え入れた時のような、冷たい温度に縁取られた歓迎だったから。
「・・・テンプ。」
かろうじて聞こえる小さな声で、でも、やさしく涼やかな声でテンプは囁くようにそう応える。
「なんだ暗ぇーなー、腹から声出してみ、な?
あ、ところでよ赤目、先生が来るとか来ねーとかボロウが言ってたんだが?」
新人は気になったもののそれよりももっと気になるヒトがいた。
それは光を知る者たちの世界へ出て行って、そして身も心も踏みにじられたところで見つけた、出会えた光だった。
自分の危険も顧みず蹴り飛ばされていた中に割り込んで助けてくれたこともうれしかったが、その男は誇りをくれたのだ。反抗して飛び出してきたベゼルを、「たった一人で出てきて偉いね」と褒めてくれた。
それは他人から見れば他愛ない一言だったろう。
しかしベゼルには希望に見えた言葉だった。うまく涙は流せなかったものの、そのあたたかな言葉に、光に、ベゼルは手を頭と胸に膝を地に付ける忠誠の仕草で応えた。
それからその男はベゼルを連れ、この村で休めるよう取り計らってくれたのだ。
「うーん、もうすぐ来るとは蟲で聞いたけどなあ。それよりテンプさんをよろしくねベゼル、きみは若いけど古参の一人なんだから頼むよ? あ、タチバミ、ボロウ、ちょっと来て。」
そう言って赤目が二人を連れると、村の者たちはじゃあ戻るか、とそれぞれの作業場へと歩いていく。
「なんでぇテキトーな野郎だな。まあエレゼがいねーんじゃしゃーねーか。ほらテンプ、こっち来い。泊まる場所は赤目の屋敷になるだろーけど今は俺に付き合え。」
こくん、と頷くテンプ。
それを知って知らずかベゼルはてけてけと来た道を辿って住んでいる小屋へ行ってしまった。
きょろきょろと辺りを見回すも、あとは誰も構ってくれないと悟ったテンプはそのまま後をついてこざっぱりした小屋の中へ入っていく。
「ま、座りなテンプ。とりあえずココのルールみたいなモンを話してやっから。」
そう言って一つだけの椅子に座ってしまったベゼルに、どうしていいかわからないテンプは何も言えないまま立ちんぼうでおろおろしてしまう。
「面倒くさいやっちゃな、そこのベッドでいいから、な。」
あ、ごめんなさい、と呟くテンプは体重を預けても沈みもしないベッドにちょこねんと座る。
「いーか、まずココへ来たヤツらにその過去を訊くな。
ある程度は赤目から聞いてるかもしれないが、オマエみたいなヤツらでこの村はできてんだ。わかったか?
あと絶対ってんじゃないが、赤目の言うことは聞け。あいつが長だからな。誰か一人でも赤目の指示を無視すると統制が効かなくなる。
とはいえ秩序ってのは守るモンであって強いるモンじゃない、わかるな? 刃向かうとみんなに影響するから心得ておけよ。
だがまー大丈夫だ、あいつぁほとんど命令するこたねーから。けっけっけっけ。
・・・あともいっこ。わかったら返事しろっ!」
独り言みたいで不安になっちゃったベゼルがちょっと怒る。
「はいっ。」
おっかねぇ、と思い、とっさにちゃんと返事をするテンプ。
膝の上でモジモジしてしまう赤く腫れた手も、できれば布か何かで覆いたかった。
「よし。えっと、じゃあオマエ何ができる? 編みモンとか織りモンとかあるだろ。」
それしか具体例の浮かばない不幸なベゼル。
ちなみにエレゼならばもっとちゃんと細やかに指導する。村にいた時はしっかりとしたヒトだったのだ。
「・・・ごめんなさい。」
腕を組んでどりゃどりゃと大声で話すベゼルの前で謝ると、もはや説教されているようにしか見えなくなる。
「なんだそりゃ。じゃーえっと・・・あ、文字、読めるか?」
確か机のこの辺りにボロウが置いたな、と手で探る本が逃げる。
「・・・読めます。」
その本を手に取り、読める文字かどうかを確かめたテンプは静かに答えた。
「よしきたっ。じゃあ読めっ! 劫茫界のくだりんトコからだっ!」
ものすごく偉そうにふんぞり返る。
それでも、彼は赤く腫れ上がり肉のただれたその顔に冷たい目を向けることはなかった。
目が見えないからなのだろうが、それが、テンプにはうれしかった。
「・・・地上において不可能と思われる上記の実験場とはつまり無辺劫茫世界(劫茫界)の・・・」
「そこは読んだっ! んで声が小さいっ!」
はいっ、とまたびっくりして声を張るテンプ。
「神代以前の遥かな時代に目を戻そうそこでは当然のように・・・」
「句読点はちゃんとやれっ! んで抑揚をつけろっ! 眠くなるっ!」
はいっ、と慣れずにびっくりするテンプ。
そんなふうにして二人は宵を迎え、次の日もその次の日も本を挟んで過ごしていった。
「ようベゼル、テンプもな。そーいやさっきコリノが外に出た時よ、ジラウさんらしいヒトが連れ立って丘を降りてくるの見たってさ。へっへっへ、待ち人来たるだなっ!」
赤目の提案で顔と手に清潔な布を巻くことにしたテンプに少しは慣れたのだろう、タチバミに限らず村の者からは挨拶の言葉が投げかけられるようになっていた。ベゼルの言ったとおり、自分のような悲しみを負ってきた者だからこその適応の早さなのだろう。
「ぬわにぃっ!・・・おおう、取り乱しちまったな。
あ。それよりよタチバミ、次はオマエらが行くのか・・・
それは主に下奴婢楼と呼ばれるヒトをヒトとも扱わない館で儲けている連中を皆殺しにし、助かる見込みのある者を救出する、というこの村の仕事の一つのことだった。
そして金品も同時に奪ってくるからこそ、こんな貧しい村でもやっていくことができるのだ。
詳しいことは赤目も話さないのでわからないが、下奴婢楼の取り締まりは警邏隊では抱き込まれるのがオチだと統府議閣も理解しているからだろう、赤目たちが暴れても「どこかの盗賊がやらかした」などと濁した捜査で体面だけは保つ腹積もりのようだ。
相手が富豪や高官を客に持つ下奴婢楼となるとご立派な正義も上手に揮えないのが現実だった。
「ああ。・・・でも気にすんなよベゼル。オレたちは正義でやってんだ。それにおまえが一度も匪裁伐に加わらなかったことをグチるヤツなんていないさ。
ま、モクさんにはちと言えない話だがな。じゃーな、お二人さん。オレも支度があっから。」
この手で悪魔たちを八つ裂きにできないことが苦しいのではなく、自分だけが手を汚していないということに、ベゼルはいつも胸を痛めていた。
「ジラウさん、って?」
日がな一日一緒にいるようになってからはテンプもベゼルに慣れてくれたようだ。
声の抑揚は今ひとつだが、ジラウがたまに持ち込んでくれる資料や文献も専門辞書を片手に丁寧な説明をしてのけられるようになっていた。表意文字にしろ表音文字にしろ文字を知らないベゼルにとっては苦難でしかない勉強も、そうした気遣いが添えられればやる気が底をつくことはない。
「俺を救ってくれたヒトだ。今オマエが読んでる解古学の学者で、俺の憧れなんだ。
まだまだヒヨっこだけどな、俺はあのヒトの力になりたくってよ。今はとりあえず眼が利かなくてもできる頭の鍛錬をしてんだ。
もし俺があのヒトの助手になったらオマエを俺の助手にしてやるよ。けけけ、さ、続き頼むぜぃ。」
いつもより穏やかに、少し照れたように、でも誇らしげにニヤつくベゼルにそう言われると、テンプの中にぽわりと小さな火が燈る。
本当はジラウが来るから気が気でなかったベゼルも、先輩として、未来の上司としてそこはたしなめテンプの音読に耳を傾けた。
あの時。
――大袈裟だよ――
そうジラウは笑って本気で取り合ってはくれなかったが、心に誓った忠誠は思いつきや勢いでは決してなかった。
それを示すためにも、目で補えないものを頭で補っておきたかった。
そして。
「や、久しぶりだねベゼル。」
赤目や匪裁伐メンバーは屋敷で会議中のため、ベゼルとテンプが二人の来訪者を出迎える。彼らの場合はいわゆる顔パスだったものの、そのぶん出迎えも気が向いた者だけが対応していた。
「はいっ。先生もお元気そうで。それにモクさんまで一緒とは。
いま赤目たちは取り込んでるんでウチに来てください。」
やればできる敬語はどうやらジラウたちのために取っておいたのだろう、そう思うと乱暴な言葉遣いのベゼルにもある敬慕表現がすこし、恰好よく見えてくる。
「そこでたまたま会っての。そっちのコリモ族かの、お嬢さんは新入りということかの?」
神徒にのみ許された簡素だが威厳のある法衣と聖帽を身につけた旅のユクジモ人は、テンプに目を遣りそう尋ねる。
「・・・はい。」
どんなにベゼルが敬重する相手でも、見慣れない者にはうまく言葉が返せなかった。
「すいません、こいつテンプってんですけど、あんましゃべらないんです。俺には結構なんだかんだ言うんですけどね。けけ。さ、どうぞ、相変わらず狭いですが。」
それがわかるベゼルは、やや不躾だったテンプの態度を軽いユーモアに流して二人を部屋へと導く。
「あらら。・・・ベゼル、きみはそこのテンプさんに感謝の言葉はもう伝えたかな?
こんなに片付いたきみの部屋なんてはじめの一度きりじゃなかったかな。」
確かにボロウはベゼルに付き合って本を読んでくれたが部屋の掃除まではしてくれなかった。
もちろんベゼル本人は掃除などしない性分なので、窓を開けても閉めても埃っぽい部屋の空気は気軽に替わってくれないのだ。
「あ、いや。・・・あ、じゃ、テンプ、ありがと。さ、どうぞ。」
ジラウの前ではいつでも子どものように素直でいられた。
それをふふ、と笑うテンプの袖を引っ張り、ベゼルは床に膝をつける。
椅子とベッド、腰を下ろせるのはせいぜいその二箇所だし、敬譲を表すにはそのヒトの頭より高いところで言葉を交わすわけにはいかないから。
「ぬお、娘っこ、おヌシはジラウとベッドにでも腰を下ろすとよいの。形式で膝を折られることなどワシもジラウも好かんからの。」
皮肉にも聞こえるそれは、「神徒」の名や姿を聞いてなんとも感じないテンプに何かを求めたくない心が求めた言葉だった。
「・・・はい。」
そうして椅子にモクが、ベッドにジラウとテンプが座り、ベゼルが両膝を床につけて座ることになる。ぱっと見だけだとテンプをイジメたベゼルをジラウとモクが叱っているようにも見えなくもない。そして実際そうであっても何の違和感もない。
「おや、読んでるねベゼル。というよりきみが読んであげているのかな、テンプさん。」
布に隠しきれない口元や目元の皮膚は、シワが寄っていたりパンパンに腫れている。
それでもジラウはその細部にまできちんと目を向け、そして微笑みながらテンプの頭を撫でてやる。
「・・・はい。」
そうか、きみは偉いね、とベゼルに言ったようにジラウはテンプを褒めてあげる。
傷つき失いかけた自分の居場所を、またその存在を赦す言葉と知っていたわけではないが、温厚なジラウからはいつも出し惜しみなくそんな声が掛けられる。
この男を慕う者も、やはりこの村には少なくなかった。
「おん、そういえばおヌシのトコの大っきい息子はこのくらいだったかの? ワシもあっちはこのところとんと寄っていないのだがの。」
少し前にジラウが同部族の未亡人と結婚したのは知っていた。
向こうの連れ子になる息子の自慢話には嫌味がなくて、でもうれしそうで、ベゼルにとってはそれを聞くのも楽しみのひとつだ。
「ふふ、いえ。キペはまだ十四ですよ。ナコハやお義父さんの影響もあって[打鉄]に興味を持っているようですが・・・この娘のように少し引っ込み思案なところがありまして、他の子どもとはあまり馴染めていないようなんです。
この村を見習って引き取った子も、実の弟のように可愛がってくれるやさしい子なんですけど・・・。
本当は、もっとぼくが傍にいてあげなくちゃいけないのに外へこうして出向かなければならないことが多くて。相談にも上辺でしか乗ってあげられていないんです。
・・・失格ですよね。キペはぼくを「父さん」と呼んでくれるのに、それに見合うことを何にもしてあげられていない。
ふふ、だから今度帰ったらいっぱい遊ぼうと思ってるんです。キペはやさしい子だから虫取りや何かの競争はしたがらないんですが、いいんです。
二人でのんびり寝転がっているだけで、ぼくは幸せなんですから。」
さりげなく息子自慢のジラウ。床で聞いているベゼルは半べそだ。
「ふんぐ、大丈夫ですっ! 先生の息子さんなら、そらとんでもない偉業を成し遂げるに決まってます。稀代の大発見とか絶対やります。ユニローグだって、・・・いや、それはまず先に先生が見つけますっ!
あぁそれよりえっと、今日はどんな予定でいらっしゃったんですか。」
ジラウ命、のベゼル。できればテンプと場所を交替してほしくて仕方ないくらいだ。
「ふふ、盛大なご声援どうもありがとうベゼル。
・・・ええと今回はね、さっきモクさんにもちょっと話したんだけど研究仲間からこんなものを預かって。ここで詳しく分析したいしモクさんのお知恵を拝借できたらなぁ、なんて思ってたらばったり会ったんだ。」
そうしてジラウがこれ、と差し出したのは発掘されたとは思えないほど錆びも腐蝕もない、指差し型のヘンテコな金属機だった。
「まあさっきも言った通りだの。確か〔らせるべあむ〕とか言ったか、これを連想させる物が《緋の木伝説》以前にあったというが、だとすれば〔光水〕などについても勘案しなければならんの。今度スナロアに訊いてみるぞい、やつの方が詳しいからの。」
なんのこっちゃさっぱりなテンプが見つめる中、どんなの?と手を差し出すベゼルにモク伝いで手渡される。
ベゼルはそれを丹念に指でなぞって形を思い浮かべてみた。
「う、重いですね。・・・あれ? このちっこい四角のマスって「ぱつーろく」ですかね?」
へ?と思い、ベゼルの前にかがんで一緒に確かめるジラウ。
「あ・・・模様だとばかり思ってた。こんなほとんど凹凸のないものなんて知らなかったし、これを模したものかな、ただの模様のマス目を見たことが何回もあったから全然思いつかなかったよ。
よく見れば違う貴金属で隙間が埋められてるね。大概のぱつーろくには取り外しの利く卑金属のフタが使われるのに。
・・・それだけ特殊なもの、ってことでしょうかモクさん。
とにかく偉いよベゼル。すごい発見だ。
ふふ、きみの方がぼくより早くユニローグに辿り着いちゃうんじゃないかな?」
もうなんだろう、鼻血が出そうなベゼル。いや、そんな、とんでもないですぅと大いに喜んでは照れてしまう。
こんなに早くジラウの力になれたと思うだけで心はもう無辺の空へと羽ばたけそうだ。
「ぬん。そうかもしれんが詳しくはスナロアドットコムだの。ところどころ剥離してはいるがどうやら軽く溶接されているようだからの。コリノやタチバミならこのちっこい隙間を削り取る道具が作れるんではないかの? ま、あとで頼んでみるかの。」
そんな不思議な金属器に興味が湧いたテンプも、ベッドの端からこそっと盗み見る。
知識のないテンプはそれを、きれいだな、と素直に思う。
「きみも興味があるの、テンプさん? じゃ、ほら、持ってごらん。」
そう言ってベゼルの手から〔らせるべあむ〕を取り上げ、テンプに持たせる。
それが少し、ベゼルをちくんとする。
「・・・重たい。」
ふふ、そうだね、とジラウはテンプのひと言ひと言に微笑んでは頭を撫でる。
あの日、跪く自分の肩にそっと乗せてくれた手の温度を憶えているベゼルはそれが急速に遠のいていくのを感じていた。
「お、どうやら連中、用事とやらが終わったみたいだぞい。ワシらはちょと赤目に話があるのでの、そーだの、簡単な属性試験くらいはやっといてもらうかの。ココは機材が揃っていて便利だからの。それ、行くかジラウ。」
あ、あ、と戸惑うテンプは〔らせるべあむ〕を両手に持ってあたふたしてしまう。
「大丈夫。ベゼルがちゃんと教えてくれるから。きみも勉強だと思って手伝ってね。じゃあね、ベゼル、テンプさん。」
がんばってね、の意味も込めてジラウはもう一度テンプの頭に手を置く。
繰り返される動作と、手の平から伝わる確かな体温はただそれだけでヒトの心を穏やかにしてくれるものだ。
だが。
「は、はい。」
さっき、褒めてもらったのに。
偉いとか、すごいとか。
なのに、なんでこんなに、うれしくないんだろう。
「あ、あの・・・ベゼルさん。」
いつもは、モクさんがいてもいつもは、俺の傍で発掘の話とか、息子さんたちのこととか楽しそうにうれしそうに話してくれるのに。
「あの、・・・これ、どうしたら。」
毎日会えるんならそれでもいいけどよ、たまにしか会えないんだぞ。
テンプ、オマエそれ、知ってるか?
「あっと、・・・試験って?」
俺がどれだけあのヒトに会いたかったかって、オマエ、知ってるか?
「あの、・・・ベゼルさん?」
オマエがいなかったら、俺はもっと、もっと褒められてたんだぞっ!
もしかしたら助手にならないか、とか言われてたかもしれないんだぞっ!
「大丈夫? ベゼルさん。」
なんなんだよ、オマエは。
なんで来たんだよっ!
「ベゼルさ――――」
「うるせぇっ!」
荒くなる息を飲み込み吐き出し、湧き上がってくる黒い煙に燻し出されるようにベゼルは部屋を出る。
どうしていいか迷うテンプはただ、床に座ったまま動けないでいた。
「くそっ、なんだってんだっ!・・・くそったれがっ!」
それが嫉妬だとわかる自分にも、わかってなおそれを押し留められない自分にも、そしてやっぱりテンプにも腹が立って仕方なかった。
イラつくしかない未熟な自分に、ただただ嫌気が差していた。
「くそ・・・くそっ・・・」
慣れない道に昂ぶらせた感覚は躓き、無様なほど地面にしたたか顔を打ち付ける。
それでも、立ち上がってまた歩いた。
道から外れ茂みに入っても、まっ白な木々に囲まれても、歩いた。進んだ。
足跡に残されたついさっきの自分から逃れるように、新しい土を踏んで、踏み潰していたかった。それで何かが紛れるのを待つしかなかった。
ただ、ただひたすらに悔しくて。
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